"ごん兵衛" の検索結果 154 件

  1. 自由の女神とジョイポリス~ 1泊2日東京の旅2019.8.31-9.1その4

    自由の女神とジョイポリス~ 1泊2日東京の旅2019.8.31-9.1その4

    いよいよ東京も最終日。といっても初日と最終日しかないのだが、、、あちこち行く時間などないので、2日目もお台場。

  2. 孫たちを徳島港のフェリーまで送る

    孫たちを徳島港のフェリーまで送る

    昨日のこと・・・(玉葱老人を載せ忘れ)うずの丘大鳴門橋記念館内の道の駅うずしおでやってみたいことがあった玉葱型の帽子を頭に乗せればどんな感じになるんだろう?いっぺんかぶってみたいなぁ~お互いを見て大笑い~♪まさか夫がかぶるとは思わなかったちょっとイカレタ老夫婦・・・朝食前に潮の流れが穏やかな場所に漁船が群がった流れが荒くなれば逃げるように漁船がまとまって移動した徳島(鳴門)と兵庫(南あわじ)...

  3. [時代小説]佐伯 泰英「日の昇る国へ  新・古着屋総兵衛(18)」

    [時代小説]佐伯 泰英「日の昇る国へ 新・古着屋総兵衛(18)」

    佐伯 泰英さんの「日の昇る国へ 新・古着屋総兵衛(18)」(新潮文庫)を読了。前巻で著者自身が宣告したように、本シリーズも今巻をもって完結になった。徳川家康より特別の任を受けた大黒屋・鳶沢一族が存亡問題に苦悩していたとき、主人公グェン・ヴァン・キこと、今坂勝臣が姿を現し総兵衛十代目に就いた。勝臣は武と商の両面から大黒屋を再建し、“武”では鳶沢一族と今坂一族や柘植衆などを融合させ、また一芸を...

  4. 京都の円山公園

    京都の円山公園

    平安神宮神苑から円山公園へ移動。同じ七代目小川治兵衛が作庭したと知り訪ねました。何回か来たことがありますが、今回は視点を変えて散策です。円山公園は八坂神社、知恩院に隣接し、「祇園枝垂桜」に代表される桜の名所で、明治維新までは八坂神社や慈円山安養寺、長楽寺、雙林寺の境内の一部だったとか。明治初年の廃仏毀釈の一環として、土地が政府に没収され、1886年(明治19年)に総面積約9万平方メートルの公...

  5. 平安神宮(その5)東神苑

    平安神宮(その5)東神苑

    神苑は平安神宮の大極殿背後の周囲三方に配された南神苑、西神苑、中神苑、東神苑で構成される池泉回遊式の近代日本庭園。面積は33,000平方メートルと広大です。作庭は小川治兵衛(植治)。国の名勝に指定されています。東神苑は中神苑や西神苑よりもかなり遅く、1916(大正5)年に作庭されたものです。神苑では最も大きな栖鳳池(せいほういけ)の廻りから尚美館(貴賓館)を望む風景と、中央に架かる橋殿、泰平...

  6. 平安神宮(その4)中神苑

    平安神宮(その4)中神苑

    神苑は平安神宮の大極殿背後の周囲三方に配された南神苑、西神苑、中神苑、東神苑で構成される池泉回遊式の近代日本庭園。面積は33,000平方メートルと広大です。作庭は小川治兵衛(植治)。国の名勝に指定されています。中神苑は蒼龍池(そうりゅういけ)を中心にした庭園です。臥龍橋(がりゅうきょう)という、天正年間に豊臣秀吉が造営した三条大橋と五条大橋の橋脚の石材を使った飛び石があります。植治らしさを感...

  7. 平安神宮(その3)西神苑

    平安神宮(その3)西神苑

    神苑は平安神宮の大極殿背後の周囲三方に配された南神苑、西神苑、中神苑、東神苑で構成される池泉回遊式の近代日本庭園。面積は33,000平方メートルと広大です。作庭は小川治兵衛(植治)。国の名勝に指定されています。西神苑には白虎池と四阿(あずまや)があり 6月には池畔に200種2000株の花菖蒲が咲くそうです。平安神宮西神苑1895(明治28)年名勝作庭:七代目小川治兵衛(植治)京都市左京区岡崎...

  8. 平安神宮(その2)南神苑

    平安神宮(その2)南神苑

    平安神宮の神苑は、平安神宮の大極殿背後の周囲三方に造園された、南神苑、西神苑、中神苑、東神苑で構成される池泉回遊式の近代日本庭園。面積は33,000平方メートルと広大です。作庭は小川治兵衛(植治)。国の名勝に指定されています。1895(明治28)年に、平安遷都千百年祭が開催されるときに創建されることになった平安神宮の社殿一帯の風致保存のために、神苑造営が企画されました。南神苑は平安の苑と言わ...

  9. がんこ高瀬川二条苑(その2)高瀬川源流庭苑

    がんこ高瀬川二条苑(その2)高瀬川源流庭苑

    高瀬川二条苑は、1611(慶長16)年に、高瀬川の開削者である豪商、角倉了以(すみのくらりょうい)が源流に建設した別邸跡にある日本庭園。高瀬川源流庭苑とも呼ばれ、小堀遠州(1579-1647)が江戸時代初期に作庭した茶庭が残っています。明治時代になって、第二無鄰庵を整備するときに7代目小川治兵衛(植治)が改修し、現在の姿になっているそうです。がんこ高瀬川二条苑高瀬川源流庭園江戸時代初期 / ...

  10. たそがれ清兵衛の瀬へ

    たそがれ清兵衛の瀬へ

    国土交通省のお達しで管理道路は使用できないマスを狙いに来たのだが電光掲示板で『ます』をすでに釣ってしまい今日はもうないだろうなぁだが身支度をして土手を乗り越えようとするとランニングされる方と目の前を通過する女性だったので遠くへ行ってからパシャリだが通行止めは車だけで歩行や走りは大丈夫なのかな?そして土手を外れ農作業の影響で濁る中川を渡り小道を進む河畔林を抜ければそうたそがれ清兵衛が釣りをして...

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