"本願寺" の検索結果 54 件

  1. 「絵葉書のような築地本願寺」

    「絵葉書のような築地本願寺」

    あまりに会社の近くにあるのでよくわかっていないのですが、築地本願寺って築地の観光名所なのでしょうか?場外市場のすぐそばなので、市場に来た観光客がついでにお参りするケースはあるのかなあ。でも京都のお寺のようにお庭を拝見ということもないし...巨匠描くの襖絵や屏風や衝立を展示してあるわけでもないし。あまりに近くなのですっかり見慣れてしまってろくに写真を撮ったこともなかったので、用事があって前を通...

  2. 年の瀬の築地場外市場

    年の瀬の築地場外市場

    我が家の年末恒例行事の正月食材の買い出しで築地場外市場へ。かつての賑わいに比べると人出も多少減っていたが、それでもかなりの人が買い出しに来ていた。(隣には旧築地市場の跡地が広大な更地になり広がっていた)買い物の後は近くの築地波除神社・本願寺に参拝してから帰路についた。(旧築地市場跡地)※築地波除神社※築地本願寺※歌舞伎座

  3. 京都建物と、紅葉と <前半>

    京都建物と、紅葉と <前半>

    秋の特別公開で「本願寺伝道院」へ。いつか内部が見れたらな~と思っていたので、すぐに事前予約して楽しみにしていた。予定より早く入洛。七条駅から寄り道しながら向かう。七条大橋と、ちっちゃいタワーいつも足を止めてしまう建材屋さん外階段からの眺め、気持ちよさそう!さすがな外壁美しい!烏丸七条ビル東本願寺 阿弥陀堂門御影堂門蓮華の噴水車道を閉鎖して、緑地は拡張されるようさっきの烏丸七条ビルがここからも...

  4. 築地本願寺

    築地本願寺

    築地場外市場近くにある築地本願寺です。ヒンドゥー寺院を思わせる独特の佇まいです。カフェや本屋さんもあって楽しめます。ゲストハウスからだと有楽町線で新富町下車。東京新宿区神楽坂のシェアハウスです。詳細はこちら!

  5. 「内なる<靖国と同質のもの>」

    「内なる<靖国と同質のもの>」

    ■■■第6章「現実社会を念仏とともに」★6-8「内なる<靖国と同質のもの>」 ■「靖国ー私たちはそれを問えるのかー」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・≪靖国ー私たちはそれを問えるのかー≫2009.7.10 (福井教区教区報『アミタ』2009年号掲載の依頼原稿...

  6. 「戦争と本願寺⑧」

    「戦争と本願寺⑧」

    ■■■第5章「(補足2)本願寺の歴史」★5-25「戦争と本願寺⑧」 ■「苦渋の選択」だったのか? ●「宗門の過去をふりかえりますと、あるいは時代の常識に疑問を抱かなかったことによる対応、あるいは宗門を存続させるための苦渋の選択としての対応など、ご法義に順っていないと思える対応もなされてきました。このような過去に学び、時代の常識を無批判に受け入れることがないよう、また苦渋の選択が必要になる社会...

  7. 「戦争と本願寺⑦」

    「戦争と本願寺⑦」

    ■■■第5章「(補足2)本願寺の歴史」★5-24「戦争と本願寺⑦」 ■安全保障関連法 前回の末尾に<次の戦争>という言葉を使いました。私たち人間の煩悩性から言って、戦争という状況は極自然な平常的状態だと言ってもよいと思います。一つの戦争状況が終われば、すぐにまた次の戦争への道が作られ始めます。たとえ江戸時代のように戦争状況のない期間が長く続いたとしても、それはそれだけ大きな突出した力で抑え込...

  8. 「戦争と本願寺⑥」

    「戦争と本願寺⑥」

    ■■■第5章「(補足2)本願寺の歴史」★5-23「戦争と本願寺⑥」 ■「宗門の『戦争責任』を明確に」・・・したつもり 本願寺派では、2004年5月24日に「宗令第2号」と「宗告第8号」という2つの通知を出しました。全寺院宛に封書で通知が届きました。また写真のような『本願寺新報』の特集別刷りを発行し、教務所を通じて配布しました。その見出しには、「基幹運動『非戦平和』の基本姿勢を具体化」「戦時下...

  9. 戦争と本願寺⑤

    戦争と本願寺⑤

    ■■■第5章「(補足2)本願寺の歴史」★5-22「戦争と本願寺⑤」 ■本願寺教団の戦後責任 戦後責任という言葉があります。戦争行為を行った人間に対して戦争責任が問われることと同様に、戦後を生きる人間に対しては戦後を生きる人間としての責任が問われると言うのです。自らの戦後責任が明確に問われてこないということは、戦争という人類最大の罪に対する認識が不十分なままであるということです。それはすなわち...

  10. 「東西分裂」

    「東西分裂」

    ■■■第5章「(補足2)本願寺の歴史」★5-13「東西分裂」 ■蓮如以降 蓮如の後、その子であった実如が本願寺9代目(覚如の数え方による)になりました。父蓮如によって爆発的に拡大した本願寺の維持に奔走しました。本願寺は完全に世俗的武装勢力として存在していましたが、実如もまた各地の門徒衆を武力として派兵を命じたり止めたりの指示を出していました。実如が死に、その孫にあたる証如が10代目につきます...

11 - 20 / 総件数:54 件