"形而上学" の検索結果 54 件

  1. 新型コロナウィルスより人類へ-概念的完全対策マニュアル-

    新型コロナウィルスより人類へ-概念的完全対策マニュアル-

    新型コロナウィルスが猛威を振るっている。さて、この文章は今、どこで読まれているだろう。冒頭からとんでもない告白をすると、私はこのような自然災害を待望していた。待望と言うと言いすぎなのだが、宇宙に秩序があることの傍証になったのでほっとしたのだ。私からすれば、この事態は人類の集合的(無)意識が招いた因果応報である。だから正しく因果が顕現したのは歓迎できることなのだ。コロナウィルスの生存率はそれほ...

  2. 愛が絶対勝つための戦略-自由を奪われし弱者のための戦術指南ー

    愛が絶対勝つための戦略-自由を奪われし弱者のための戦術指南ー

    人間は人間の道具ではない。人間が道具だと言うなら、それは概念の道具である。絶対に勝つために理解すべき戦略は以上である。この戦略を深く抱くならば、孤立無援でも勝利を得ることができるであろう。理論はあとにして戦術を述べる。1.自分が信じている、あるいは殉じよう思う絶対概念を選択しよう。例)愛、誠、勇、仁、義、礼、智、孝、悌などなど2.自分が克服しようと思う、相対概念を選択しよう。(選択しなくても...

  3. 100%願いの叶う神様への祈り方-底抜けに簡単な神様の見つけ方ー

    100%願いの叶う神様への祈り方-底抜けに簡単な神様の見つけ方ー

    人間の中には神様がいます。精神と呼ばれます。ほら、いたでしょ。(Q.E.D.)ところでよくバカにされる概念に、精神論と言うのがあります。なぜバカにされるのか理由を考えたことはおありでしょうか。そうですね、精神論で成功する例が100%ではないからでしょうね。ここで、精神論として、・我に七難八苦を与えたまえ・心頭滅却すれば火もまた涼しというのがあります。実はこれは願いの叶う精神の使い方です。なん...

  4. 世界の存在理由は一種のトートロジーである-形而上学の世界観-

    世界の存在理由は一種のトートロジーである-形而上学の世界観-

    形而上学とは、この世界において最も広く最も深く最も根源的な問いである。確かハイデガーがそう書いていたし、その通りかなと思った。具体的な問いの形としては、「世界がなぜ(実在しないよりも)むしろ実在するか」ライプニッツ 『事物の根本的起原』(1697年) が最も原初であり明解であろう。なお、ライプニッツ自身はこの問いに対して「最善説」というのを提示したが、私の考えとしては、形而上学はそれにとどま...

  5. 毒吐き神様の人生ゲーム解説?-さあ思う存分遊びなさいー

    毒吐き神様の人生ゲーム解説?-さあ思う存分遊びなさいー

    神様ってやつは「~である」ことにとことん退屈して、「~になる」ことを始めたおバカさんだから、僕ら人間が人生の目的なんてものをすっかり忘れ去って、「~である」という勘違いに満ちた日常を送ったって、宇宙(そら)の彼方から「ふふふ」とか微笑んで見守っていたりするんだ。神様のつぶやきいくら死にたくないって思っても死ぬのに、それを人生の最大の目的にして生きていく人間たちって、ほんとうに思惑通りにかわい...

  6. 僕は友達が少な…くて悪いか?-世界の深層へのお誘い-

    僕は友達が少な…くて悪いか?-世界の深層へのお誘い-

    「正義は必ず勝つとは限らないし、悪は必ず裁かれるとは限らないし、努力は報われないことのほうが多いし、信頼が裏切られることはよくあるし、善意がもたらす悲劇は世の中に溢れている」-『僕は友達が少ない』平坂読著(MF文庫)9巻p.141より『僕は友達が少ない』というのはライトノベルの古典的名作だと言われる。ライトノベルというよりアニメが有名らしいが、私はあまりアニメは見ないので何とも言えない。ちな...

  7. 世界から悪意と狂気を根絶してみますか?

    世界から悪意と狂気を根絶してみますか?

    悪意は悪意と理解できるから怒りが生じるのだろう。悪意を悪意だと理解できなかったら、それは狂気と解釈されるはず。もっとも、狂気であっても許さない人は多い。結果がある以上、責任の所在を求める。だが、狂気とは見舞われることが不条理だから狂気なのだ。そして、狂気は追い詰めれば発生させることができる。実際は、そちらこそが悪意(あるいは狂気)だ。さて、追い詰めているのは誰か?悪意も狂気も、人類全体を系(...

  8. 愛の反対は無関心-第一原因としての愛ー

    愛の反対は無関心-第一原因としての愛ー

    かのマザーテレサはこういったそうだ。「愛の反対は無関心」と。(マザーテレサさんを知らないとか言わないでねー><)ならば、無関心の文字通りの反対である関心こそが愛なのだろうか?たぶん、そうなのだと思う。なぜなら、世界が実在し始めるのが関心を向けたときだからだ。いやいや待て待て。関心(ハイデガーなら気遣いかも知れない)で世界の実在が確定するのを認めるにしても、それが愛であるというのはいかような理...

  9. 受動的な生活と能動的な人生

    受動的な生活と能動的な人生

    日本という国に住んでいると、地球世界がなぜこれほど腐敗し混乱しているか、原因が非常によく見えてくる。原因は簡単だ。ほとんどすべての人が本当に利己的であることの意味を知らない。受動、能動、という価値について考える。ほとんどの人が、世界から与えられたものの中で自分は生活していかなければならないと考えている。おそらく知性を発達させることなく、考えることがない動物たちも同じような世界観にたどり着くだ...

  10. 人はみな、信じたいことしか信じない。

    人はみな、信じたいことしか信じない。

    人は自分の信じたいことしか認めません。これが事実です。なので、いくら強い説得力をもってしても、全ての人を同じ思想に導くなど不可能です。そしてもっと言えば同じ思想などというのはあり得ません。知識が同じであっても、それに対して抱く考えは違うのです。同じ科学の知識についても、ある人は客観性を重視し、周りと協調していくための手段と考えているでしょうし、ある人は自分の現在の都合の良さを、ただ周りにも肯...

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