"北条大池" の検索結果 345 件

  1. 赤く染まる時間

    赤く染まる時間

    夕暮れに見る紅葉は、格別なものがある1日の終わりに、一時だけ出会える別世界車窓を赤色に染めて、旅は続く。

  2. 鎌倉殿の13人第44話「審判の日」 ~実朝の昇進と義時の薬師堂建立~

    鎌倉殿の13人第44話「審判の日」 ~実朝の昇進と義時の薬師堂建立~

    後鳥羽上皇の皇子を次期将軍に迎えることが内定すると、上皇は現将軍の源実朝を驚異的なスピードで昇進させました。建保6年(1218年)1月13日に権大納言、3月6日に左近衛大将に任官し、さらに10月9日には貴族でもなかなか任ぜられない内大臣となり、その2ヵ月後の12月2日は右大臣に昇進しました。右大臣は、太政大臣がほぼ名誉職となっていたこの当時、現役の公卿としては左大臣に次ぐ実質ナンバー2の官職...

  3. 知的頭脳への評価!

    知的頭脳への評価!

    テレビ「BS11」の「偉人・素顔の履歴書」が面白い。毎回、歴史上の「偉人」を取り上げる番組だが、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に対応するかのように、取り上げられたのが「鎌倉幕府3代執権北条泰時編」である。(youtube で見たため放映日は確認していない)番組の内容もさることながら、この番組の「ご意見番」として説明役の歴史家加来耕三氏の次の論が興味深かった。「小学校でも,中学校でも,高校...

  4. 鎌倉殿の13人第43話「資格と死角」~親王将軍構想~

    鎌倉殿の13人第43話「資格と死角」~親王将軍構想~

    唐船建造の失敗などはあったものの、建保年間の幕政は安定していました。しかし、ただひとつ、大きな問題を抱えていました。将軍・源実朝の後継者問題です。建保5年(1217年)当時、すでに実朝は26歳になっており、御台所と結婚してから12年の歳月が流れていましたが、二人の間には一人の子供も生まれておらず、にもかかわらず、実朝は側室を持とうとしませんでした。その理由は定かではありませんが、ドラマ時代考...

  5. 公園の紅葉

    公園の紅葉

    それぞれの紅葉大池公園八木崎公園11月8日、撮影

  6. 鎌倉殿の十三人での頼朝後の義時は政子の忠僕

    鎌倉殿の十三人での頼朝後の義時は政子の忠僕

    今年の大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」。源実朝暗殺に近づいているようですが、私はあれは公暁(私は「くぎょう」と習いましたが、今は「こうぎょう」と読むんですね。確かに、僧籍にある者の名としては、そっちのほうが正しいような。)の単独犯、それも、後ろ盾であるはずの三浦義村の冷たい反応を思えば、かなり、突発的なものだったのだろうと思っています。公暁はちょっとおかしかったんじゃないですかね。その意味では、...

  7. 鎌倉殿の13人第42話「夢のゆくえ」~実朝の唐船建造~

    鎌倉殿の13人第42話「夢のゆくえ」~実朝の唐船建造~

    建保4年(1216年)6月15日、東大寺の大仏を再建したことで知られる宋人の技術者・陳和卿が、源実朝に拝謁しました。陳和卿は、対面するなり実朝の顔を3度拝み、感涙を流しながら、実朝の前世は宋の「医王山」阿育王山阿育王寺の長老で、自分はその弟子だったと語りました。これを聞いた実朝は、以前、同じ内容の夢を見たといって驚き、その夢の内容を誰にも話していなかったことから、和卿の話を信じたといいます。...

  8. 鎌倉殿の13人第41話「義盛、お前に罪はない」~和田合戦~

    鎌倉殿の13人第41話「義盛、お前に罪はない」~和田合戦~

    建暦3年(1213年)5月2日、和田義盛が兵を挙げました。『吾妻鏡』によれば、八田知重(知家の息子)が義盛の館に兵が集合していることを大江広元に通報したとあります。時を同じくして、三浦義村も北条義時に義盛の蜂起を報告していました。ドラマで描かれていたように、当初、義村は義盛の計画に同意し、共に戦うとの起請文を差し出していましたが、その約束を反故にして、義時に味方します。一説には、そもそも義時...

  9. 鎌倉殿の13人第40話「罠と罠」~和田合戦の序章~

    鎌倉殿の13人第40話「罠と罠」~和田合戦の序章~

    建暦3年(1213年)2月15日、鎌倉御家人の千葉成胤のもとに阿静房安念と名乗る僧が訪れます。安念は、信濃国の泉親衡という人物が将軍源実朝の廃位と源頼家の遺児・千寿(栄実)の将軍擁立、さらに北条義時の殺害を計画していることを打ち明け、成胤に協力を要請しました。しかし、成胤は安念をすぐさま捕らえ、義時のもとに差し出しました。安念が謀反の計画を白状したことで、多くの御家人が捕縛されます。 このと...

  10. 鎌倉殿の13人第39話「穏やかな一日」~実朝と義時~

    鎌倉殿の13人第39話「穏やかな一日」~実朝と義時~

    北条時政の失脚により、息子の北条義時が実質御家人筆頭として幕政を運営することになります。『吾妻鏡』には、このとき義時が執権職を継承したとありますが、これについては諸説あって定かではありません。また、同時代の史料からは、このとき義時が侍所別当に就いたという記録も確認できず、いきなり義時に時政が持っていた権力がすべて継承されたというわけでもなかったようです。おそらく、短期間で権力を集中させてやり...

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