"#古代アーク" の検索結果 169 件

  1. 古代の鉄と神社Ⅰ.ー「鉄」を知る③「大国主命」

    古代の鉄と神社Ⅰ.ー「鉄」を知る③「大国主命」

    古代の鉄と神社Ⅰ.「鉄」を知る③大国主命「鉄」を知る1⃣「稲作と金属」「鉄」を知る2⃣「祭祀と古代文化」では、「鉄」をはじめとする金属が弥生期以降のわが国では重要な役割を担っていたことを記した。今回は少し趣向を変え「鉄」を知るために 国土開発の神とされる「大穴持命(大国主命)」を取り上げてみたい。出雲大社の大国主命像2019年4月27日(土)撮影出雲大社には複数の大国主命像あり、参拝客は像を...

  2. 古代の鉄と神社Ⅰ.ー「鉄」を知る②「祭祀と古代文化」

    古代の鉄と神社Ⅰ.ー「鉄」を知る②「祭祀と古代文化」

    古代の鉄と神社Ⅰ.「鉄」を知る②祭祀と古代文化「鉄」を知る①「稲作と金属」では、弥生期の製鉄(露天たたら製法)について考えた。今回は「祭祀と古代文化」について考えたい。1⃣「鉄」と「青銅器」「鉄」を知る①「稲作と金属」では、「わが国は金属が伝わった段階で、石器、青銅器、鉄器の併存状態だった 」と記した。本来ならば石器➡青銅器➡鉄器と進化するのだが、わが国は中国文明から離れた辺境の地だったので...

  3. 古代の鉄と神社Ⅰ.ー「鉄」を知る①「稲作と金属」

    古代の鉄と神社Ⅰ.ー「鉄」を知る①「稲作と金属」

    古代の鉄と神社Ⅰ.「鉄」を知る1⃣稲作と金属神社を題材とする際、私にとって「鉄」あるいは「金属」がネックだった。弥生から古墳期にかけての象徴である「鉄」や銅、水銀などの「金属」を避けていたのでは、古代豪族やその祭祀を深堀することはできない。今回からは「鉄」をシリーズで取り上げてみたい。1.弥生時代の農具は何だったかわが国では縄文晩期より稲作が始まっている。稲作が生産の基本だった。縄文晩期に稲...

  4. 但馬の式内社③ 彦坐王を祀る「男坂神社」

    但馬の式内社③ 彦坐王を祀る「男坂神社」

    日本海側の式内社シリーズ5. 彦坐王を祀る男坂神社おさかじんじゃ晩秋の土曜日に 式内 男坂神社(兵庫県養父市大屋町宮垣196)を訪れた。赤く染まった紅葉が舞っているかのような印象の神社だった。大屋川に沿って県道養父宍粟線を上ると県道沿いに神社のコンクリート製階段が見えて来る。大屋川は八鹿あたりで円山川と合流していると聞くが、男坂神社より離れると大きく蛇行する。不思議だなとか考えながら、神社の...

  5. 若狭の式内社① 菅竈由良度美姫を祀る「須可麻神社」後編

    若狭の式内社① 菅竈由良度美姫を祀る「須可麻神社」後編

    日本海側の式内社シリーズ3.神功皇后の祖母、菅竈由良度美姫を祀る「須可麻神社」後編祭神 菅竈由良度美姫須可麻神社の祭神は、神社側では須可麻大神(世永大明神)、伴信友の『神社私考』では 菅竈由良度美姫 すがかまゆらどみひめ としている。菅竈由良度美姫を Wikipedia では、神功皇后の母方の祖母。淸日子 すがひこ と當摩之咩斐 たいまのめひ の子として誕生。伯父の多遅摩比多訶 たじまのひた...

  6. 若狭の式内社① 菅竈由良度美姫を祀る「須可麻神社」前編

    若狭の式内社① 菅竈由良度美姫を祀る「須可麻神社」前編

    日本海側の式内社シリーズ3.神功皇后の祖母、菅竈由良度美姫を祀る「須可麻神社」前編神功皇后の母方の祖母、菅竃由良度美 すがかまゆらどみ を求めて敦賀半島の西に位置する「菅浜(福井県三方郡美浜町菅浜)」を訪れてみた。伴信友は『神社私考』(国立国会図書館デジタルコレクション)の中で「菅浜」を「多遅摩毛理が三男を淸日子、其子を酢鹿之諸男、次に妹菅竃由良度美と称して、みな「須賀」といふ言を名に負ひた...

  7. 近江坂田の息長氏③ 日子坐王と「息長」を冠する王族たち

    近江坂田の息長氏③ 日子坐王と「息長」を冠する王族たち

    近江坂田の息長氏③日子坐王の第三妃:息長水依比賣命 おきながのみずよりひめのみこと の出身氏族としての息長氏をもっと深く知りたいとして近江坂田の息長氏を取り上げている。「息長」を冠する王族たち近江坂田の息長氏② 継体天皇と息長氏の関係を考える では、息長氏が史上に確実な姿を現わすのは、「息長眞手王」以降であることを知った。息長眞手王の女 むすめ 麻績娘女が継体大王の妃の一人となり、敏達皇后の...

  8. 近江坂田の息長氏② 継体天皇と息長氏の関係を考える

    近江坂田の息長氏② 継体天皇と息長氏の関係を考える

    近江坂田の息長氏②日子坐王の第三妃:息長水依比賣命 おきながのみずよりひめのみこと の出身氏族としての息長氏をもっと深く知りたいとして近江坂田の息長氏を取り上げている。今回は継体大王と息長氏から考えてみたい。継体大王と息長氏の関係を考える近江坂田の息長氏① 舒明天皇(息長足日廣額天皇)の壬生の氏族 では、舒明天皇の父、押坂彥人大兄皇子は、自分を育ててくれた(父の母族としての)息長氏を信頼し、...

  9. 近江坂田の息長氏① 舒明天皇(息長足日廣額天皇)の壬生の氏族

    近江坂田の息長氏① 舒明天皇(息長足日廣額天皇)の壬生の氏族

    近江坂田の息長氏①日子坐王の第三妃:息長水依比賣命 おきながのみずよりひめのみこと の出身氏族としての「息長氏」を今回から取り上げてみたい。近江の坂田近江の「坂田」をご存知だろうか。坂田郡は近江國に存在した郡であり、現在の米原市を中心として、その北部の長浜市の一部、その南部の彦根市の一部を域とする。西にはヤマトタケルノミコトが伊吹山の神と戦ったことで知られる霊峰 伊吹山があり、それを越えると...

  10. 但馬の式内社② 日子坐王の后 瀛津姫命と「粟鹿神社」

    但馬の式内社② 日子坐王の后 瀛津姫命と「粟鹿神社」

    日本海側の式内社シリーズ2.日子坐王の后も祀る粟鹿神社画像は 但馬國一宮 粟鹿神社(兵庫県朝来市山東町粟鹿2152鎮座)である。engishiki.org. が記す由緒によると、粟鹿神社は延喜式神名帳に記載のある式内社だが、應仁の乱以降、戰火他で焼失、再建を繰り返しており、最終的な再建は明治十二年となっている。その間、記録等も焼失しているので詳細は不明なことが多い。ただ、勅使門は創建年は不明...

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