"信長の野望 rmt" の検索結果 228 件

  1. 豊臣秀吉が初めて主となった出世城、近江長浜城を歩く。その1<模擬天守>

    豊臣秀吉が初めて主となった出世城、近江長浜城を歩く。その1<模擬天守>

    琵琶湖の湖北に位置する長浜には、かつて天正3年(1575年)から約40年間、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)によって築かれた長浜城がそびえていました。長浜城は、秀吉が初めて織田信長から大名として領地を与えられ築いた城でした。 現在、その城跡には模擬天守が建てられ、その中は長浜城歴史博物館となっています。 天正元年(1573年)、北近江の小谷城攻めで功をあげた秀吉は、信長から小谷城主だった浅井氏の代...

  2. 近江横山城攻城記。その5<観音寺下山道>

    近江横山城攻城記。その5<観音寺下山道>

    「その4」のつづきです。横山城跡をすべて攻略したので、下山します。 「その2」で紹介した展望台まで戻ってきました。登りは峠地蔵経由のコースを登って来ましたが、帰路は誘導板にあった観音寺下山道を降りてみようと思います。 いざ、退却。 誘導看板に「十三仏巡拝」と書かれていたので、この下山道に13体の石仏があるのでしょう。 その1体目。 写真のように、下山道は急斜面にある細いつづら折りの道を降って...

  3. 続100名城のスタンプを押しに小牧山城へ

    続100名城のスタンプを押しに小牧山城へ

    前回小牧山城を訪れたのは2016.2.21だった。発掘調査中だった。続100名城のスタンプラリーが始まったのが2018.4.6、と言うことで改めてスタンプを押しに向かった。 小牧山城1563年、織田信長が築く。その昔、城は土から成ると書くように土塁で出来ていたのだが、この小牧山城で初めて信長が石を用いて城壁を作ったと言われている。つまり日本最古の石垣の城じゃないかとの説。前回同様、公園案...

  4. 近江横山城攻城記。その3<南城>

    近江横山城攻城記。その3<南城>

    「その2」のつづきです。展望台から尾根道を北に進むと、石仏のある場所の向こうに、堀切跡がありました。 いよいよ本格的な横山城跡の遺構が始まるようです。 土橋跡です。 小さな説明板がありました。 反対から見た堀切跡と土橋跡。 この階段の上に横山城南城の主郭があります。これはその南城切岸。 横山城は北城と南城に分かれる「別城一郭」の構造です。「別城一郭」とは、違う峰の上にそれぞれ主郭を持つ縄張り...

  5. 近江横山城攻城記。その1<観音寺登山口~峠地蔵>

    近江横山城攻城記。その1<観音寺登山口~峠地蔵>

    元亀元年6月28日(1570年7月30日)、姉川の戦いに勝利した織田信長は、すぐさまその3kmほど南の山上にある横山城を攻略し、小谷城攻めの拠点としました。今回はその横山城跡を攻めます。 横山城跡への登山口はいくつかあるようですが、この日は南東の大原観音寺からの登山コースを選びました。写真右に見えるのが観音寺の惣門、左上に見える鉄塔の立つ山が、山頂に横山城のある山です。観音寺は、あの石田三成...

  6. 姉川古戦場めぐり。その7<岡山(徳川家康の陣跡)>

    姉川古戦場めぐり。その7<岡山(徳川家康の陣跡)>

    「その6」のつづきです。織田信長の本陣跡と伝わる陣杭の柳から800mほど西に、岡山と呼ばれる低い丘陵地があります。ここは、元亀元年6月28日(1570年7月30日)に起きた姉川の戦いの当日、徳川家康が陣を布いた場所と伝わります。 写真は岡山の南側にかつて鎮座していた流岡神社の鳥居です。この背後の丘が岡山です。 6月24日、龍ヶ鼻砦に陣を布いて横山城を攻めていた織田信長のもとに、徳川家康は援軍...

  7. 姉川古戦場めぐり。その5<陣杭の柳(織田信長本陣跡)>

    姉川古戦場めぐり。その5<陣杭の柳(織田信長本陣跡)>

    「その4」のつづきです。茶臼山古墳から250mほど西に、「陣杭の柳」と呼ばれる柳の木があります。ここは、元亀元年6月28日(1570年7月30日)に起きた姉川の戦いの当日、織田信長が本陣を布いた場所と伝わります。 前稿で紹介した龍ヶ鼻砦に陣を布いて横山城を攻めていた信長でしたが、姉川対岸の北方2kmの大依山に陣を布いていた浅井長政は、6月27日の夜、密かに南へと兵を進め、陣田に着陣。浅井氏の...

  8. 姉川古戦場めぐり。その4<龍ヶ鼻陣跡(織田信長本陣跡)>

    姉川古戦場めぐり。その4<龍ヶ鼻陣跡(織田信長本陣跡)>

    「その3」のつづきです。姉川戦死者之碑から姉川を挟んで1kmほど南東に、茶臼山古墳という前方後円墳があります。ここは、元亀元年6月28日(1570年7月30日)に起きた姉川の戦いの際、その前日まで織田信長軍が本陣を布いた場所です。 6月中旬、北近江の有力国人で浅井長政に従っていた堀秀村が、竹中半兵衛の調略によって信長に寝返ると、信長はすぐさま浅井攻めを決心し、6月19日、軍が整わないまま近江...

  9. 姉川古戦場めぐり。その2<血川>

    姉川古戦場めぐり。その2<血川>

    「その1」のつづきです。姉川戦死者之碑から150mほど北上したところに、「血川」という物騒な川の名の伝承があります。ここも、元亀元年6月28日(1570年7月30日)に起きた姉川の戦いの激戦地となったところです。 説明板によると、この場所は浅井長政の軍が陣を布いた野村集落の南にあたり、この案内板の下には、かつて姉川の戦いで血に染まったと伝えられる血川が流れていたそうです。おそらく、織田信長軍...

  10. 姉川古戦場めぐり。その1<野村古戦場跡>

    姉川古戦場めぐり。その1<野村古戦場跡>

    元亀元年6月28日(1570年7月30日)、近江国浅井郡を流れる姉川を挟んで、織田信長、徳川家康連合軍と浅井長政、朝倉景健連合軍が激突しました。世にいう「姉川の戦い」です。過日、その古戦場跡をめぐってきました。 最初に訪れたのは、浅井軍と織田軍の間で戦闘が行われたと言われる長浜市野村町。看板には、「浅井軍×織田軍 合戦地」と書かれています。徳川軍と朝倉軍は、ここより少し西の血原と呼ばれる場所...

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