"一橋慶喜" の検索結果 106 件

  1. 青天を衝け第40回「栄一、海を越えて」その2~篤二の廃嫡と慶喜の死~

    青天を衝け第40回「栄一、海を越えて」その2~篤二の廃嫡と慶喜の死~

    「その1」のつづきです。渋沢栄一の次男(長男は夭折)として明治5年(1872年)に生まれた篤二。かつては女遊びに興じて受験に失敗し、熊本にある第五高等学校に進むも女を連れて大阪に逃げると言う駆け落ち騒動を起こして退学させられ、栄一の故郷である血洗島で謹慎させられるなどの問題児でしたが、22歳のときに華族の娘・敦子と結婚すると、しばらくは落ち着いて3人の子宝にも恵まれました。また、実業家・渋沢...

  2. 慶喜、鳥羽伏見の戦いについて語る(「青天を衝け」219)

    慶喜、鳥羽伏見の戦いについて語る(「青天を衝け」219)

    慶喜、鳥羽伏見の戦いについて語る(「青天を衝け」219) 今日は、徳川慶喜が、「昔夢会」で鳥羽伏見の戦いについて、どのように語っているか書いていきます。国立国会図書館「近代日本人の肖像」より転載徳川慶喜の語りは後述するとして、まず鳥羽伏見の戦いの経緯を書いておきます。慶応3年12月9日、王政復古の大号令を発せられて、①徳川慶喜の将軍職辞職を勅許。②江戸幕府の廃止、③摂政・関白の廃止と総裁、議...

  3. 栄一、昔夢会で徳川慶喜の談話を聞く(「青天を衝け」218)

    栄一、昔夢会で徳川慶喜の談話を聞く(「青天を衝け」218)

    栄一、昔夢会で徳川慶喜の談話を聞く(「青天を衝け」218) 「徳川慶喜公伝」編纂のため、栄一は、明治40年6月24日に兜町渋沢事務所の階上に編纂所を設置し、「徳川慶喜公伝」の編纂を開始しました。編纂の体制は、著者渋沢栄一、顧問穂積陳重・阪谷芳郎、校修者三上参次・萩野由之、編纂主任萩野由之としましたが、編纂にあたって、徳川慶喜をよく知る旧幕臣でなく、純粋の学者に任せたのは三上参次の「折角徳川慶...

  4. 栄一、「徳川慶喜公伝」編纂を企画する(「青天を衝け」217)

    栄一、「徳川慶喜公伝」編纂を企画する(「青天を衝け」217)

    栄一、「徳川慶喜公伝」編纂を企画する(「青天を衝け」217) 「青天を衝け」第39回でいよいよ「徳川慶喜公伝」の編纂が始まりました。「青天を衝け」での展開は、明治40年頃の話として進んでいます。しかし、栄一が「徳川慶喜公伝」を書こうと考えたのはもっと昔のことです。栄一は、「徳川慶喜公伝」の「自序」で、「徳川慶喜公伝」編纂の目的や経緯を詳しく書いています。この「自序」は序文としてはいくらか長く...

  5. 青天を衝け第39話「栄一と戦争」 ~栄一の渡米と慶喜の伝記編纂~

    青天を衝け第39話「栄一と戦争」 ~栄一の渡米と慶喜の伝記編纂~

    明治35年(1902年)5月、渋沢栄一は妻・兼子を連れてアメリカとヨーロッパに出掛けました。随行者は、英語の堪能な第一銀行横浜支店長の市原盛宏が通訳に当たり、その他、栄一の秘書の八十島親徳、第一銀行文書課長の清水泰吉、東京商議所書記長の萩原源太郎、石川島造船所の専務・梅浦精一、そして、前々年に帝大電気工科を卒業した甥の渋沢元治もいました。栄一の生家「中の家」は、栄一の妹の貞が婿養子を迎えて跡...

  6. 徳川慶喜、東京に帰る(「青天を衝け」213)

    徳川慶喜、東京に帰る(「青天を衝け」213)

    徳川慶喜、東京に帰る(「青天を衝け」213) 「青天を衝け」第38回で、徳川慶喜が東京に帰ってきた場面がありました。慶喜が東京へ移住したのは、明治30年11月19日です。明治30年11月16日に静岡を発ち、19日に千駄ケ谷の徳川宗家の屋敷に一旦入ったあと,巣鴨の別邸に入っています。徳川慶喜が駿府に入り、宝台院で蟄居謹慎したのが明治元年7月23日です。明治2年9月28日に謹慎が解除され紺屋町の...

  7. 門井慶喜著「地中の星」を読み終える

    門井慶喜著「地中の星」を読み終える

    門井慶喜さんの最新作品「地中の星」を読み終える。新潮社発行、1,800円+税。帯の紹介文にもある通り、東京に地下鉄を誕生させた、早川徳次(とくつぐ)と技術者たちの熱き闘いの物語。因みに同姓同名の早川徳次(とくじ)さんがおられるが、その早川さんは、総合電機メーカー「シャープ」の創業者です。この作品の主人公、早川徳次は明治14年(1881)に生まれ、昭和17年(1942)に亡くなられた。「地中の...

  8. 栄一、商法会所を設立する(「青天を衝け」148)

    栄一、商法会所を設立する(「青天を衝け」148)

    栄一、商法会所を設立する(「青天を衝け」148) 栄一は、静岡で、「商法会所」を設立することになりました。そして、これが成功し、後に新政府に召し出されるきっかけともなります。そこで、今日は、「商法会所の設立」について書いていきます。 栄一は、静岡藩から命じられた勘定組頭は固辞します。そして、農業か商業で生活をたてていこうとしますが、さらどうしたらよいかと迷いました。そうした時に、政府が新た...

  9. 青天を衝け第27話「篤太夫、駿府で励む」~商法会所と合本主義~

    青天を衝け第27話「篤太夫、駿府で励む」~商法会所と合本主義~

    駿府で謹慎中の徳川慶喜に民部公子(徳川昭武)からの手紙を届けた渋沢栄一は、駿府藩(この約半年後には静岡藩になります)から仕官を命じられます。今回描かれていた経緯は、ほぼ史実どおりでした。栄一はこのときのことを自伝『雨夜譚』で詳しく述懐しています。以下、『雨夜譚』を元に解説します。 慶喜との面会を終えた栄一は、昭武への返書を受け取って水戸に持ち帰るため、旅宿に逗留していました。しかし、1日経っ...

  10. 栄一、慶喜の配慮で水戸行きを止められる(「青天を衝け」147)

    栄一、慶喜の配慮で水戸行きを止められる(「青天を衝け」147)

    栄一、慶喜の配慮で水戸行きを止められる(「青天を衝け」147) 「青天を衝け」第27回では、静岡で新たな道を歩みはじめる栄一が描かれていましたが、冒頭は、栄一が勘定組頭に任命されたことに立腹するところから始まりました。それに対して大久保一翁の説明に納得して勘定組頭を受けるという話でした。「青天を衝け」では、簡単に終わっていましたが、栄一にとっては重大なことでした。そこで、今日は、この話から始...

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