"浅野内匠頭" の検索結果 5 件

  1. 赤穂高取峠の早駕籠像に見る、浅野内匠頭刃傷沙汰の報せにかかった労力と経費。

    赤穂高取峠の早駕籠像に見る、浅野内匠頭刃傷沙汰の報せにかかった労力と経費。

    前稿までシリーズ5回に分けて赤穂城跡めぐりを紹介してきましたが、その帰路、赤穂市と相生市の境にある高取峠にある駕籠かきの像が目に入り、立ち寄ってみることにしました。 駕籠かきが4人いるので、早駕籠のようですね。 説明板によると、この早駕籠は元禄14年(1701年)3月14日に江戸城松之廊下で勃発した浅野内匠頭長矩の刃傷沙汰を知らせるための使者が乗った駕籠だそうです。 事件が起きたのは3月14...

  2. 桜満開の赤穂城を歩く。その5「水手門、塩屋門」

    桜満開の赤穂城を歩く。その5「水手門、塩屋門」

    「その4」の続きです。シリーズ最後は、赤穂城二ノ丸南側の水手門跡からスタートです。 かつて赤穂城の南はヨシ原が広がる干潟に面していて、満潮時には海水が石垣に迫るほどだったそうです。ここ水手門は、赤穂湾に出るための船着き場だったそうです。 こちらはその説明板。 現在、水手門の南には水堀があります。海はこれより1km以上南。往時とはまったく地形が変わってしまっています。地面に見られる四角い礎石跡...

  3. 桜満開の赤穂城を歩く。その4「元禄桜苑」

    桜満開の赤穂城を歩く。その4「元禄桜苑」

    「その3」の続きです。赤穂城本丸の東側にある厩口門を出て、二ノ丸南に向かいます。写真は、本丸側から見た桜と厩口門の高麗門。 天気が曇りじゃなかったら、もっと綺麗だったでしょうね。 門の外にも桜が見えます。 こちらは本丸の外から見た厩口門。 正保2年(1645年)に入封した浅野長直によって築かれた赤穂城ですが、浅野家は3代当主の浅野内匠頭長矩の刃傷事件が起こり、改易となります。城は一旦、お隣の...

  4. 江戸城を歩く。その6「本丸」

    江戸城を歩く。その6「本丸」

    「その5」のつづきです。中雀門を入ると、本丸跡です。現在は芝生広場になっていますが、かつてはここに本丸御殿がありました。御殿など建物は、長い江戸時代のなかで何度も焼失しては再建されてきましたが、文久3年(1863年)の火災で焼失し、その後は再建されませんでした。 御殿は南から表・奥・大奥の三区域から成り、江戸時代初期にはその奥に天守がありました。その広さは約3 万4540 坪に及んだそうです...

  5. 【赤穂浪士討入】「吉良からすればテロ」「人々の不満が幕府に来ないように利用されたのでは」

    【赤穂浪士討入】「吉良からすればテロ」「人々の不満が幕府に来ないように利用されたのでは」

    「吉良からすればテロ」「人々の不満が幕府に来ないように利用されたのでは」本日は、職場の老人ホームのレクの時間に私が「刃傷松の廊下」を唄いました。大変盛り上がりました(笑)その上で、「でも、吉良は悪い人ではなく良い政治をしていたと言う説もあります。吉良からすればとんだ災難でしょう。」「浅野が刀を抜いたのに相手を討ち漏らしたのは士道不覚悟でカッコ悪かった。だから、大石内蔵助も引っ込みはつかなかっ...

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