"東慶寺" の検索結果 599 件
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建長寺四ッ頭茶会
【鎌倉建長寺四ッ頭茶会】毎年10月24日、鎌倉の建長寺で四ッ頭茶会が催されます。感染対策万全で今年は人数も600名→420名に減らし、3年ぶりの開催となりました。お茶仲間と出かけてきました。四ッ頭茶会は中国の宗・元時代に禅院で行われた茶礼作法です。日本には鎌倉時代に禅と共に伝えられました。清規に従う厳粛な礼法であり、わび茶の源流ともなっているそうです。客は抹茶が入った天目茶碗を持ち上げ、僧侶...
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太田市重要文化財めぐり
太田市に行った日に立ち寄ったのは旧中島家住宅、曹源寺さざえ堂、長楽寺・東照宮、縁切寺の満徳寺と資料館。まずは、中島飛行機の創設者である中島知久平が両親のために建てた邸宅。唐破風屋根の威圧感のある車寄せがデーンと。入ってすぐの第二応接室・奥が第一応接室。こちらは洋風。次之間・客間の建物は外から見学できるけど、かなり中は傷んでるこの写真ではあまりわからないけど、襖や障子がボロボロだった…このヒマ...
2022/10/25 01:40 - いつもココロに?マークタグ: 群馬 -
世の中には作者が不明だけど素晴らしいものが沢山残されている。サントリー美術館と根津美術館を訪ねて。
今回のサントリー美術館の展示で大阪市立美術館の写真を見ると、土蔵風のなんとも魅力的な建物ではないですか。ここの美術館の土地もまた富豪の三井家から寄贈されたものです。設計はそれほど著名な人ではなく大阪市建築課ということですが、なかなかに凝った美しい建物です。大阪には何度も行ったことがあるのですが、ここの存在は全く知りませんでした。(下が借り物の写真、大阪市立美術館の入り口です)今回のサントリー...
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素晴らしい記念茶会でした
先日東慶寺さんのお茶会に出かけてきました。東慶寺さんと縁の深い仏教学者の【鈴木大拙居士生誕150周年記念茶会】です。大拙居士の位牌を前にご住職と共に読経をさせていただいたこと、ご住職から大拙居士のお話を聞けたこと、大変良い経験となりました。大拙居士は海外に禅や仏教文化を広く示した方です。円覚寺で修行され、晩年は東慶寺に隣接する松ヶ岡文庫に住まわれ、研究執筆をされていたそうです。濃茶席は大拙居...
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秋の桜 そして これはフユハナワラビ?
秋咲きの桜に出会えました。春の桜のように華麗ではないけれどふんわりやさしい風を運んでくれるような静かな佇まいです。十月桜?秋に咲く桜には冬桜、四季桜などいくつかあるようですが・・・やわらかな色の花びらが心を包んでくれました。あのぞいてる。何が見えますか?ここは川崎市の柿生にある東慶寺。ここで不思議な花(?)をみつけました。フユハナワラビ(冬花蕨)??子持ち昆布のようなこの粒はつぼみでしょうか...
2022/10/20 20:39 - 風と花を紡いで -
自堕落な日本
鉄道150年の鉄道の日(14日)で、ラジオは鉄道にちなんだ曲のオンパレードだ。「A列車で行こう」とかジャズにも鉄道が出る曲は多いし、クラシックでは「パシフィック231」が思い出されるし、日本の軽音楽にも「あずさ2号」とか歌謡曲の「哀愁列車」などずいぶんある。「鉄道と聞いてさいしょに思い出す曲は?」と訊かれたら、皆さんはどんな曲をあげますか。「鉄道唱歌」?「汽車汽車しゅっぽしゅっぽ」の「汽車ポ...
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コスモス畑でーその2調整池のカモたち
・ コスモス・昨日に続き清瀬金山緑地公園近くのコスモスの花です。一回で終わらせるには綺麗な花が多くて二回に分けて載せています。この日は大きな蝶はきませんでしたが、蝶も少し撮れました。東慶寺の観音様の足下から、遠くコスモス畑が見えます。ビル何階分もあるような急坂を下っていったところにコスモスが咲いています。東慶寺の境内にシジュウカラがいました。ガビチョウも一瞬見ましたが、すぐに飛ばれて写せませ...
2022/10/12 05:24 - 子猫の迷い道Ⅱ -
素晴らしいコスモス畑でした-その1
・コスモス ・コスモスの群生が見たいなと思ったときに、これまで見たいと思っていても見ていなかった清瀬金山緑地公園の近くのコスモス畑を思い出しました。毎年咲き終わってからの様子は見ていましたが、この場所に行き始めるようになって初めて見ることができたコスモス畑は素晴らしかったです。その美しさに私の写す写真が追いつけないのが悔しく思いました。広い広いコスモス畑には通路があちら方面、こちら方面へとい...
2022/10/11 06:03 - 子猫の迷い道Ⅱタグ: 山野草 -
「磯田光一納骨式挨拶-阿川弘之」文春文庫89年版ベスト・エッセイ集から
「磯田光一納骨式挨拶-阿川弘之」文春文庫89年版ベスト・エッセイ集から本日は磯田光一さんの納骨式にお招きを受けまして、その上スピーチの御指名にまであづかり、たいへん光栄でありますけれど、おかげで並ゐる各社の編集者や作家評論家のみなさん方に、私の墓所が此処、鎌倉の浄智寺にあることが露見してしまひました。露見したつて構はないと言へば構わないのですが、以前私は、死後墓なんぞ要らない、自分の灰はどこ...
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20220911
江戸時代、夫と離縁したい妻が駆け込んだ施設に縁切寺(えんきりでら)がある。相模国(神奈川県)・鎌倉の東慶寺と上野国(群馬県)の満徳寺が知られる▲妻が寺に入れば足かけ3年で夫は強制的に離縁された。このため、後には日数を経ず示談で離縁が成立するようになった。妻が駆け込みをほのめかすだけで、離縁できたケースもあったという(「三くだり半と縁切寺」高木侃(ただし)著)▲さて、この縁はきっぱりと断ち切れ...
2022/09/12 04:16 - column