"神社" の検索結果 225 件

  1. 和珥氏を考える2⃣ー式内 和邇部神社と海人族のネットワーク

    和珥氏を考える2⃣ー式内 和邇部神社と海人族のネットワーク

    若狭の 式内 和邇部神社(現社名 日吉神社)を訪れた。式内 須可麻神社を訪れるついでに寄ってみたのだが、そこは悲しいことに「廃社」だった。式内 和邇部神社(現社名 日吉神社)2022年10月1日(土)参拝画像では「清々しい雰囲気の古社」の印象だが、参道は「杜」にまったく手が入っておらず、石段の苔で足を取られてしまうは、朽ちた古竹が倒れて往く手を阻んでいるはの惨状で、神社名を示す社標もない。e...

  2. 和珥氏を考える1⃣ー天押帯日子命を始祖として選択した和珥氏

    和珥氏を考える1⃣ー天押帯日子命を始祖として選択した和珥氏

    和邇坂の地から春日の地へ『古事記』では日子坐王の「母族」として設定された和珥氏だが、大和に興ったとされるその本拠について考えたい。Wikipedia 和珥氏では、岸俊男 『日本古代政治史研究』塙書房から「その本拠地は大和國添上郡和邇(現在の奈良県天理市和爾町~櫟本町付近)と添下郡」としている。祖神の阿田賀田須命 あたかたすのみこと を祀る添上郡延喜式内社 和爾坐赤阪比古神社が和邇坂の地に鎮座...

  3. 海部氏の謎1⃣ 海部氏が代々奉斎した籠神社の「闇」

    海部氏の謎1⃣ 海部氏が代々奉斎した籠神社の「闇」

    海部氏の謎シリーズ①珍彥と彥火々出見命の「闇」下画像は、丹後國一宮 籠神社『倭宿禰命像』で、ケーブルリフト乗り場口から入ると亀の像とともに参拝者を出迎えてくれる。この倭宿禰命を籠神社では別名:珍彦、椎根津彦、神知津彦 籠宮主祭神 天孫 彥火明命 第四代海部宮司家四代目の祖。神武東征の途次、明石海峡(速吸門)に亀に乗って現れ、神武天皇を先導して浪速、河内、大和へと進み、幾多の献策に依り大和建...

  4. 悲劇の忍熊王2⃣ 生きていた劔御子神 忍熊王と式内劔神社

    悲劇の忍熊王2⃣ 生きていた劔御子神 忍熊王と式内劔神社

    「東征して来る神功皇后の軍団を遮るために忍熊王たちは海域の狭くなった明石(赤石)の地を重視し、五色塚古墳の墳丘を「城」として利用しようとしていた」で「悲劇の忍熊王1⃣ 劔御子忍熊王と筑紫の神功皇后」の記事を終えた。今回は、悲劇の皇子としての忍熊王の最期、そして「その後」を語ってみたい。喰い殺される兄の麛坂王『日本書紀』の描写では、神功皇后とその子、誉田別(應神)が正当な足仲彥天皇(仲哀)の後...

  5. 悲劇の忍熊王1⃣ 劔御子忍熊王と筑紫の神功皇后

    悲劇の忍熊王1⃣ 劔御子忍熊王と筑紫の神功皇后

    越前國敦賀郡鎮座 式内劔神社福井県丹生郡越前町の 式内 劔神社は、織田信長公一族の発祥地の神社と知られ、越前國二宮でもある。織田氏の祖は古代氏族忌部氏であることは、戦国ファンにもよく知られているけれど、氏神 としての式内 劔神社 つるぎじんじゃ の祭神は、素盞嗚尊、氣比大神、忍熊王と、由緒を知らなければ、意外な組み合わせである。織田信長公※の家紋は「織田瓜」であり、素盞嗚尊由来でもあるから、...

  6. 謎の日下部ー3.上総國の日下部使主氏について考える

    謎の日下部ー3.上総國の日下部使主氏について考える

    謎の日下部シリーズ3.防人歌と國造丁 日下部使主三中『萬葉集』第二十巻四三四七番歌右一首國造丁日下部使主三中之父歌伊閇尓之弖古非都々安良受波奈我波氣流多知尓奈里弖母伊波非弖之加母家にして恋ひつつあらずは汝が佩ける大刀になりても斎ひてしかも上は、防人歌と知られる『萬葉集』第二十巻‐4347番歌。左註には「右一首國造丁日下部使主三中之父歌」とあり、「家に残って心配しているよりは、お前が腰に帯びて...

  7. 謎の日下部ー2.伯耆國の日下部「國坂神社」少彦名命と彦坐王

    謎の日下部ー2.伯耆國の日下部「國坂神社」少彦名命と彦坐王

    謎の日下部シリーズ2.太田亮 著『姓氏家系大辞典』第二巻(国立国会図書館デジタルコレクション)に、26.伯耆の日下部の項あり、式内社 國坂神社を紹介している。26.伯耆の日下部 和名抄、當國河村郡、及び會見郡に日下郷あり。後者日下郷久坂瑞泉寺古鐘銘に「元應元年乙未十二月十九日、草可部之摺鋳之」とあり。又久米郡に國坂神社ありて三代實録貞観九年條には訓坂とあればクサカと訓むべきにて日下部部民の神...

  8. 『肯搆泉達録』に記される美麻奈彦命と櫲樟視國

    『肯搆泉達録』に記される美麻奈彦命と櫲樟視國

    『肯搆泉達録』に記される美麻奈彦命野崎雅明 著『肯搆泉達録』(出版年:明治二十五年一月)を 国立国会デジタルコレクション で目次を開いたところ「美麻奈彦」の名が飛び込んで来た。美麻奈彦 みまなひこの名は「任那彦」を指しているようにも思えて、興味を持った。さて『肯搆泉達録』なる書は、国会図書館サーチ の解説によると「越中通史の先駆けともいえる壮大な物語記録で、文化十二年(一八一五年)の完成。野...

  9. 白山比咩神と白山信仰の謎

    白山比咩神と白山信仰の謎

    石川、福井、岐阜の三県にわたって高く聳える白山は、古来から霊山信仰の聖地として仰がれて来た。人々が白山を望む地で暮らし始めた頃から既に霊山だったと思う。石川県、富山県は、白山や立山の頂に残雪が拝める4月~5月が旅のベストシーズン。白山は加賀地域の東南部にあって越前、美濃との国境に位置する山地。加賀の石川郡、越前の大野郡及び美濃の郡上郡などにまたがる火山系の山地であって、御前峰を最高峰とし、こ...

  10. 豐受大神の謎ー6⃣ 豐受大神の伊勢遷座と丹後王國の消滅

    豐受大神の謎ー6⃣ 豐受大神の伊勢遷座と丹後王國の消滅

    豐受大神が伊勢に迎えられたのはなぜか今回は豐受大神が伊勢に迎えられたのはなぜかを考えてみたい。以前、豐受大神の謎ー2⃣ 豐受大神の伊勢入り で取り上げた際には稲荷神社と絡めて考えたが、今回は最終的に丹後王國の消滅まで意味づけられたらよいと考えている。その前に、伊勢神宮(皇大神宮)については、倭姫命の巡行から、天照大神の鎮座まで、また伊勢信仰と参宮の歴史など、伊勢神宮の歴史と文化を伊勢神宮公式...

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