"売春" の検索結果 23 件

  1. 尼崎初島新地

    尼崎初島新地

    戦後の貸座席に時々見られるスタイルです。昭和33年2月17日の神戸新聞阪神版に尼崎の青線である初島、神崎両新地が出来たのが昭和30年で、市中心部の業者が辺鄙な場所に移ったとしています。尼崎現代史年表によれば、これに先立つ昭和29年9月12日初島新地では地鎮祭が行なわれ、昭和30年3月初島・戸ノ内(神崎)新地、反対をよそに着々工事進行とあります。30年10月4日の同紙には、難波新地、新天地、パ...

  2. 公娼

    公娼

    台湾の通信社が「離島・澎湖県の最後の公娼館が営業終了」という記事を流しています。「公娼」とは昨今の日本ではあまり目にしない言葉ですね。台湾に現存していたとはちょっと驚きです。この島に在籍する公娼は3人でいずれも50歳以上とのこと。失業するのでしょうか。記事は、台湾の別の一部地域ではまだ公娼が残っているようにも読み取れます。売春は古今東西に存在し、そして未来永劫なくならないものでしょう。法律な...

  3. 安倍晋三とカラテカの入江の闇!女性や美少年の売春仲介業か!?カラテカの入江の本業は闇営業の斡旋などではなく売春仲介業だったのではないか?

    安倍晋三とカラテカの入江の闇!女性や美少年の売春仲介業か!?カラテカの入江の本業は闇営業の斡旋などではなく売春仲介業だったのではないか?

    安倍晋三とカラテカの入江の闇!女性や美少年の売春仲介業か!?カラテカの入江の本業は闇営業の斡旋などではなく売春仲介業だったのではないか?安倍晋三は政治家への性サービスの提供のかかわりでフィクサー 入江と癒着していたのでは?byリチャード・コシミズ 2019.7.10FACTBF・RK対談にご参加いただき有難うございました。次回は、7.13(土)大阪芦原橋です! : richardkos...

  4. 中書島遊郭の歴史その八

    中書島遊郭の歴史その八

    昭和31年6月4日の京都新聞『廓の作者西口氏の場合』『春の宿が下宿屋に転業』『父祖の商売を捨て』『接客婦も管理人に更生』売春防止法が成立、貸席業者の行方が注目されている際、ベストセラー“廓”の作者、西口克己氏(43)がこのほど中書島で経営していた貨席を下宿屋に転業したが、これは法案の成立後転廃業を迫られている業者に一つの行き方として注目されている。西口氏の生家は著書“廓”に書かれているように...

  5. 売春防止法赤線、青線

    売春防止法赤線、青線

    彦根市袋町新地売春防止法が成立(完全施行は二年後)された直後の滋賀、京都の赤線、青線の様子が当時の新聞に捕らえられていましたので紹介させて頂きます。昭和31年5月23日、京都新聞滋賀県民版『赤線地帯暫くは成行を静観』“売春防止法”が二十一日遂に成立した。抜け穴だらけの法律とはいえ永年廃しょう運動に努力してきた婦人団体などの悲願が実ったといえよう。だが肝心の業者や接客婦たちはこの法律をどのよう...

  6. 米国で韓国人売春婦13人が逮捕される

    米国で韓国人売春婦13人が逮捕される

    米国で韓国人売春婦13人が逮捕される クイーンズのフラッシングとベイサイドなど、ロードアイランドに遠征売買に乗り出した韓国人女性13人が逮捕された。 ロードアイランドのポータケット警察署は先月28日、「ハーモニースパ」(Harmony Spa)と「ファーイースト指圧」(Far East Acupressure)を急襲し、店舗運営者であるオク某氏(64)など韓国人女性13人を違法性売買...

  7. スンリが日本へ遠征性売買の斡旋をしていた情報を検察が入手

    スンリが日本へ遠征性売買の斡旋をしていた情報を検察が入手

    スンリが日本へ遠征性売買の斡旋をしていた情報を検察が入手 ビッグバンのスンリが、「女性たちを性売買のために日本に送った」という情報を検察が入手したことが確認されました。 ソウル中央地検は先月末、歌手スンリの性売買斡旋疑惑が盛り込まれた情報提供を警察から引き受けました。 情報提供者のA氏は、「江南一帯の事業家が、スンリを近くで見守った」と明らかにした人物です。 情報提供には、日本の建設会...

  8. 京都パンパン赤線時代七十

    京都パンパン赤線時代七十

    売春防止法が発令される2年前の昭和29年1月30日の京都新聞の夕刊に「性犯罪がふえる全国の赤線業者売春取締法に反対」の記事が載りました。内容は全国赤線区域の業者約一万三千人で組織する全国性病予防自治会は、目下立案中とされる売春取締法に善処を要請するため、二十六日から東京日比谷の松本楼に鈴木理事ら全国の代表六十余人が集まって協議、自由党、改進党、社会党の代議士を招き各地の赤線の実情を訴えました...

  9. 京都パンパン赤線時代、六十九

    京都パンパン赤線時代、六十九

    嫁入り道具を買いためる娘も昭和29年11月3日の京都新聞夕刊にて一面を「人身売買デフレの園に咲く夜の仇花」の記事が載りました。京都市内には当時七つの色街があり接客婦(戦前娼妓と呼ばれた女)千六百六十三人、芸妓六百五十二人、業者八百五十六軒を数え、接客婦は暫増、芸妓は漸減の状態、その他温泉マークやホテルなどに女を雇う闇業者約百軒、外国人相手の街路婦も約三百人いました。【島原】お茶屋十八軒、貸席...

  10. 奈良のカフェー、女給

    奈良のカフェー、女給

    奈良公園のイケメン鹿『奈良県警察史昭和編』の四、大衆の享楽・遊興と警察活動の〔カフェー、ダンスホール〕に奈良県にいつごろから出現したか分からないと前置きした上で昭和5年にカフェー229(女給557)昭和7年に254(561)昭和9年に341(582)昭和11年に 262(652)の数字をあげ、その数が増加するにつれて、各カフェーに働く女性のサービスが過剰になり、風紀問題を醸すようになったと、...

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