"徳川家康公" の検索結果 1013 件

  1. 岡崎城址に行ってきた

    岡崎城址に行ってきた

    歴史と素適なおつきあい番外編2023・2・2岡崎城城主は三河国仁木氏の守護代西郷稠頼(つぎより)。明大寺付近に最初に平岩城(旧岡崎城)があり、東岡崎駅の家康像あたりにあったという。明大寺古屋敷という説明板がある。この場所が最初に岡崎と言われる場所だった。次は3代目西郷信貞である。居館は明大寺古屋敷である。砦を龍頭山の段丘の先端に築城した。龍頭山には乙女に姿を変えた龍神伝説が伝わる。(岡崎のむ...

  2. どうする家康第7話「続・瀬名奪還作戦」~元康妻子と鵜殿兄弟の人質交換~

    どうする家康第7話「続・瀬名奪還作戦」~元康妻子と鵜殿兄弟の人質交換~

    前回に引き続き、駿府で人質状態となっている松平元康(のちの徳川家康)の妻子の奪還劇の回でしたね。前話はほとんどフィクションの回でしたか、今話は史実、通説に基づいた話でした。 永禄5年(1562年)2月4日、元康は三河上ノ郷城を攻めました。上ノ郷城は今川の重臣・鵜殿長照の居城ですが、今川を離反した元康が三河全域に勢力を伸ばし始めたため、同城は松平勢力圏内で孤立しつつありました。西三河を平定し、...

  3. 上之郷城での人質生捕りに忍者が活躍(「どうする家康」19)

    上之郷城での人質生捕りに忍者が活躍(「どうする家康」19)

    上之郷城での人質生捕りに忍者が活躍(「どうする家康」19) 「どうする家康」第6回では、徳川家康(当時は松平元康)が上之郷城を攻める戦いの中で、本多正信と服部半蔵が、甲賀忍者伴与七郎の助けをかりて城内に忍び込んで、鵜殿長照の子供二人氏長と氏次を生け捕りしました。これにより瀬名と子供たちとの人質交換ができることになりました。この話は創作だと思った人もいると思いますが、これは完全な創作ではないと...

  4. 【仕事観】『徳川家康』の格言から学ぶ!現代の組織が長く栄えるための考え方。

    【仕事観】『徳川家康』の格言から学ぶ!現代の組織が長く栄えるための考え方。

    こんにちは。かぴぱらです。前回は、織田信長の格言をご紹介させていただきました戦国の世で知力、武力を持つ豪将や武将を束ねて名前を残した豪傑の信条や生き様は現代社会のビジネスの場でも注目されています。今回は、『最も多くの人間を喜ばせたものが、最も大きく栄える。』この言葉を残したとされている戦国時代の武将、徳川家康をご紹介します。織田信長同様、徳川家康も歴史書だけでなく、数多くのビジネス書籍や小説...

  5. 三河羽根東城址に行ってきた

    三河羽根東城址に行ってきた

    歴史と素適なおつきあい番外編2023・2.1愛知の城によると城主は宇都宮忠茂・上和田城主、羽根の大久保大久保忠員・忠世という。羽根はJR岡崎駅近くで線路を挟み東西にあったという。西の稲荷神社に長篠の戦いで功を上げた大久保忠世が稲荷を勧請したとある。大久保氏は上和田を本拠とし、一向一揆で家康と戦っている。開発された地域で、郵便局あたりとあったので、写真を撮った。

  6. 安城市歴史博物館

    安城市歴史博物館

    歴史と素適なおつきあい番外編2023・2・1安祥城址にある歴史館で現在家康一色!本證寺と博物館の間はシャトルバスがあり、安城市は盛り上がっている。どうする家康で目立っている本多忠勝。キャラクターが可愛い徳川清康三河一向一揆は本證寺の前で戦いの火蓋を切る空誓が立っている。迎える家康、なぜか二人、もうすぐ一向一揆が大河で始まる。楽しみだ。でも来週は2月12日は山田孝之くん・服部半蔵が頑張る予定!

  7. 安祥城に行ってきた

    安祥城に行ってきた

    歴史と素適なおつきあい番外編2023・2・1城主は永享の頃畠山氏の和田親平で居館があった。松平信光、松平清康が岡崎城を築城、安祥松平(徳川本家)が続いた。松平信光が攻めた時、酒井氏に葵の紋を与え、のちに返してもらい徳川の葵の御紋になったという話がある。岡崎城にいた家康の父広忠が父が亡くなると追放され、安祥城に入った。織田信秀が攻め落城し城主は織田信広になった。広忠の力及ばずますます弱体化し、...

  8. 桜井城址

    桜井城址

    歴史と素適なおつきあい番外編2023・2・1城主は小浦喜平次忠重という。伊豆から地頭としてこの地に来た。文明の頃(1469)松平信光が安祥城を攻め落としその家臣となった。松平親忠ははじめ四男の親房を城主としたが、親房に子がいなかったため、松平長親の三男信定が養子となり、桜井松平氏の祖となった。参考:城郭放浪記城というより縄文、古墳時代の遺跡が多く残されているようだ。かつては雑木林が多い土地だ...

  9. 桜井城址

    桜井城址

    歴史と素適なおつきあい番外編2023・2・1城主は小浦喜平次忠重という。伊豆から地頭としてこの地に来た。文明の頃(1469)松平信光が安祥城を攻め落としその家臣となった。松平親忠ははじめ四男の親房を城主としたが、親房に子がいなかったため、松平長親の三男信定が養子となり、桜井松平氏の祖となった。参考:城郭放浪記城というより縄文、古墳時代の遺跡が多く残されているようだ。かつては雑木林が多い土地だ...

  10. 本證寺(三河一向一揆拠点)に行ってきた

    本證寺(三河一向一揆拠点)に行ってきた

    歴史と素適なおつきあい番外編三河一向一揆は三河国の西三河全域で永禄6年(1563年)から永禄7年(1564年)までの一向一揆である。松平家の支配下にはなく曹洞宗の勢力が強かった東三河は該当しない。本證寺住職空誓(蓮如の孫)が檄を飛ばし、徳川家康に刃向かった戦いである。寺は城郭伽藍といわれ水濠が残っている。三河では家康の父広忠の時代に本願寺教団の守護使不入を認めた。そもそも守護使不入は鎌倉時代...

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