"記録・資料(東日本大震災)" の検索結果 9522 件
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ラッキー朗報2つ花かんざし
曇り空だったが降ったのかどうか知らない。昨日は午後から有給休暇がもらえた。助かった。実働、2時間で帰ることが出来たのだ。サンドイッチと肉団子、あさりとわけぎのぬたを買って帰り食べたら、着替えて眠った。とりあえず、たんぱく質、野菜、分葱はネギみたいなものだから風邪に良さそう。というチョイス。目が覚め、ああそうだ・・忘れ物をしている。疲れは取れている。もういちど、着替えて、とりに行くついでにドラ...
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展望も優れた「生藤山」は冬の日だまり山行に最適➀ 齋藤修平成15(2003)年3月5日(水)
私の情報は、facebooktwitter.を確認ください。「中華街を大切にする人」「ご利用する人」にはご協力をします。中華街で知りたいこと、紹介してほしいこと等あればご連絡ください。sosamu@ya2.so-net.ne.jp中華街を好きになってくれる人が増えることを願っています。中華街は、中華街の魅力を、最近の中華街は中年おじさんの散策part2-ご覧ください。展望も優れた「生藤山」は...
2023/03/17 08:23 - 山好きおじさんの部屋 -
20221209昼食 齋藤修家の食事昼食は「麺」or「丼」 「レタス炒飯」+スープ
最近外食が減りましたので、齋藤修家の「内食(料理)」にしばらくします。私の情報は、facebooktwitter.を確認ください。「中華街を大切にする人」「ご利用する人」にはご協力をします。中華街で知りたいこと、紹介してほしいこと等あればご連絡ください。sosamu@ya2.so-net.ne.jp中華街を好きになってくれる人が増えることを願っています。中華街は、中華街の魅力を、最近の中華街...
2023/03/17 08:12 - 中年夫婦の外食2 -
2023・日本海北上の旅・プロローグ。
「鉄道開業150周年記念ファイナルJR東日本パス」を利用して、先週もグルリと東北周遊旅行に出かけてきた。今回の旅のメインイベントは昨年末に復興した五能線の「リゾートしらかみ」に乗ること!!そして昨秋、タッチの差で乗り遅れた津軽鉄道に乗車して太宰の故郷を訪れてみること!!さらには今年の秋頃には大改修に入る(らしい)「鶴の舞橋」(青森)を訪れてみること!!ついでに弘前で大感激した.「珈否 葡瑠満...
2023/03/17 06:20 - Welcome to Koro's Garden! -
FOR REAL in progress
2017年のベイスターズ。日本シリーズまで行ったシーズン、最後まで楽しませてもらった。また戻ろう、来シーズンこそ!!
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検査は車中で。陰性よかった。
気合いだけでは、限界がある。ずっと家でおとなしくしていたが、風邪の症状が続くし、他人様に迷惑をかけないようにということもあり、今日は、病院で検査をしてもらってきました。万が一インフルやコロナだといけないので、検査してもらい、陰性でした。電話で予約。症状をきかれて、こたえる。すぐに予約をとって下さった。お~最近、風邪症状対応は、自家用車で行き、車の中で検査からお支払いまですべて。車から1歩も出...
タグ: 節目の記録 -
憲法便り#6899:3・11で助かった命!そして・・・;福島県双葉町沖合い、秋田県五城目町、仙台空港ビル、宮城県多賀城市のさまざまな様子を伝えます!
2023年3月15日(水)(憲法千話)憲法便り#6899:3・11で助かった命!そして・・・;福島県双葉町沖合い、秋田県五城目町、仙台空港ビル、宮城県多賀城市のさまざまな様子を伝えます!この紙面の構成を考える歳に真っ先に頭に浮かんだのは、ロシア文学者・原卓也先生が翻訳をなさったラスプーチンの著作の題名『生きよ、そして記憶せよ』であった。今朝、この記事のコメントを整理をし始めた午前6時5分ごろ...
2023/03/15 17:53 - 岩田行雄の憲法便り・日刊憲法新聞 -
ちくちく針仕事/ 民具を描く その2
さて、前回のちくちく★はその後どうなったでしょうか。後のことをよく考えずに適当な場所にちくちくしてしまったのであれこれちょっと迷ったのだけれど、クッションのカバーはどうかなと作ってみました。これでぎりぎりの右側の空きをどうするかが一番のモンダイでしたが、出来上がりのバランスを考えると小さな物にするしかないかなぁ…と。そして見つけたのが30×30㎝のヌードクッションでした。で、大きさはそれに決...
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もしもの時の備えにと
防災啓発の一環として、市から高齢者と避難行動要支援者の人にと、防災備蓄品が送られてきた。2011年3月11日に起こった「東日本大震災」に関連してのことだろうが、レトルトのご飯、ゼリー、排便処理セット、防・抗ウィルス・ウェットタオルなど7点が二人分。私がまだ生々しく覚えているのは、TVで見ていた「東日本大震災」ではなく、1995年(平成7年)1月17日 に起こった「阪神・淡路大震災」である。そ...
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12年目の3.11
12年目の3.11の日を出張先の東京で迎えました。冷たい北風が吹いていたあの時とは打って変わって、春らんまんを思わせるやわらかな陽ざしが降り注いでいます。被災地では、いまだに3万人の人々が避難生活を強いられているのですが、12年の時の流れは人々の記憶からあの大惨禍を消し去ってしまうには十分なものであることを街を行き交う人たちの笑顔に感じながら、今日の午前の目的地逗子へ・・・。カバンの中に携え...