"宮尾俊太郎" の検索結果 64 件

  1. 幕末京都逍遥その97「古高俊太郎遺髪墓(福勝寺)」

    幕末京都逍遥その97「古高俊太郎遺髪墓(福勝寺)」

    前稿、前々稿で紹介した教善寺・浄圓寺から北東に300mほどのところにある福勝寺に、古高俊太郎の遺髪墓があります。古高は攘夷派の志士で、池田屋事件の発端となった人物です。 古高俊太郎は近江国大津出身で、京都に移住したのち梅田雲浜に師事し、尊皇攘夷思想を学びます。その後、同士のひとりだった湯浅五郎兵衛の依頼で、湯浅喜右衛門の養子となり、小道具の「桝屋」を継いで枡屋喜右衛門と名乗ります。その「桝屋...

  2. 幕末京都逍遥その92「平野國臣以下三十七士之墓(竹林寺)」

    幕末京都逍遥その92「平野國臣以下三十七士之墓(竹林寺)」

    京都西陣にある竹林寺に、「その90」で紹介した六角獄舎で処刑された平野國臣をはじめとする37士の墓があると知り、足を運びました。 幕末、六角獄舎には多くの政治犯が投獄されていましたが、元治元年7月19日(1864年8月20日)の禁門の変(蛤御門の変)によって起きた大火災によって京都の町は火の海となり、火災に乗じて囚人が逃亡することを恐れた西町奉行所の役人・滝川具挙が、判決が出ていない状態のま...

  3. 幕末京都逍遥その90「六角獄舎跡(勤王志士平野國臣外十数名終焉之地)」

    幕末京都逍遥その90「六角獄舎跡(勤王志士平野國臣外十数名終焉之地)」

    二条城から500mほど南下したあたりに、江戸時代の京の牢獄「六角獄舎」がありました。正式名称は「三条新地牢屋敷」といい、六角通りにあったことから、「六角獄舎」または「六角獄」、「六角牢」などと呼ばれていました。 現在、六角獄舎跡の敷地はマンションが建っており、当時の痕跡を窺い知ることはできません。マンションの入口には、「勤王志士平野國臣外数十名終焉趾」と刻まれた石碑があります。幕末、この地で...

  4. わたしのすきな 谷川俊太郎 絵本

    わたしのすきな 谷川俊太郎 絵本

    わたしのすきな 谷川俊太郎 絵本詩人と画家、詩人と絵本作家、詩人とイラストレーター文を書かれる谷川俊太郎と、絵を描く作家。文と絵、ふたりの相性や、意思の疎通、理解、情熱、いろんなタイミングが合う絵本ってスゴイ!!それらの ちょうどいいお湯加減になった時に出来上がった絵本は、何倍も大きな作品となるんだと思うのです。わたしの絵本の愉しみ方のひとつには、その科学反応を見ることです。わたしのすきな ...

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