"建長寺" の検索結果 1021 件

  1. 北鎌倉円覚寺の紅葉2

    北鎌倉円覚寺の紅葉2

    12月13日の北鎌倉の円覚寺です。カメラはソニーα6600とタムロン18-300mmです。円覚寺の仏殿裏の方丈の庭園は「妙香池(みょうこうち)」と称する心字池を中心に築かれていて、夢想国師(夢窓疎石)が作庭したと言われています。夢窓疎石は鎌倉末期から南北朝室町時代までの臨済宗の禅僧で七朝帝師(7人の天皇から国師名を貰った高僧)「夢窓国師・正覚国師・心宗国師・普済国師・玄猷国師・仏統国師・大円...

  2. 2023日記【037】境界と自由548

    2023日記【037】境界と自由548

    .1976年、韓国南西の海底から沈没船が発見され、その船は1323年に遭難したことがわかった。船は東福寺(現:京都市東山区本町15-778)造営資金調達のため渡海していた。.船の建材は台湾松で、中国江南で建造されたと推察されている。こういう船は、日本では唐船と言われるが、その同じ船が中国に向かうと、先方では倭船と呼ばれるそうだ。さらに、乗務員は元(おそらく旧南宋人)、高麗(おそらく旧新羅人)...

  3. 火坂雅志黒衣の宰相(2022.02.02)

    火坂雅志黒衣の宰相(2022.02.02)

    黒衣の宰相と呼ばれるのは、この人だけではないそうですが、南禅寺の僧侶にして、徳川家康に知恵袋として厚く用いられ、幕政に深く携わった金地院崇伝。これまで建長寺の歴史の中に登場する人物という程度の認識しかなく(汗)、もう少し勉強しようと、この本を購入してみました。分厚い!上下2巻のうち上巻を読んだところです。崇伝は武門有数の名家(一色家)に生まれますが、既に家は落ちぶれ、南禅寺に入ります。でも崇...

  4. 古の学者は己の為にし、・・・憲問第十四、論語抄52

    古の学者は己の為にし、・・・憲問第十四、論語抄52

    子曰わく、・・・憲問第十四、論語抄52古の学者は己の為にし、今の学者は人の為にす。論語抄史跡足利学校より❝足利学校の歴史❞諸説がありますが、歴史が明らかになるのは、上杉憲実(室町時代)が、現在国宝に指定されている書籍を寄進し、痒主(学長)制度を設けるなどして学校を再建したころからです。鎌倉建長寺住持の、玉隠永璵は、長亨元(1487)年の詩文の中で「足利の学校には諸国から学徒が集り学問に励み、...

  5. 貧しくして怨むこと無きは難く、・・・憲問第十四、論語抄51

    貧しくして怨むこと無きは難く、・・・憲問第十四、論語抄51

    子曰わく、・・・憲問第十四、論語抄51貧しくして怨むこと無きは難く、富て驕ること無きは易し。❝足利学校の歴史❞諸説がありますが、歴史が明らかになるのは、上杉憲実(室町時代)が、現在国宝に指定されている書籍を寄進し、痒主(学長)制度を設けるなどして学校を再建したころからです。鎌倉建長寺住持の、玉隠永璵は、長亨元(1487)年の詩文の中で「足利の学校には諸国から学徒が集り学問に励み、それに感化さ...

  6. 君子にて不仁なる者有らん。・・・憲問第十四、論語抄50

    君子にて不仁なる者有らん。・・・憲問第十四、論語抄50

    子曰わく、・・・憲問第十四、論語抄50君子にて不仁なる者有らん。未だ小人にして仁なる者有らざるなり。❝足利学校の歴史❞諸説がありますが、歴史が明らかになるのは、上杉憲実(室町時代)が、現在国宝に指定されている書籍を寄進し、痒主(学長)制度を設けるなどして学校を再建したころからです。鎌倉建長寺住持の、玉隠永璵は、長亨元(1487)年の詩文の中で「足利の学校には諸国から学徒が集り学問に励み、それ...

  7. 徳あるものは必ず一言有り。・・・憲問第十四、論語抄49

    徳あるものは必ず一言有り。・・・憲問第十四、論語抄49

    子曰わく、・・・憲問第十四、論語抄49徳あるものは必ず一言有り。言有る者は必ずしも徳有らず。仁者は必ず勇あり。勇者は必ずしも仁有らず。❝足利学校の歴史❞諸説がありますが、歴史が明らかになるのは、上杉憲実(室町時代)が、現在国宝に指定されている書籍を寄進し、痒主(学長)制度を設けるなどして学校を再建したころからです。鎌倉建長寺住持の、玉隠永璵は、長亨元(1487)年の詩文の中で「足利の学校には...

  8. 剛毅木訥は仁に近し。・・・子路第十三。論語抄48

    剛毅木訥は仁に近し。・・・子路第十三。論語抄48

    子曰わく、・・・子路第十三。論語抄48剛毅木訥は仁に近し。❝足利学校の歴史❞諸説がありますが、歴史が明らかになるのは、上杉憲実(室町時代)が、現在国宝に指定されている書籍を寄進し、痒主(学長)制度を設けるなどして学校を再建したころからです。鎌倉建長寺住持の、玉隠永璵は、長亨元(1487)年の詩文の中で「足利の学校には諸国から学徒が集り学問に励み、それに感化されて、野山に働く人々も漢詩を口ずさ...

  9. 葉公、孔子に話げて曰く、・・・子路第十三、論語抄46

    葉公、孔子に話げて曰く、・・・子路第十三、論語抄46

    葉公、孔子に話げて曰く、・・・子路第十三、論語抄46我が党に直躬という者有り、其の父羊を攘みて、子之を証す、と。孔子曰く、吾が党の直き者は是に異なり、父は子の為に隠す。直きこと其の中に在り、と。❝足利学校の歴史❞諸説がありますが、歴史が明らかになるのは、上杉憲実(室町時代)が、現在国宝に指定されている書籍を寄進し、痒主(学長)制度を設けるなどして学校を再建したころからです。鎌倉建長寺住持の、...

  10. 司馬牛、君子を問う。・・・顔淵第十二、論語抄45

    司馬牛、君子を問う。・・・顔淵第十二、論語抄45

    司馬牛、君子を問う。・・・顔淵第十二、論語抄45子の曰わく、君子は憂えず、懼(おそ)れず、と。曰わく、憂えず、懼れず、斯(こ)れ之を君子と謂うべきか、と。子曰わく、内に省みて疚(やま)しからずんば、夫(そ)れ名にをか憂え、何をか懼れん、と。❝足利学校の歴史❞諸説がありますが、歴史が明らかになるのは、上杉憲実(室町時代)が、現在国宝に指定されている書籍を寄進し、痒主(学長)制度を設けるなどして...

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