"恭親王" の検索結果 68 件

  1. シニアの会のサロンで雛人形を飾りました

    シニアの会のサロンで雛人形を飾りました

    今日はサロンの日。富士山の映像を観ながら雑談。それにスマホあれこれ。飾りはいろんなお家のお雛様を飾りました。昨日通りかかったら開館が開いていたので車で運び飾りました。これは80年前の物。戦争中だったけれど初孫だったメンバーのためにおばあさまが用意してくださった物だそうです。これは貝に千代紙を貼ってご自身でつきられた物。ご自分用に買われた真多呂人形。私の70年物。箱が桐ですね。片付けている時に...

  2. 呑み友の写真家「大滝恭昌」さんの写真紹介(6)

    呑み友の写真家「大滝恭昌」さんの写真紹介(6)

    大滝さんから写真の掲載OKをいただきました。

  3. 奥の細道「かさねとは」七重八重~の歌

    奥の細道「かさねとは」七重八重~の歌

    つづきです。道灌さんが、じつはマジモンの歌人だった。あのエピは、つまり、シッタカ家来の方が「歌道に真っ暗」置いといて📦兼明親王914--987醍醐天皇皇子代作屋さんを推理すると、時代的に清原元輔さん。七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき七な=生=清花か=下=原山さん=三=さ=下=元実さね=下ね=の=下ひ=介=輔な七=四三=代作重かさ=傘=さむ=三六=九...

  4. 呑み友写真家「大滝恭昌」さんの写真紹介(4)

    呑み友写真家「大滝恭昌」さんの写真紹介(4)

  5. 私のお雛さま

    私のお雛さま

    過去の自分のブログを見ると、私は随分前からお雛さまが欲しいと書いています。2012年2月は↓2013年2月は↓なんと11年前に既に欲しいと言っていて、10年前には実際に人形店に足を運んでいます。そんなに欲しいなら早く買えば良いのにね。そもそも、なぜそんなにお雛さまにこだわるのか?それは自分のお雛さまというものが無かったからです。私は次女なので、当たり前ですが生まれた時には既に姉のお雛さまがあ...

  6. 少し怖い話

    少し怖い話

    皆様、こんにちは。ルーンタロット予報へようこそ。お久しぶりです。今日は、少し怖い話をテーマに書いていきたいと思います。去年の年末かな。たまたま佳子様のお誕生日映像や、秋篠宮御一家の動画をぼんやり見る時間があったのですが、その中で、2022年11月21日に行われた高円宮憲仁親王殿下薨去二十年式祭が行われていて、それをたまたま見たんですね。で、この拝礼された場面で、イメージとして出てきたのが、な...

  7. 呑み友写真家「大滝恭昌」さんの写真紹介(3)

    呑み友写真家「大滝恭昌」さんの写真紹介(3)

    車両が二台並ぶのは一瞬なんだろうな……写真の掲載は、大滝さんのOKをいただきました。

  8. 呑み友写真家「大滝恭昌」さんの写真紹介(2)

    呑み友写真家「大滝恭昌」さんの写真紹介(2)

    左下に列車が見えます。この一瞬をとるために、撮影ポイントに何度も通い、何時間も列車が通るのを待つそうです。私には出来ません。 写真の掲載は、大滝さんのOKをいただきました。

  9. ひな人形☆Ⅱ

    ひな人形☆Ⅱ

    前回に引き続き、ひな人形の内覧会のようすです。小さく可愛い木目込み人形に人気があるようです。娘のときは、段飾りが主流でしたが、展示しているものはかなり少なくなっています。三段飾り木目込み人形親王飾り立ち雛令和ご即位御雛

  10. 光仁天皇の皇后であった井上内親王は息子の皇太子と共に薨去

    光仁天皇の皇后であった井上内親王は息子の皇太子と共に薨去

    光仁天皇の皇后であった井上内親王は、息子の他戸親王(皇太子)と共に薨去しています。それも毒殺されたというのです。なんとも恐ろしい話です。なにゆえに皇后が皇太子と共に毒殺されなければならなかったのでしょうか。理由は、井上内親王が聖武天皇の娘だったからでしょうか。藤原氏は、聖武天皇の血統を残したくなかった、のではないでしょうか。故に、その皇統を断絶する道を選んだ。しかし、その祟りを恐れた。だから...

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