"ことば文学賞" の検索結果 663 件

  1. 西宮市分銅町に住んだ泣菫という雅号の詩人をご存知ですか?

    西宮市分銅町に住んだ泣菫という雅号の詩人をご存知ですか?

    一度ご紹介しましたが、薄田泣菫(ススキダキュウキン)という明治後期の詩壇を背負って立った著名な浪漫派詩人薄田泣菫をご存知でしょうか。 泣菫は明治43年から西宮に住んでいました。その旧居「雑草園」について、宮崎修二郎著『文学の旅・兵庫県』では、次のように紹介されています。<羽衣橋のすぐ下から東へと伸びる道を進んでゆくとやがて分銅町―その町の二十三番地が、薄田泣菫の旧居雑草園の跡である。> 訪ね...

  2. 土井晩翠と薄田泣菫

    土井晩翠と薄田泣菫

    土井晩翠終焉の地、晩翠草堂を訪ねました。仙台駅近く、青葉通りに面した晩翠草堂、あたかも日本版バージニア・リー・バートンの「ちいさいおうち」を見ているようで、ビルの間に良く残されています。ベルを押して中に入ると、管理されている方が出てこられ、説明していただけました。もともとここには三階建ての晩翠の家があったそうですが、空襲で焼失、仙台二高の教え子が中心になって建てたのが晩翠草堂とのことです。晩...

  3. 日本の美しさを日本人以上に理解できたアン・M・リンドバーグ

    日本の美しさを日本人以上に理解できたアン・M・リンドバーグ

    「日本人のなかには、芸術家が住んでいます」と言ったアン・モロウ・リンドバーグの『日本紀行』から続けます。アンが東京に滞在していた時のことでしょう、ある美術館で一枝の桜がかいてある墨画について、次のように説明され、感心します。<「この古い枝から新しい芽が溌剌としてのびる勢いをいかに画家が写しているか、気が付かれましたか?その若芽は豊かな生命を持っています。あなたもこの若い芽の中にほとばしる樹...

  4. 日本の美しさを日本人以上に理解できたアン・M・リンドバーグ

    日本の美しさを日本人以上に理解できたアン・M・リンドバーグ

    「日本人のなかには、芸術家が住んでいます」と言ったアン・モロウ・リンドバーグの『日本紀行』から続けます。アンが東京に滞在していた時のことでしょう、ある美術館で一枝の桜がかいてある墨画について、次のように説明され、感心します。<「この古い枝から新しい芽が溌剌としてのびる勢いをいかに画家が写しているか、気が付かれましたか?その若芽は豊かな生命を持っています。あなたもこの若い芽の中にほとばしる樹...

  5. 日本の美しさを日本人以上に理解できたアン・M・リンドバーグ

    日本の美しさを日本人以上に理解できたアン・M・リンドバーグ

    「日本人のなかには、芸術家が住んでいます」と言ったアン・モロウ・リンドバーグの『日本紀行』から続けます。アンが東京に滞在していた時のことでしょう、ある美術館で一枝の桜がかいてある墨画について、次のように説明され、感心します。<「この古い枝から新しい芽が溌剌としてのびる勢いをいかに画家が写しているか、気が付かれましたか?その若芽は豊かな生命を持っています。あなたもこの若い芽の中にほとばしる樹...

  6. 日本の美しさを日本人以上に理解できたアン・M・リンドバーグ

    日本の美しさを日本人以上に理解できたアン・M・リンドバーグ

    「日本人のなかには、芸術家が住んでいます」と言ったアン・モロウ・リンドバーグの『日本紀行』から続けます。アンが東京に滞在していた時のことでしょう、ある美術館で一枝の桜がかいてある墨画について、次のように説明され、感心します。<「この古い枝から新しい芽が溌剌としてのびる勢いをいかに画家が写しているか、気が付かれましたか?その若芽は豊かな生命を持っています。あなたもこの若い芽の中にほとばしる樹...

  7. 西東三鬼が住んだ山本通りの異人館を訪ねる

    西東三鬼が住んだ山本通りの異人館を訪ねる

    モダンな感性を持つ俳句で新興俳句運動の中心人物の一人として活躍した西東三鬼は昭和17年、妻子を東京に置いて単身で神戸に移住、しばらくトーア・アパートメント・ホテルで過ごします。翌年、のちに「三鬼館」と呼ばれることになる西洋館(生田区山本通)に住まいを移しました。彼の著書『神戸』の第六話で昭和18年の夏にホテルを引き払ったことが書かれています。<私達はぞの翌日、ホテルを引き払って、山の手の家へ...

  8. アン・M・リンドバーグ「日本人のなかには芸術家が住んでいる」

    アン・M・リンドバーグ「日本人のなかには芸術家が住んでいる」

    アン・M・リンドバーグの『翼よ北に』では、国後島を飛び立った後の、根室・東京・大阪・福岡での滞在については触れず、「日本―生活のうちの紙と紐」と題して日本の文化の解説にページを割いています。<小さいころ、日本から帰った知人からお土産をもらったことがある。それはビロードのような感触の白い紙に包まれた箱で、紅白の紙の紐が結ばれ、その蝶結びのつくる弧の下に小さな赤い扇のような飾り(熨斗)が貼ってあ...

  9. 聖書の読み方・・・一つの方法

    聖書の読み方・・・一つの方法

    写真は、数十年前に朝、聖書を読んだ時に、書いたものです。多くの場合、聖書を読むのですが、読み終わった時に、何か漠然としたものがありました。目は聖書の文字を読み、書かれていることは何だか、わかった気がします。しかし、自分へのインパクトと言うか、手掛かりという点では何だか弱いという印象がありました。より正確に言うと、読んでいるとき、読み終わった直後は余韻があり、とても教えられた感じがするのですが...

  10. 須賀敦子の心を奪ったアン・M・リンドバーグの文章

    須賀敦子の心を奪ったアン・M・リンドバーグの文章

    アン・モロウ・リンドバーグは飛行家チャールズ・リンドバーグと1929年に結婚。自身も操縦・通信の技能を身につけ、女性飛行家の草分けとなり、1931年に夫妻で東洋への調査飛行を行い、その経験をもとにしたNorth to the Orient『翼よ、北に』で作家としてデビューしました。1955年に発表した『海からの贈物』はベストセラーを記録。数々の賞を受賞し文筆家としても評価が高い人です。 須賀...

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