"石塚俊明" の検索結果 211 件

  1. ガラス好き

    ガラス好き

    我が家から歩いて行ける場所に南九州最大規模というふれこみで無印良品の新店舗がオープンしたので気合を入れて行ってみたと言っても無印良品だ特に目新しい事は無いのだからと、高を括っていたらとんでもなかったちょっとこれ入店制限でもしたら?と思う位のレジ待ち行列が店内をぐるりソーシャルディスタンスなんて誰一人として気にしていない先着300名にはトートバッグプレゼントと聞いていたからゆっくりと店内を見て...

  2. 神霊の学者石塚直太郎氏について⑫

    神霊の学者石塚直太郎氏について⑫

    神霊の学者である石塚直太郎氏を受容的に理解したいのは、井野目堰とのかかわりだ。井野目村(現福島市飯坂町平野字井野目)では、井野目堰開発にあたって、その成功のために今ある井戸以外の井戸を掘らないという願掛けをしていた。「三角山の散歩⑤―井野目の三井戸③」でも整理したように、村ではその井野目堰の願掛けの為に280年に渡って井戸を掘らないことを守り通していたということだ。このことは、その熱意として...

  3. 神霊の学者石塚直太郎氏について⑪

    神霊の学者石塚直太郎氏について⑪

    以下は、「心霊科学研究会」機関紙に掲載される石塚直太郎氏の論と思われる情報を拾ったものだ。1923(大正13)年5月1日心霊界第4号「父の死を遠隔予知す」石塚直太郎1924(大正14)年2月11日心霊界第2.3合冊号「霊媒に就いて」石塚直太郎1924(大正14)年6月1日心霊界第6号「幽霊の報恩」石塚直太郎1924(大正14)年11月1日心霊と人生第11号「疾病に就ての卑見」福島県会員石塚直...

  4. 神霊の学者石塚直太郎氏について⑩

    神霊の学者石塚直太郎氏について⑩

    「神霊の学者」というのも懐疑的な見え方の一つだろうと思っていた。しかし、当時の宮城県を文化圏とする範囲では、この神霊という概念が受容されていたのではないかという情報を見つけた。これも散策人にとっては、新たな見え方だ。昭和21年8月に福来友吉博士のまわりに集まった人たちが中心となって「東北心霊科学研究会」が仙台に設立されている。昭和15年に高野山大学教授を退職した福来氏が、20年3月に大阪箕面...

  5. 神霊の学者石塚直太郎氏について⑨

    神霊の学者石塚直太郎氏について⑨

    これは、石塚氏が「天皇御陵の発見者」として延岡駅を出立し、鳴子に向かう時の写真だ。「天孫御陵発見始末」に「任務を果たして」と題して掲載される。大正12年12月5日石塚直太朗50歳、石塚澄江子33歳、石塚愛子8歳とある。今回、「天孫御陵発見始末」をもとに、宮崎県の神代三山陵探索に係る確認を進めてきたところだ。散策人としては新たな見え方を得たことになる。というのは、散策人が学校でお習いした歴史学...

  6. 神霊の学者石塚直太郎氏について⑧

    神霊の学者石塚直太郎氏について⑧

    前回まで石塚氏との関りから、宮崎県の神代三山陵探索に係る確認を進めてきた。しかし、実際には、その宮城県側の探索の前に、鹿児島県側の探索があるようだ。「みやざきの神話と伝承101」で、そのあたりの概要を確認する。http://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/chiiki/seikatu/miyazaki101/shinwa_densho/index.h...

  7. 神霊の学者石塚直太郎氏について⑦

    神霊の学者石塚直太郎氏について⑦

    前回は、「天孫御陵発見始末」の「予が神代史跡調査に従ふに至った経路」の項で、石塚氏が村上氏に出会った経緯や、請われて延岡に出向くことになった経緯を確認した。今回は、「鳥居龍蔵と日向」で「村上某が皇神二神の墳墓とした」とする古墳は「天孫御陵発見始末」ではどのように紹介されていたかを確認する。先に「神霊の学者石塚直太郎氏について②」で整理したどの古墳をどの皇孫の御陵とみているかということの再確認...

  8. 神霊の学者石塚直太郎氏について⑥

    神霊の学者石塚直太郎氏について⑥

    今回は、「天孫御陵発見始末」で「鳥居龍蔵と日向」で確認できた事がどのように記されるかを確認する。「鳥居龍蔵と日向」で、「日向延岡の神代聖跡顕彰事業の推進役の中心人物とされる村上某氏」というのは、「天孫御陵発見始末」では村上兄一氏とされる方なのだろうと思う。同誌の「予が神代史跡調査に従ふに至った経路」の項で、石塚氏がこの村上氏に出会った経緯や、請われて延岡に出向いた経緯を確認する。まずは、この...

  9. 神霊の学者石塚直太郎氏について⑤

    神霊の学者石塚直太郎氏について⑤

    「鳥居龍蔵と日向」では、宮崎県知事や地方人士が、鳥居龍蔵氏に日向調査を依頼するようになる背景を次のように解説する。「当時、西都原台地には、天孫瓊々杵命とその紀木花咲耶姫の御陵と伝えられる男狭穂・女狭穂の二大古墳を筆頭に、前方後円墳30数基を含む、いわゆる西都原古墳群の存在が知られており、この地一帯が神代日向の歴史を秘めた神代日向の歴史を秘めた最有力候補と見なされていた。しかし、明治7年(18...

  10. 神霊の学者石塚直太郎氏について④

    神霊の学者石塚直太郎氏について④

    氏の「研究家として天皇御陵の発見者」という情報とかかわりで、「天孫御陵発見始末」を確認している。その中心が「延岡圖書館に於ける史跡調査報告演述の要旨 」の項なのだが、そこに新たに「鳥居博士の報告書」の項がたてられている。そこでは、博士の発掘調査の成果を自説と結びつけているのに、この調査では日向神代史の実証はできないのだと批判をしている。今回は、逆にその考古学者鳥居龍蔵氏の視点からこの情報を確...

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