"信仰" の検索結果 735 件

  1. 10月14日 神がまず

    10月14日 神がまず

    (ヨハネの第一の手紙 4章19節)大谷唯信牧師「わたし達が愛し合うのは、神がまずわたし達を愛して下さったからである」私達は常に教会の成長を願っている。子供の成長と同じく教会は日毎に変化し成長していく。何故なら教会にはキリストの体としての神の命が注がれているからだ。つまり私達に神の命が注がれていると言う事である。神は愛である。「私達が神を愛したのではなく、神が私達を愛して下さって、私達の罪のた...

  2. 10月9日、今朝の富士山です

    10月9日、今朝の富士山です

    我が家の駐車場から見た早朝の富士山です晴れて来ましたが、富士山頂付近は雲がでてきて、見えたり見えなかったりです。9時20分ごろの様子です。ご覧いただきありがとうございました。今日も良き一日でありますように。

  3. 10月7日あなたは神の宮である

    10月7日あなたは神の宮である

    (コリント人への第一の手紙 3章16-17節)大谷唯信牧師「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか。もし人が、神の宮を破壊するなら、神はその人を滅ぼすであろう。なぜなら、神の宮は聖なるものであり、そして、あなたがたはその宮なのだからである」神がわたし達に賜った救いとその恵みは、わたし達の思い、考えをはるかに越えている霊的存在である。キリストの十字架の御...

  4. 今の富士山です(昼ごろ)

    今の富士山です(昼ごろ)

    我が家の駐車場から見た富士山です黄昏迫る今の富士山です。(我が家の駐車場から見た)(5時半ごろ)

  5. 我が家の駐車場から富士山が見えないと、こんなに寂しいです

    我が家の駐車場から富士山が見えないと、こんなに寂しいです

    我が家の駐車場から、いつもは見える富士山が見えないとこんなにも寂しい感じです。厚い雲に覆われて片りんもありません。古来から日本人が信仰の対象としてあがめてきた霊峰富士、私にもそんなご先祖様の血が流れているのかもしれません。いつも見える富士山を御覧になりたい方はカテゴリー、富士山を見てくださいね。ご覧いただきありがとうございました。早く秋晴れ続くといいですね。

  6. 9月23日教会に与えられている力

    9月23日教会に与えられている力

    (使徒行伝 4章13節) 大谷唯信牧師「人々はペテロとヨハネとの大胆な話しぶりを見、また同時に、ふたりが無学な、ただの人たちであることを知って、不思議に思った。…」あの弱かったペテロが驚くほどの変身を遂げた。私はこのペテロの歩みを見る時、いつも慰められ、励まされる。肉の人から霊の人へ変えられていく経過を、共感しつつ見るからである。いつも失敗してはイエスに叱られていた。常に熱心で思った事はす...

  7. マレーシア便り 宗教 信仰

    マレーシア便り 宗教 信仰

    クアラルンプールに行くと、人々の宗教心に圧倒される。女性は頭にスカーフを被っているし、朝はコーランを読む音響が響く。中国人の多い地区では祭壇があり、街角や住居の前で線香が絶えない。マレーシアの宗教はイスラム教であり、国教でもある。インド人はヒンドゥー教だし、中国人は仏教か独特の神道である。カトリックとプロテスタントもいる。マレーシアの原住民や山岳民族は精霊信仰である。信教の自由は保証されてい...

  8. 9月16日御霊の助けで御言葉に従う

    9月16日御霊の助けで御言葉に従う

    (へブル人への手紙 3章7節) 大谷唯信牧師「今日、あなたがたがみ声を聞いたなら、荒野における試練の日に、神にそむいた時のように、あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない。」主のみ声を聞くにはどうしたらよいのだろう。自分の中に起きる思い、内なる声…どれが自分の思いでどれが神のみ声なのか。その判断は頭で考えても分からない。しかし、聖霊により頼みつつ聖書の御言葉を心で味わい、信じ、自分の心の...

  9. 9月9日霊性を深めるパウロの取り組み

    9月9日霊性を深めるパウロの取り組み

    (コリント人への第二の手紙 4章 11節)大谷唯信牧師「わたしたち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されているのである。すれはいえすのいのちが、わたしたちの死ぬべき肉体に現れるためである。」「強く生きる」とは多くの人が求めているものの一つであろう。しかし得てして霊的ではなく肉的な強さを求め、結果的には自分を失う事になりかねない。「肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである...

  10. 9月2日信仰が天を地につなげる

    9月2日信仰が天を地につなげる

    (マルコによる福音書 5章27-28節) 大谷唯信牧師「女はイェスの事を聞いて、群衆の中にまぎれ込み、うしろから、み衣にさわった。せめて、み衣にでもさわれば、なおしていただけるだろうと思ったからである」もう駄目だと思い、とても出来ないと思ったら、実際に出来ません。勝ちたいけど、とても勝てないと思ったら、間違いなく勝てません。負けると思ったら、負けます。何故ならば、この世では、成功は、人の意...

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