"池大雅" の検索結果 31 件

  1. 江戸絵画の文雅

    江戸絵画の文雅

    [副題]魅惑の18世紀[見学日]2018年11月16日[会場]出光美術館 気が付けば令和も4年目に入ったが、新たな時代に入ってほどなく、全世界が未曽有の状態となり、予想だにしなかった生活環境の激変に自身は未だ適応できていない。このような有様なので、平成時代に鑑賞し記事がまとまっていない展覧会の記憶は薄れていく一方、表記展覧会についてももはや情報源は思い出せないが、以前に見て大感激した池大雅の...

  2. 孤独と共同の二重性与謝蕪村@「日本精神史」

    孤独と共同の二重性与謝蕪村@「日本精神史」

    けさは循環器内科、まいつきの検診が半年空いた。五時起きで洗濯などして病院に着いて、診察カードを出そうと思ったら、ない!きのう念をいれて、これだけ取り出しておいたのだが、入れておいたはずのパス入れにない。さては、また?とマジ青くなったが、深呼吸してトートのなかをもう一度探したら、セカンドバッグの脇のポケットにちやんといてくれた、よしよし。受け付け番号は一番!いい気分。採血後、空きっ腹をみたすべ...

  3. 大雅をめぐる人びと(Monologue of Ike no Taiga 25)

    大雅をめぐる人びと(Monologue of Ike no Taiga 25)

    池大雅「龍山勝会図屏風」(部分)Gathering at Dragon Peak(detail)snowdropの覚書き人は一人で生きているのではない。そのことを池大雅ほどよく気づかせてくれた芸術家は少ない。大雅の絵と書について綴っていると、大雅の周りの人々が一人、また一人と肉声で語り始めた。大雅の愛する人々を、私もどんどん好きになっていった。いま、大雅をめぐる歌物語の余韻にひたりながら、大...

  4. 桃源郷へ(Monologue of Ike no Taiga 24)

    桃源郷へ(Monologue of Ike no Taiga 24)

    咲き分けの桃(4月1日)*bi-color peach blossoms on April 1th五十四の春に、私は病んだ。医師(くすし)の心得もある友人の高芙蓉が、薬をもって見舞いに来てくれた。しかし、私は薬を飲まなかった。妻の玉瀾が珍しく怒った。「なんでお薬を飲んでくれはらへんのどす?このままやったら…」「このままでええんや。わても五十の坂を越えた。無理はせんと、自然に任せたい。」「せや...

  5. 蕪村 VS 大雅、夢の競作!(Monologue of Ike no Taiga 23)

    蕪村 VS 大雅、夢の競作!(Monologue of Ike no Taiga 23)

    蕪村の堤を目指して(2016年11月)銀橋を越え毛馬橋を越えゆけば蕪村の生まれし堤は近し十便十宜図明和8年(1771)川端康成記念會所蔵The Ten Conveniences (by Taiga) and the Ten Pleasures (by Buson) , owned by Kawabata Yasunari Foundation 「旦那さま、なにやら浮かんお顔どすな」「ああ、玉...

  6. ユメノクニ(Monologue of Ike no Taiga 22)

    ユメノクニ(Monologue of Ike no Taiga 22)

    参考*『大阪道修町の商家小西家の佇まい』a typical merchant-house in Dosho-machi Town, Osaka池大雅筆自賛「洞庭赤壁図巻」(右半分)作品図版はすべて京博展覧会図録より複写Red Cliff on Lake Dongting painted by Taiga (right half)わが四十代最後の一年、明和八年(1771)は多忙な年であった。そ...

  7. 絵師の恩返し(Monologue of Ike no Taiga 21)

    絵師の恩返し(Monologue of Ike no Taiga 21)

    それから我々は別々に暮らし始めた。祇園下河原の真葛原草堂に妻を残して、私は、知恩院古門前袋町に居を構えた。さて、私が七才のとき、師の一井に連れられて、宇治の黄檗山にある萬福寺を訪ねたことを覚えておいでだろうか。鳥のさえずりめいた華音(中国語)の喝采を浴び、書画への道を一歩踏み出した、なつかしい寺。その寺が明和九年(1772)、開山の隠元禅師百回忌を迎えることになった。記念すべき年を前に、寺の...

  8. 瀟湘八景ってなあに?(Monologue of Ike no Taiga 20)

    瀟湘八景ってなあに?(Monologue of Ike no Taiga 20)

    京の印象派、登場。IMPRESSIONISME in Kyoto瀟湘勝概図屏風(瀟湘の景勝地を概観する図の屏風)(部分)Panoramic Eight Views of Xiao and Xiang by Taiga (detail)なぜだろう、私は後世、「京の印象派」と呼ばれたりするのだとか。私が戸外で絵筆をとったから?こんな点描の絵を描いたから?西海の彼方で、モネやスーラという画家たちが...

  9. 2(Two) * 玉瀾のつぶやき * Gyokuran on Twitter

    2(Two) * 玉瀾のつぶやき * Gyokuran on Twitter

    11月22日は「いい夫婦」の日です。うち、池玉瀾(いけのぎょくらん)、絵師どす。江戸時代の文人画家、池大雅の妻として知られてます。あの日、保津川で、うちが旦那さまと舟に乗ることは無かったけど平成三十年の京で二人、舟を漕ぐ夢を見ましてん。まだ台風が来てへん初夏の川の上、二人とも画帖ならぬスマホも出さんと、ただ水の色を眺め、さらさら流れる川の音を聴いてました。なぁんもせえへん時間がこないにゆっく...

  10. 夫婦で保津川下りへ(Monologue of Ike no Taiga 19)

    夫婦で保津川下りへ(Monologue of Ike no Taiga 19)

    むかし君とくだりし川のもみぢ葉よ朱(あか)より赭(あか)へうつろひにけりmaple leaves along Hozu RiverI saw with you !they have turnedfrom vivid red to brownish red保津峡(1990年代秋)*Hozu Riverいつだったか、妻の玉瀾を誘って、保津川下りへ出かけたことがある。思えば二十代から三十代にかけて...

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