"賀茂川" の検索結果 676 件

  1. 史跡加茂遺跡(川西市)

    史跡加茂遺跡(川西市)

    加茂遺跡は兵庫県南東部、川西市の南部に位置している。川西市は北摂山地を北から南へ流れる猪名川周辺の山地と盆地にあり、遺跡のある川西市の南部は大阪湾に面した西摂平野と接している。加茂遺跡は、猪名川の西岸にある台地上の北東部突端にあり、猪名川支流の最明寺川が遺跡の周りを大きく曲がって猪名川に注ぐ。 明治44年(1911年)に台地の東部崖裾で大型銅鐸の「栄根銅鐸」が出土。それをきっかけに遺物採集が...

  2. 谷崎潤一郎『磯田多佳女のこと』祇園白川へ

    谷崎潤一郎『磯田多佳女のこと』祇園白川へ

    京都祇園甲部の芸妓で、祇園新橋に営業していたお茶屋『大友』の女将だった人物が漱石や谷崎をこれほどまでに惹きつけたことは驚きでした。その女性とは磯田多佳、10代で芸妓となり、23歳で母の家業を継ぎ、夏目漱石をはじめ谷崎潤一郎、吉井勇など多くの文学者と交流し、「文学芸妓」「文芸芸妓」と呼ばれるようになりました。谷崎潤一郎は昭和7年に発表した『青春物語』で、明治45年に磯田多佳との出会いを述べてい...

  3. 笹谷村の小学校創設を散歩情報で確認する33信夫郡第4区25

    笹谷村の小学校創設を散歩情報で確認する33信夫郡第4区25

    上名倉村外八ヶ村の中の桜本村・土船村・庄野村(=元信夫郡第4区) その余談の5「浄楽園の情報」⑤ 君が代も我が世もつきじ石川や瀬見の小川の絶えじと思えば 前回、実朝公が詠んだこの歌は「金槐和歌集」の「祝の歌」として載せられることを記した。この歌は、鴨長明氏の次の和歌を本歌としたものだ。石川や瀬見の小川の清ければ月も流れも尋ねてぞすむ (石川の瀬見の小川は水の流れが清いので、月もこの流れを尋...

  4. 賀茂川で戯れる親子20230109

    賀茂川で戯れる親子20230109

    賀茂川で戯れる親子20230109賀茂川は普段は水量もそれほどではありません。というのも鴨川デルタで高野川との合流で水量が増える前だからです。ただ山が近いこともあり、大雨が降ると急に水量・水流が増し、暴れ川としても有名です。そのせいもあって、かわの治水工事が行われてきていますが、この段渠や飛び石もその産物です。その産物がこの川には幾つもあり、近所の人たちの憩いの場にもなっています。この親子連...

  5. 賀茂川でエサ獲り「カモの舞」20230109

    賀茂川でエサ獲り「カモの舞」20230109

    賀茂川でエサ獲り「カモの舞」20230109賀茂川には、沢山の水鳥がいます。冬の時期は渡り鳥も増えて賑やかになりますが、たまたまえさをついばむ鴨の番(つがい)がいました。川底の方に頭から突っ込み、餌を取っているようでした。まことにユーモラスな感じでしばらく観察していました。この項<完>

  6. 賀茂川「北山橋辺りからの景色」20230109

    賀茂川「北山橋辺りからの景色」20230109

    賀茂川「北山橋辺りからの景色」20230109賀茂川の北山通りには「北山橋」が架かっていますが、そこから眺める景色は、気に入っています。特に上流は真っすぐ続く川の景色と、遠くに見える北山山系です。この日は、京都特有の霞が買ってあまりすっきりとは見えませんが、これから緑が増えてくると楽しみです。この項<完>

  7. 賀茂川「半木の道沿いの風景」20230109

    賀茂川「半木の道沿いの風景」20230109

    賀茂川「半木の道沿いの風景」20230109植物園の北山通りに面した、「賀茂川門」を出て、左に歩くと200m程で鴨川に出ます。そこから川沿いに下る土手の道が「半木(なからぎ)の径」といいます。300m位の距離でしょうか。この半木の径は、春になると紅枝垂桜の咲く素晴らしい光景となるところですが、今は散歩道というところです。川の河原には、サイクリングロード兼歩道があり、人々が行きかいますが、川に...

  8. 2023日記【008】境界と自由519

    2023日記【008】境界と自由519

    .いつの頃か年月は不明だが、賀茂社で催された歌会で、鴨長明は次の歌を詠む。.■石川や瀬見の小川の清ければ月も流れを訪ねてぞ住む.その時の判者は「石川とか瀬見の小川とかいう川、そんな川はないだろう」として、長明は負けになった。.これが長明の手のこんだ罠で、この判定はおかしいという噂が流れ(あるいは長明自身がそういう噂を流し)判者を変えて再調査が行われた。長明はその際「石川、瀬見の小川というのは...

  9. 正月の思い出

    正月の思い出

    【自分史】幼い頃の正月の思い出・・・家族揃ってお父ぉはんの挨拶を聞いた後は袖口から出されたお年玉をもらってホクホクしながら京都の白味噌雑煮を食べて「ユリヤ」(オモチャ屋)に直行・・・奴凧を買って再び家でお父ぉはんと新聞紙でしっぽを作ってから賀茂川(紫明通のどんつき)に揚げに行きます^_^多分この時は父も子供に還っていたのか、どこの誰よりも長めの凧糸を蒲鉾板に巻いてあって凧が点になるほどの高さ...

  10. 明治42年鴨川デルタ付近の光景(永井荷風『冷笑』)

    明治42年鴨川デルタ付近の光景(永井荷風『冷笑』)

    年末に京都を訪ね、鴨川を散策した際のお話を続けます。万城目学『鴨川ホルモー』で、葵祭りの牛車を引くアルバイトを終えた京大生の主人公安倍と高村が、三条木屋町居酒屋「べろべろばあ」に向かう場面からです。<賀茂川はやがて、北東から流れてくる高野川と合流して、鴨川と名称を変える。その二つの川の合流点に存在する、三角形のぽっかり空いた、だだっ広い石畳に覆われた地形。誰が呼んだか鴨川デルタ。中世には戦場...

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