"徳川家康" の検索結果 345 件

  1. どうする家康第5話「瀬名奪還作戦」~本多正信と服部半蔵正成~

    どうする家康第5話「瀬名奪還作戦」~本多正信と服部半蔵正成~

    今回のサブタイトルは「瀬名奪還作戦」。今川を見限り、織田と手を結んだ松平元康(のちの徳川家康)でしたが、気がかりだったのは、妻の瀬名(築山殿)と長男の竹千代(のちの信康)、長女の亀姫が駿府に残されており、人質状態となっていたことでした。その奪還劇が今回の話・・・と思いきや、奪還できませんでしたね。でもって、予告編では、次回のサブタイトルが「続・瀬名奪還作戦」。まさか、妻子を取り返す話に2週も...

  2. 服部半蔵と清龍寺

    服部半蔵と清龍寺

    歴史と素適なおつきあい番外編2023・1・31信康山には驚いた。二俣城主になった信康、ここで信長の命で切腹した。その時信康があまりに哀れで介錯ができず泣き崩れたという。その信康を供養するお寺である。訪問した時、お掃除をなさっていたお寺さんがいうには今日NHKが取材に、明日は「どうする家康」の俳優細田佳央太さんがお参りにといわれた。松本潤さんも瀬名さんんとお参りに見えたとのこと、とても嬉しそう...

  3. 二俣城址に行ってきた

    二俣城址に行ってきた

    歴史と素適なおつきあい番外編2023・1・31城主は今川、徳川、武田、豊臣ら、有力大名だった。今川氏の頃は松井宗信、子の宗恒で、今川家滅亡後。信玄に仕えた。家康に攻められ宗常は降伏、今川から徳川に仕えた鵜殿氏長、家康家臣中根正照が城代となる。信玄の手に落ちると依田信蕃に、長篠の戦い後は家康家臣大久保忠世、そして家康の長男信康が城主となり、信長の命で切腹した城となる。その後、豊臣家臣堀尾吉晴が...

  4. 本多正信、登場(「どうする家康」17)

    本多正信、登場(「どうする家康」17)

    本多正信、登場(「どうする家康」17)「どうする家康」第5回では、駿府に残った瀬名と子供たちをどうしても奪還したいと考えた徳川家康(当時は松平元康)が苦慮した結果、本多正信が考えた奪還策を半蔵とともに実行するものの、失敗に終わるという流れでした。瀬名と子供たちは、駿府から岡崎に無事戻ることができるのですが、そのプロセスについては従来の説に加えて新しい研究成果に基づく説がありますが、今回の展開...

  5. 三方原古戦場

    三方原古戦場

    歴史と素適なおつきあい番外編元亀3年(1572年)武田信玄は上洛のため遠江に侵攻し、二俣城を巡って攻防した。そして二俣城も落城した。浜松城にいた家康は浜松を無視して領国を進む武田軍を抑えようとしたが、信玄が二俣城を出た時家康の軍勢は少なく織田の助けもなかった。信玄の挑発に乗ってしまった家康。「どうする家康!」だ。三方原の背後から攻めるつもりが家康は陣を構え待っていた。家康軍は総崩れとなった。...

  6. 大樹寺《岡崎⑵》(徳川家康ゆかりの地36)

    大樹寺《岡崎⑵》(徳川家康ゆかりの地36)

    大樹寺《岡崎⑵》(徳川家康ゆかりの地36) 大樹寺は、東岡崎駅から直線距離で2キロあります。徒歩では難しいので、バスを利用するかタクシーを利用してください。もしくは、愛知環状鉄道線大門駅から徒歩17分です。大樹寺は、松平家4代松平親忠が文明7年(1475)に勢誉愚底を開山として創建した浄土宗の寺院です。一時衰退しましたが、天文4年(1535)に7代松平清康により伽藍が再興され、多宝塔はその時...

  7. ♬浅間神社&大河ドラマ館・・静岡の旅③

    ♬浅間神社&大河ドラマ館・・静岡の旅③

    日本平から見えた静岡市街です↑次にやって来たのは静岡浅間神社です。静岡浅間神社は古くから駿河国総社として歴代幕府の崇敬を受けて信仰されていました。竹千代(家康の幼名)が元服式を行ったことから、江戸時代には特に徳川氏の崇敬を受けました。何故ここへ来たかというと、ここに「どうする家康」の大河ドラマ館があるとのこ・・浅間神社もとても素晴らしいのでまずは浅間神社参拝です。叶え馬の見ることが出来ました...

  8. 駿河城に行ってきた

    駿河城に行ってきた

    歴史と素適なおつきあい番外編2023・1・31城主は今川氏。14世紀駿河守護今川氏によって今川館があった。大河ドラマでうじざねが出てくるので嬉しかった。発掘現場が見たくて訪問した。戦国時代今川義元が勢力を張り、甲斐武田氏、後北条氏と同盟を結んだ。が、桶狭間の戦いで信長に滅ぼされると同盟は解消され、武田信玄により館は焼失した。武田氏が滅びると徳川家康が所領した。後北条氏が滅びると一時豊臣系の中...

  9. ♬久能山東照宮・・静岡の旅②

    ♬久能山東照宮・・静岡の旅②

    久能山東照宮の続きです。久能山東照宮の御社殿は、徳川家康公を祀る霊廟として元和3年(1617)に創建されました。 中井大和守正清を大工棟梁として元和2年5月着工、同3年12月に至る僅か1年7ヶ月と云う短期間に造営されました。 権現造、総漆塗、極彩色の御社殿は日光東照宮より19年前に造られ、彫刻、模様、組物等に桃山代の技法をも取り入れられた江戸初期の代表的建造物として国宝に指定されています。さ...

  10. 吉田松蔭の魅力

    吉田松蔭の魅力

    気立てのよい、よく笑う看護師たちだが、こんなに朝早くから笑わなくてもと思ったら、もう6時だ。大きな木がゆらゆら揺れて風の強い朝。あれは新宿でなくて渋谷のビルのようだ。今朝が最後の早朝散歩、禁を侵して西病棟に入り込んで富士山に挨拶する。「天皇の世紀 2 大獄」読了、とても面白かった。若い頃、部屋住まい日陰の暮らしが17年も続き、思いもよらず家督を継いだばかりか、大老に抜擢された井伊直弼は、小心...

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