"アントニオガウディ" の検索結果 196 件

  1. アントニオ猪木が語る〝モハメド・アリとの再戦が実現しなかった理由〟

    アントニオ猪木が語る〝モハメド・アリとの再戦が実現しなかった理由〟

    【アリ戦の負債が異種格闘技路線を継続させた】──そもそも『格闘技世界一決定戦』とはモハメド・アリ戦を意味する呼称のはずでした。しかし、この一戦によって新日本プロレスは莫大な負債を抱え、やむを得ず異種格闘技戦がシリーズ化されてしまったわけですが、猪木さんとしてはどんな思いでリングに立ち続けていたのでしょうか?猪木〝宵越しの金は持たない〟というようなイベントをやってしまった結果として残ったのが世...

  2. アントニオ猪木が語る〝WWWF(WWE)も便乗した格闘技イベント〟

    アントニオ猪木が語る〝WWWF(WWE)も便乗した格闘技イベント〟

    【先代マクマホン・シニアの商才と実行力】──1978年(昭和53)4月、アメリカのフィラデルフィアで『格闘技オリンピック』と銘打たれたイベントが開催され、それにアントニオ猪木、坂口征二、ストロング小林の〝新日本プロレス三強〟も参加していました。まずはこのイベントの詳細について伺いたいと思います。主催はWWWF(現WWE)のビンス・マクマホンでしたが、この格闘技イベントは当時の猪木さんがぶち上...

  3. アントニオ猪木が語る〝幻のジョージ・フォアマン戦〟

    アントニオ猪木が語る〝幻のジョージ・フォアマン戦〟

    【猪木・アリ戦が格闘技界の枠組みを変化させた】──異種格闘技戦の対戦相手として、一時、プロボクシング元ヘビー級王者ジョージ・フォアマンの名前が頻繁にあがっていました。そもそもフォアマンとは1977年(昭和52)10月に対戦内定という発表もあってファンは大いに期待していたのですが、結局、実現には至っていません。いったいなぜ猪木・フォアマン戦は行われなかったのでしょうか?猪木フォアマンとやるとい...

  4. アントニオ猪木が語る〝『ロッキー』のモデルになった男との闘い〟

    アントニオ猪木が語る〝『ロッキー』のモデルになった男との闘い〟

    【チャック・ウエップナーの〝ラビットパンチ〟】──日頃から猪木さんは「キックはそれほど恐れなくていい。本当に怖いのはヘビー級ボクサーのパンチだ」と若手選手に話しているそうですね。猪木日本人でヘビー級ボクサーの、しかも一流選手のパンチを受けたことがあるのは俺だけなんですよ。──たしかに。日本にはヘビー級ボクサーが存在しませんからそういうことになります。猪木チャック・ウエップナーが来たとき(19...

  5. アントニオ猪木が語る〝異種格闘技戦史上最高の闘い〟

    アントニオ猪木が語る〝異種格闘技戦史上最高の闘い〟

    【闘いながら感動したモンスターマンの芸術的な蹴り】──一連の『格闘技世界一決定戦』(異種格闘技戦)における最大の収穫はなんといってもザ・モンスターマン・エベレット・エディ選手(全米マーシャル・アーツ/スーパーヘビー級チャンピオン)だったと思われます。当時、マーシャル・アーツ(プロ空手)はまだ日本で未知の格闘技でしたが、猪木さんはいつ頃からモンスターマンに注目していたのでしょうか?猪木TBSで...

  6. アントニオ猪追悼号

    アントニオ猪追悼号

    各紙が追悼号を出すと、やっぱりいなくなってしまったんだな、と。引退はしていたものの、寂しいね…。本当は仲の良かった二人。天国でもBI砲コンビで活躍していることを願って…。

  7. アントニオ猪木が語る“レジェンドレスラー”  (21)パク・ソンナン

    アントニオ猪木が語る“レジェンドレスラー” (21)パク・ソンナン

    【70年代の韓国プロレス】──幻のセメントマッチといわれる〝韓国の巨人〟パク・ソンナン戦が行われた1976年(昭和51)当時の〝韓国プロレス界〟について聞かせてください。猪木やっぱり、キム・イル=大木金太郎の人気が凄かったね。俺と金太郎さんとの一戦が韓国プロレス界のピークだったんじゃないかと思う(1975年3月27日、ソウル奨忠体育館)。なにしろ朴正煕(パク・チョンヒ/1971〜1979)大...

  8. アントニオ猪木が語る“レジェンドレスラー”  (20)アンドレ・ザ・ジャイアント

    アントニオ猪木が語る“レジェンドレスラー” (20)アンドレ・ザ・ジャイアント

    【大巨人アンドレの密かな欲望】──猪木さんが1976年10月7日・蔵前国技館でアンドレ・ザ・ジャイアントと『格闘技世界一決定戦』を行ったのはなぜですか?あれはあくまで〝プロレス界最強の男〟こそが格闘技界の頂点に相応しいという宣言だったと理解すればいいのでしょうか。猪木というよりも、あれはもうレスラーじゃなかったでしょう(笑)。──たしかに。アンドレ選手はすべてにおいて規格外。超越した存在でし...

  9. 幻の格闘技アリーナ『アントニオ猪木記念館』構想

    幻の格闘技アリーナ『アントニオ猪木記念館』構想

    2004年の夏頃、猪木事務所からの依頼を受けて作成した、ある文書の一部を初公開する。力道山時代に存在したプロレスの殿堂『リキパレス』をさらにスケールアップして現代に蘇らせようという壮大な計画──アントニオ猪木の名を冠する格闘技アリーナの設立趣意書である。残念ながら実現には至らなかったものの、たとえ一瞬でも、猪木さんの夢の一翼を担えたことは私にとって光栄だった。

  10. アントニオ猪木切手シートにまつわる記憶

    アントニオ猪木切手シートにまつわる記憶

    画像は2005年に発売された「アントニオ猪木・切手シート」。全部で3種類(1セット10点)のセットが存在した。そのうちの〝「道」の確立〟というセットに、私が撮影した画像2枚が採用されている。上の2点がそれ。下がそのオリジナル画像。撮影は2002年4月、場所はロサンゼルス。これらの写真はPRIDEプロデューサー・百瀬博教先生が企画した豪華本『INOKI ROCK』(ソニーマガジンズ)の取材中、...

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