"北条政子" の検索結果 313 件

  1. 知的頭脳への評価!

    知的頭脳への評価!

    テレビ「BS11」の「偉人・素顔の履歴書」が面白い。毎回、歴史上の「偉人」を取り上げる番組だが、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に対応するかのように、取り上げられたのが「鎌倉幕府3代執権北条泰時編」である。(youtube で見たため放映日は確認していない)番組の内容もさることながら、この番組の「ご意見番」として説明役の歴史家加来耕三氏の次の論が興味深かった。「小学校でも,中学校でも,高校...

  2. 鎌倉殿の13人第43話「資格と死角」~親王将軍構想~

    鎌倉殿の13人第43話「資格と死角」~親王将軍構想~

    唐船建造の失敗などはあったものの、建保年間の幕政は安定していました。しかし、ただひとつ、大きな問題を抱えていました。将軍・源実朝の後継者問題です。建保5年(1217年)当時、すでに実朝は26歳になっており、御台所と結婚してから12年の歳月が流れていましたが、二人の間には一人の子供も生まれておらず、にもかかわらず、実朝は側室を持とうとしませんでした。その理由は定かではありませんが、ドラマ時代考...

  3. 鎌倉殿の十三人での頼朝後の義時は政子の忠僕

    鎌倉殿の十三人での頼朝後の義時は政子の忠僕

    今年の大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」。源実朝暗殺に近づいているようですが、私はあれは公暁(私は「くぎょう」と習いましたが、今は「こうぎょう」と読むんですね。確かに、僧籍にある者の名としては、そっちのほうが正しいような。)の単独犯、それも、後ろ盾であるはずの三浦義村の冷たい反応を思えば、かなり、突発的なものだったのだろうと思っています。公暁はちょっとおかしかったんじゃないですかね。その意味では、...

  4. 鎌倉殿の13人第42話「夢のゆくえ」~実朝の唐船建造~

    鎌倉殿の13人第42話「夢のゆくえ」~実朝の唐船建造~

    建保4年(1216年)6月15日、東大寺の大仏を再建したことで知られる宋人の技術者・陳和卿が、源実朝に拝謁しました。陳和卿は、対面するなり実朝の顔を3度拝み、感涙を流しながら、実朝の前世は宋の「医王山」阿育王山阿育王寺の長老で、自分はその弟子だったと語りました。これを聞いた実朝は、以前、同じ内容の夢を見たといって驚き、その夢の内容を誰にも話していなかったことから、和卿の話を信じたといいます。...

  5. 鎌倉殿の13人第41話「義盛、お前に罪はない」~和田合戦~

    鎌倉殿の13人第41話「義盛、お前に罪はない」~和田合戦~

    建暦3年(1213年)5月2日、和田義盛が兵を挙げました。『吾妻鏡』によれば、八田知重(知家の息子)が義盛の館に兵が集合していることを大江広元に通報したとあります。時を同じくして、三浦義村も北条義時に義盛の蜂起を報告していました。ドラマで描かれていたように、当初、義村は義盛の計画に同意し、共に戦うとの起請文を差し出していましたが、その約束を反故にして、義時に味方します。一説には、そもそも義時...

  6. 鎌倉殿の13人第40話「罠と罠」~和田合戦の序章~

    鎌倉殿の13人第40話「罠と罠」~和田合戦の序章~

    建暦3年(1213年)2月15日、鎌倉御家人の千葉成胤のもとに阿静房安念と名乗る僧が訪れます。安念は、信濃国の泉親衡という人物が将軍源実朝の廃位と源頼家の遺児・千寿(栄実)の将軍擁立、さらに北条義時の殺害を計画していることを打ち明け、成胤に協力を要請しました。しかし、成胤は安念をすぐさま捕らえ、義時のもとに差し出しました。安念が謀反の計画を白状したことで、多くの御家人が捕縛されます。 このと...

  7. 鎌倉殿の13人第39話「穏やかな一日」~実朝と義時~

    鎌倉殿の13人第39話「穏やかな一日」~実朝と義時~

    北条時政の失脚により、息子の北条義時が実質御家人筆頭として幕政を運営することになります。『吾妻鏡』には、このとき義時が執権職を継承したとありますが、これについては諸説あって定かではありません。また、同時代の史料からは、このとき義時が侍所別当に就いたという記録も確認できず、いきなり義時に時政が持っていた権力がすべて継承されたというわけでもなかったようです。おそらく、短期間で権力を集中させてやり...

  8. 高校1年夏合宿(〖鎌倉殿の13人〗舞台訪問)

    高校1年夏合宿(〖鎌倉殿の13人〗舞台訪問)

    令和4年度の大河ドラマ〖鎌倉殿の13人〗の主役は二代執権北条義時、時代は源頼朝挙兵時から承久の乱にかけてである。歴史への興味が深まり多くの書籍を次々と読んでいった中学生時代、特に関心を寄せていたのがこの時代だった。高校に進んで課外活動を決める時、いろいろ悩んだが結果的には史学部に入部した。この年の活動について、どの時代の調査研究をどのように進めていくのか、紆余曲折はあったが、最終的には「11...

  9. 最明寺(神戸市西区) / SAIMYO-TEMPLE ( NISI-KU,KOBE CITY )

    最明寺(神戸市西区) / SAIMYO-TEMPLE ( NISI-KU,KOBE CITY )

    法道仙人が開いた寺のひとつ「最明寺」は、出家した北条時頼(1227~1263)が立ち寄り、種を蒔いた「噛み割りの梅」伝説で知られる。当時、最明寺殿と呼ばれていた時頼が、ここに法道仙人の遺言と法華経を石箱に入れて地中に埋める時、一緒に自分で噛み割った梅の実を供えたらしい。ちなみに法道仙人はインドから来た謎だらけの超能力者だ。どこまで史実か分からないが、こんな小さな寺に逸話が遺されているだけで嬉...

  10. 山頭火「病めば鶲が」北条氏の宗教は?

    山頭火「病めば鶲が」北条氏の宗教は?

    この句なんだけど。病めば鶲(ひたき)がそこらまで拝火教=親鸞=熊坂長範ってことで「鳥」が、めっちゃ気になる。病んでいるところに来る鳥って「ハゲワシ」のイメージだし。親鸞は晩年「愚禿親鸞」だし。二通りだけ。A病=猫=ねこね=子=下亥=拝こ=火め=目=の=下ひ=教ば=下九下=親九=狗=ワン=一=ひと=糸鶲=公羽鳥公=ハム=ワン=一=ひ=言羽=う=二=仁=人=糸鳥=鳥*糸言糸鳥=鸞がそ=下そ=た=...

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