"遊郭" の検索結果 67 件
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橋本遊郭、旧三枡楼
橋本遊郭の旧三枡楼が、マッサージの「漢方エステ天寿」と旅館「橋本の香」として生まれ変わりました。現オーナさんの努力で素晴らしい状態で保存されてします。予約は090-8375-8761です。解体された歌舞練場はその後天寿荘の時代がありましたので、ここに名前を留めました。とにかく何度訪れてもため息がでます。最初帳場?とかきましたが、実は陰店で、遊客はここで女を選びました。そして何時でも外から女を...
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お江戸散歩(奥浅草~吉原遊郭跡)
いまだ閑散とした浅草寺を通り抜け北側の言問通りを渡った、昔「観音裏」と言われた「奥浅草」が今回の散歩コース。江戸以来の浅草花柳界の中心で、かつて歌舞伎の江戸三座が軒を連ね、信仰を集めた数々の寺社が点在し、最深部には吉原遊郭があった江戸のディープな歴史を今に伝えるエリア。まずは奥浅草に点在する歴史スポットを巡り、旧山谷堀から日本堤を経て吉原遊郭跡・吉原神社を訪ね、吉原にゆかりの深い樋口一葉の足...
2020/09/21 17:42 - マルオのphoto散歩 -
八王子遊郭の変遷
20200602本日のブックカバーは「八王子遊郭の変遷」(片倉書店刊)。八王子生まれ八王子育ちなので、この種の郷土史関係の本を結構持っている。今は僕の子供の頃の八王子とは別の町になってしまったが。遊郭の面影を伝える建物は、昭和39年の東京オリンピックの頃まで残っていた。浅草六区を作った茨城出身の人物をモデルにした映画のシナリオを頼まれたとき、八王子の遊郭と賭場が重要な場面になるので張り切って...
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X橋には気を付けろ
仙台市青葉区小田原にある創業113年の老舗旅館「千登勢屋」がコロナの影響もあり5月31日を以て閉館するというニュース。千登勢屋といえばかつて東北最大の遊郭だった小田原遊郭跡の旅館街で唯一現存する旅館である。小田原遊郭最後の灯が消える前に行っておかなくてはと小田原へと足を運んだ。宮町通りから常盤木学園へ曲がり西友の一角がかつての小田原遊郭である。かつての区画の名残なのか妙な道路配置なのが分かる...
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中区曙町、旧「親不孝通り」にて。
コロナウイルスのために緊急事態宣言が出てから、営業自粛、外出自粛が求められています。しかし単身の身なので、食料品買い出し以外にどうしても必要なのは週一のコインランドリー通い。いつも行くコインランドリーは所謂風俗店の多い地域にありますが先日訪れたときはほとんどの店舗が営業自粛中、閑散としていました。そこでこれ幸いと、洗濯の待ち時間に、普段は客引きや行き交うお客の男性、働く女性が多くてカメラを向...
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最近の画像。寿町、真金町、黄金町あたり。
コロナウイルスの関係で、ほとんど出歩かなくなってしまい、この10日間ぐらいでもこの程度しか写真が撮れていません。寿町にて。西成や山谷と並ぶドヤ街の一つに数えられますが、西成のような安売りお好み焼きの屋台などは出ていませんね。近年はドヤ街にもこのようなツーリスト向けのホステルが何軒か営業しています。真金町にて、金網の駐車場に古いクラウン。このあたりは元々花街であったせいかこのような風情ある建物...
タグ: 遊郭跡 -
新福原遊廓誕生
福原遊廓張店明治三年、神戸大阪間に鉄道が敷かれることになり、その最適の場所が福原遊廓地となり、福原遊郭は移転を余儀なくされました。これが現在のJR神戸駅です。 新福原(即ち現在の場所)は人跡稀な荒涼の地で、わずか開廓以来僅か二年で移転命令が出たことにもより各楼主はむずがり、夜逃げ同様姿を消すものもありました。 ところが明治四年大津波で福原遊廓も壊滅状態になり、これが期に五月から業者は続々と新...
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福原遊郭ラシャメン
神戸村では開港以前に十銭で転んだので十銭とよばれた淫売婦や、手軽に春を売った惣花や、おちゃらと言う娼婦が、町家、さらには草陰で商売しました。慶応三年頃、開港を目当てに多くの外国人が神戸に上陸し、今の元町四丁目で料理屋を営んでいた専崎弥五平という男に女性の斡旋を申し込んだが応じる女はいませんでした。専崎の出入りに、佐野常助という顔役が七人おちゃらを抱えており、専崎はこの常助にその報酬として、高...
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西宮戸田町遊郭
大正十四年、市制施行で西宮市が誕生した祝いと思われます。左に立花楼、右に音羽楼の名が見えます。傘を差せば傾けないとすれ違えない狭さです。兵庫県、西宮は西国街道と中国街道が走り、港町であり、酒が名産、全国のえびす神社の総本社である西宮神社まであるという、花街・遊廓が育つ条件が揃う日本屈指の土壌がったと言えます。さらに奈良朝時代より徳川時代初期頃までの間、諸国の宿場で春を売った傀儡(女)くぐつ(...
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兵庫佐比江遊郭
摂津名所図絵元禄九(1696)年の『兵庫津絵図』には佐比江(さびえ)を内海と記し、その岸が七宮神社の北に迫り湊口惣門の東にあった番所のそばまで海になっている様子が描かれています。寛政八(1796)年~寛政十(1798)年刊行『摂津名所図絵八』に佐比江が載り「兵庫津にあり。此地は上方よりの入り口にして、常に賑し。茶屋・花魁(うかれめ)の家所々に見えて、琴・三味線をならし、旅客の袖をひく。」との...