"徳川" の検索結果 296 件

  1. 家康正室「築山殿」の名前の由来(「どうする家康」28)

    家康正室「築山殿」の名前の由来(「どうする家康」28)

    家康正室「築山殿」の名前の由来(「どうする家康」28) 「どうする家康」第10回で、於大が、「築山に住んでいるのだから築山殿と呼ばなくてはなりませんね」と話しかけて、瀬名が築山殿と呼ばれるようになりました。下写真は、総持寺に掲示されていた「築山殿」です。徳川家康の正室は、一般的に「瀬名」と呼ばれていますし、「どうする家康」でも「瀬名」ですが、正室の名前がどのような名前であったかを示す史料はあ...

  2. どうする家康第10話「側室をどうする!」~遠州忩劇と西郡局~

    どうする家康第10話「側室をどうする!」~遠州忩劇と西郡局~

    今回のサブタイトルは「側室をどうする!」ですが、ひとまず側室の話は後まわしにして、少しだけ描かれた歴史のお勉強をしましょう。 三河一向一揆によって松平家康(のちの徳川家康)が苦慮していた同じころ、遠江では今川氏真がピンチに陥っていました。本来であれば西三河での一向一揆の勃発は、氏真にとっては家康に反撃する絶好のチャンスだったはずですが、同じ時期に今川から離反する国衆が相次いでいたため、それが...

  3. 家康最初の側室西郡(にしのこおり)の方(「どうする家康」)

    家康最初の側室西郡(にしのこおり)の方(「どうする家康」)

    家康最初の側室西郡(にしのこおり)の方(「どうする家康」) 「どうする家康」第10回は、「どうする側室」というタイトルで最初の側室「お葉」が登場しました。「どうする家康」では、お葉と呼ばれていますが、多くは「西郡(にしのこおり)の方」と呼ばれています。「西郡(にしのこおり)の方」の本当の名前は不明で、「お葉」と言う名前は「どうする家康」でつけた名前だと思います。「西郡(にしのこおり)の方」...

  4. 世界遺産二条城

    世界遺産二条城

    二条城は戦う為の城というよりは、徳川幕府のその存在を朝廷にアピールし、京都の庶民にその力を見せつけた城。徳川家康が上洛時の宿所として1603年、関ヶ原の戦から3年後に落成した。 ライトアップされた二条城の顔ともいうべき東南隅櫓と東大手門が美しい。そして翌朝、2013年の修復工事で往時の姿によみがえった唐門、その奥に国宝二の丸御殿。この二の丸御殿で265年続いた江戸幕府が終焉を迎えることにな...

  5. 徳川家康と東海オンエアで盛り上がる岡崎

    徳川家康と東海オンエアで盛り上がる岡崎

    今回は徳川家康やYouTuber東海オンエアのゆかりの地として盛り上がる岡崎についてです。まず家康について。市内には家康が生まれ育った岡崎城の他、菩提寺の大樹寺や家康を祀った瀧山東照宮など家康の生きざまが感じられる場所が点在していて、家康ゆかりの地を巡るバスツアーが人気だそうです。<岡崎城><徳川家康像(岡崎公園)>特に今年1月に大河ドラマ「どうする家康」の放送に合わせて、岡崎公園内に大河ド...

  6. 松平東照宮《松平郷⑴》(徳川家康ゆかりの地38)

    松平東照宮《松平郷⑴》(徳川家康ゆかりの地38)

    松平東照宮《松平郷⑴》(徳川家康ゆかりの地38) 徳川家康の先祖は松平親氏とされていますが、松平氏の発祥の地が松平郷です。つまり、松平郷は徳川家康のルーツの地でもあります。松平郷は、現在は豊田市にあり、岡崎城に行った際に、少し足を伸ばして、訪ねてきましたので、数回にわたった松平郷を紹介をします。松平郷は、豊田市の中心市街地から東に10キロほどあるため、車で20分以上かかります。実際に訪ねてみ...

  7. 三河一向一揆、終結する(「どうする家康」26)

    三河一向一揆、終結する(「どうする家康」26)

    三河一向一揆、終結する(「どうする家康」26) 「どうする家康」第9回では、三河一向一揆が終結しました。三河一向一揆は、家康側にも、一揆方にも、決定的な勝利を収める機会がなく、時が過ぎていきました。「どうする家康」では、膠着状態に陥った争いを動かしたのが、叔父水野信元の進言であったと描かれていましたが、このことは、「新編岡崎市史」によれば、一揆方の渡辺半蔵守綱(「どうする家康」では木村昴さん...

  8. どうする家康第9話「守るべきもの」~三河一向一揆の戦後処理~

    どうする家康第9話「守るべきもの」~三河一向一揆の戦後処理~

    三河一向一揆の実際の戦闘の経緯については、史料によって情報が錯綜していて、月日などは明確ではありませんが、通説では、永禄6年(1563年)秋にはじまり、激戦となったのは年が明けた永禄7年(1564年)正月からでした。前話で描かれていた上和田砦の戦いでは、松平家康(のちの徳川家康)自身が銃弾を2発受けるも、固い具足に守られて命拾いしたという一幕もありましたが、全体としては、やはり家康方が優位に...

  9. 可睡齊ひな祭り

    可睡齊ひな祭り

    徳川家康公ゆかりの地袋井市に有る可睡齊のひな祭りを見てきましたその1大書院廊下可睡齊独自のお雛様お経が聞こえて来る様な空間です巨大な「桃」の書と七段飾り可睡和尚と家康公「どうする家康」の松本潤さん男雛"人生が潤うお守り「潤」"を持っておいでです

  10. 本證寺住職空誓は蓮如の曽孫(「どうする家康」25)

    本證寺住職空誓は蓮如の曽孫(「どうする家康」25)

    本證寺住職空誓は蓮如の曽孫(「どうする家康」25) 「どうする家康」では、空誓上人が、三河一向一揆で、重要な役割を果たしています。そこで、今日は、空誓上人について書いていきます。 空誓上人は、蓮如上人の曽孫と紹介されていますので、まず、蓮如上人および本願寺の歴代宗主について説明します。蓮如上人は、本願寺8世宗主で、中興の祖と称されています。本願寺第7世存如(ぞんにょ)の長子として生まれました...

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