"伊庭貞剛" の検索結果 4 件

  1. オレの勝手

    オレの勝手

    江上剛『住友を破壊した男――伊庭貞剛伝』を読みました。伊庭貞剛(1847-1926年)は、第2代住友総理事。住友が江戸時代から開発してきた別子銅山の煙害問題に取り組み、植林を進め、開発で荒廃した森の再生を実現し、おりしも足尾銅山で鉱毒問題に取り組んでいた田中正造をして「やはり住友は違う」と評させました。ちょうど蓼科で、思い出深い旧山荘から、隣りの森のいまの山荘に移るきっかけとなったのが、旧山...

  2. 「お初の根津」の続き

    「お初の根津」の続き

    前回に引き続きます。先に出向いた上野は、東京都美術館。この銀色の作品が目印ですね。観に行ったのは、公募展と雑誌かテレビかで知った、伊庭靖子展。なんと同じ時期に、同じ美術館でやっていたのです。ラッキーでした。まずは公募展。知人の作品を見に行きました。ありました、非常に大きい作品。大部分は和紙だそうです。知人は小柄な女性ですが、明るくとてもパワフルな方。まじかで見たパネル制作が楽しくてしょうがな...

  3. ★ Still Life

    ★ Still Life

    昨日は東京都美術館に「伊庭靖子展」を見にいった。最近、絵が見たい。でも、あんまり主張の強いものは見たくないし、人で混んでるところにも行きたくない。この方を全く存じ上げないのですが、展覧会のHPを見ると、大丈夫(笑)かな、と。布地や陶磁器などを写真に撮って、それを絵にしているそうだが、どんな作品かも全く想像がつかなかった。油彩で、たぶん筆を滑らせるというより色を置く、という形で、画布に筆跡を残...

  4. 15-6■凶変

    15-6■凶変

    星亨はこの年明治三四年一月東京市会議長に当選した。市長松田秀雄は、恰も彼の部下のようであった。そして彼に対する新聞紙の攻撃は尚止まなかった。彼は心の底から、生まれ故郷の東京を愛した。彼は、東京築港にその全力を傾け、フランスから資金を輸入する計画もほとんど成功の見込みが付き、いよいよ近く実行に着手することになった。また、当時は全国各府県に教員の団体として、府県知事の監督の下に教育会が設けられて...

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