"大江広元" の検索結果 151 件

  1. 伊豆修善寺の紅葉1

    伊豆修善寺の紅葉1

    12月23日の伊豆の修善寺のです。カメラはソニーα6600とタムロン18-300mmです。伊豆の修善寺は地名です。そうして修禅寺は修善寺にある弘法大師空海によって開創され寺院の名前です。新古今集から源通光(みなもとのみちてる)のうた武蔵野やゆけども秋の果てぞなきいかなる風かすゑに吹くらむ(意)武蔵野を行けども行けども、秋の景色は果てがなく、あわれ深さも果てがない。野末には、どんな風が吹いてい...

  2. 鎌倉殿レビュー散歩 with かつて御家人同士だった旧友

    鎌倉殿レビュー散歩 with かつて御家人同士だった旧友

    30年モノの旧友マダムが3年ぶり鎌倉に来臨されることに。しかも、鎌倉殿ロス症候群に罹患中?ワタクシもロス継続中。ならば、鎌倉殿ゆかりの地巡りは不可避…『IZA 同病相憐れむ遠足』じゃ!小町通りには目もくれず若宮大路に出て、二の鳥居からスタート。途中 "このへんトキューサ邸があったとこ" ”こっちは義盛邸だったはず” などと段葛脇を指差しつつ、鶴岡八幡宮入口、三の鳥居に到着...

  3. ゆる鎌クイズの答え

    ゆる鎌クイズの答え

    ゆる鎌さんぽ〜義時さん供養〜楽しかったご案内の日記にお付き合いありがとうございました。5問のクイズは解けたでしょうか?答えあわせです。1問目新編相模国風土記稿(1841)には、鶴岡八幡宮大石段の西側に銀杏の老樹あり東側に梛樹ありと書かれています。今も目立たないですが有りますので探してみましょう。梛(なぎ)はとても珍しい樹木で、広葉樹のような楕円状の葉の形をしていますが、実は針葉樹なのです。葉...

  4. 「承久記」京都飛脚の人々評定の事(その4)

    「承久記」京都飛脚の人々評定の事(その4)

    義時よしとき、「この儀一分も相違なし。この儀に同ず」と仰せければ、大名どもも「然るべし」とぞ申しける。やがてこの御返事をこそ書き、一疋ひき相添へて、翌日京へ早馬を立てられけり。さる程に巴の大将殿に、六波羅よりこの由申されたりければ、「我まさに将軍の外祖にあらず。義時が親昵しんじつにあらざれども、正路しやうろを守りて、君を諫め申すに依つて、憂き目を見し故なり。これも夢なり。しかしながら山王に申...

  5. 「承久記」京都飛脚の人々評定の事(その3)

    「承久記」京都飛脚の人々評定の事(その3)

    評定あるべしとて、大名ども皆参りけり。一番のくぢは大膳の大夫入道取りたりければ、申しけるは、「院々宮々をば遠国へ流し奉るべし。月卿雲客げつけいうんかくをば板東へ召し下すべし」と披露して、「路にて皆失はるべし。京都の政まつりごとは、巴の大将殿御沙汰たるべし。摂ろくをば近衛殿へ参らせらるべしと存じ候ふ」と意見を致す。評定([皆で相談して決めること])すべしと、大名たちが皆集まりました。一番くじを...

  6. 「承久記」京都飛脚の人々評定の事(その2)

    「承久記」京都飛脚の人々評定の事(その2)

    早馬関東に着きたりければ、権大夫殿・二位殿・その外大・小名面々に走り出で、「軍いくさは如何に。御悦びか何とかある」と、口々に問はれけり。「軍は御勝利候ふ。三浦の平九郎判官、山田の次郎、能登の守かみ秀康ひでやす以下皆斬られぬ。御文候ふ」とて大きなる巻物差し上げたれば、大膳の大夫入道取り上げて、一同に「あつ」とぞ申されける。中にも二位殿、余りの事に涙を流し、先づ若宮の大菩薩を伏し拝み参らせて、や...

  7. 冬の鎌倉(その2)

    冬の鎌倉(その2)

    鶴岡八幡宮の境内を横断し畠山弘忠邸の跡地に立つ住宅などを横目で見ながら住宅地を歩きます。鎌倉は徒歩圏内に見るべきものが密集しているからいいね。発掘調査が進行中のエリアもあります。これは頼朝の墓所の入り口なんだけど、ご覧のように樹木の伐採をやっていて入れません。観光地としての整備がようやく始まったということのようです。鎌倉殿の13人の主人公、北条義時の墓所に至っては、何もないただの土地です。こ...

  8. 冬の鎌倉(その1)

    冬の鎌倉(その1)

    昨年のNHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」、おもしろかったねぇ。日本の歴史に無関心だった私、世界史・地理で受験した私を変えてしまったすごい作品でした。で、先の月曜日のことですが、その感動が冷めやらぬうちに鎌倉を再訪することにしました。こんなに寒いのに。しかも第8波がそろそろピークアウトするのかな、まだかな、という微妙なタイミングで。去年の夏にも行ったばかりなのですが…。今回は、北条政子、源実...

  9. 笹谷村の小学校創設を散歩情報で確認する34信夫郡第4区26

    笹谷村の小学校創設を散歩情報で確認する34信夫郡第4区26

    上名倉村外八ヶ村の中の桜本村・土船村・庄野村(=元信夫郡第4区) その余談の5「浄楽園の情報」⑥ 歌人としての鴨長明氏は、「新古今和歌集」に10首採用されている。前回は、その中の「瀬見の小川」の歌を中心に情報整理した。その整理の中で「新古今和歌集」に選定された鴨長明氏の歌の5首の選定にかかわったのが、鴨長明氏を実朝公に強く引き合わせた飛鳥井雅経氏であることが気になった。「浄楽園の情報」自体も...

  10. 毛利輝元の家督相続と二頭体制

    毛利輝元の家督相続と二頭体制

    毛利氏の祖は、鎌倉幕府政所別当・大江広元の四男で御家人の毛利季光を祖とする一族であり、子孫は越後国と安芸国に分かれた。毛利元就は毛利氏の第12代当主。安芸吉田荘(安芸毛利氏)の第9代当主・毛利弘元の次男。毛利氏の本姓は大江氏で正式な姓名は、大江元就です。安芸広島を本拠に山陽道・山陰道の8か国を領有していた毛利元就・隆元は毛利藩といい、輝元が関ヶ原の戦いに敗れ、周防国・長門国二国に領地を削減さ...

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