"旧本多邸" の検索結果 765 件

  1. 133中井梅太郎 邸(池田市)

    133中井梅太郎 邸(池田市)

    がんこ石橋苑解体される予定だった大正時代の建物が、レストランに活用され現在に遺された地元実業家の見事な庭園とお邸関西地区の大手設備会社中井エンジニアリングの創業者が大正時代に造った自邸は、選び抜かれた材料をもとに、数寄屋風、書院風、洋風と凝った造りの部屋がある。元々解体され駐車場になる予定だった当建物は、がんこフードサービスが借りてレストランとして、邸宅のすばらしさを現在に残している。がんこ...

  2. 大磯旧吉田茂邸散策*③

    大磯旧吉田茂邸散策*③

    これは桜なのか桃なのか私にはわからないのですがきれいに咲いています!吉田邸の写真も3回目となりました。長々とお付き合いありがとうございます(*^_^*)吉田茂は昭和20年より大磯の邸宅を本邸として晩年を過ごしました。昭和22年ごろ建てられた応接間棟は「楓の間」その後海外からの賓客を迎えるために新館が増設されます。↓食堂(ローズルーム)2階には「金の間」と「銀の間」があり「金の間」来賓の応接間...

  3. 猪俣邸に行きました。

    猪俣邸に行きました。

    先週の水曜日、都内で打合せがありその帰り、近くの「猪俣邸」に行きました。猪俣邸は、吉田五十八の設計によって1967年に完成した数寄屋建築です。今まで何度か見学してきましたが、お茶のお稽古を始めてからの見学は初めてです。猪俣邸には二つのお茶室があります。「カン庵?」という一畳台目の茶室と「勁松庵(けいしょうあん)」という四畳半の茶室です。一説には一畳台目は裏千家の今日庵の写し、四畳半は裏千家...

  4. 大磯旧吉田茂邸散策*②

    大磯旧吉田茂邸散策*②

    吉田邸の兜門を入ると大きな木蓮の木松や竹に梅、小高い山には松と椿・馬酔木・寒緋桜・・・池の水を抜いて職人さんが植木の手入れをしています。池の横には藤棚、これが咲く頃また来てみたいです。竹藪の横を海沿いに歩くと小高い山になっていて遊歩道を進むと海を見下ろすように高さ2.4mの吉田茂銅像が設置されています。日米興和条約の地サンフランシスコの方角に顔を向けていると言われています。写真の左端に遠く写...

  5. 大磯旧吉田茂邸散策*①

    大磯旧吉田茂邸散策*①

    昨日はお天気が良かったのでお出かけしていました。大磯にある旧吉田茂邸です。こちらは梅がたくさん植えられているのですがちょっと時期が過ぎていたようです。ほかにも椿の木が多く花の大きさが大きな種類です赤と白が多くピンクも木々の足元には花がそのままの形で沢山落ちていました。そして兜門藁ぶきの歴史を感じる建物です( *´艸`)国登録有形文化財(建造物)に登録されています。お花野の少ない時期でもいろい...

  6. 俺の札幌散歩(旧永山武四郎邸)

    俺の札幌散歩(旧永山武四郎邸)

    歴史的建造物として札幌市が管理してる「旧永山武四郎邸」へ行ってみた。敷地内には旧永山武四郎邸と旧三菱鉱業寮が。旧永山邸玄関旧永山邸外観旧永山邸表座敷ギャラリーとして使用されていた丸窓の部屋(雛祭りは終わっていたがひな人形が飾られていた)。旧三菱鉱業寮●公園と隣接している永山邸。近くの幼稚園児が母親と大きな声を出しながら遊んでいた。明治10年に建てられた当時にはどんな人間模様が繰り広げられてい...

  7. たつの散歩-3旧中川邸

    たつの散歩-3旧中川邸

    こちらも前回5月には閉まっていました。「旧中川邸」今回は開いてます!入りましょう!かつて産婦人科の醫院だったそうです。明治時代、医者になることを志し上京した中川ダイさんが医師免許を取り故郷龍野に戻り大正期に開業された医院だったそう。なんと女医さん。ものすごい苦労がおありだったことは想像に難くない。元の間取りも生かして改装されたカフェ、医院の面影も残され、中川ダイさんのお写真もありました。改装...

  8. 三河一向一揆、終結する(「どうする家康」26)

    三河一向一揆、終結する(「どうする家康」26)

    三河一向一揆、終結する(「どうする家康」26) 「どうする家康」第9回では、三河一向一揆が終結しました。三河一向一揆は、家康側にも、一揆方にも、決定的な勝利を収める機会がなく、時が過ぎていきました。「どうする家康」では、膠着状態に陥った争いを動かしたのが、叔父水野信元の進言であったと描かれていましたが、このことは、「新編岡崎市史」によれば、一揆方の渡辺半蔵守綱(「どうする家康」では木村昴さん...

  9. どうする家康第9話「守るべきもの」~三河一向一揆の戦後処理~

    どうする家康第9話「守るべきもの」~三河一向一揆の戦後処理~

    三河一向一揆の実際の戦闘の経緯については、史料によって情報が錯綜していて、月日などは明確ではありませんが、通説では、永禄6年(1563年)秋にはじまり、激戦となったのは年が明けた永禄7年(1564年)正月からでした。前話で描かれていた上和田砦の戦いでは、松平家康(のちの徳川家康)自身が銃弾を2発受けるも、固い具足に守られて命拾いしたという一幕もありましたが、全体としては、やはり家康方が優位に...

  10. 【新入荷】布「期待@ストックレー邸」クリムト

    【新入荷】布「期待@ストックレー邸」クリムト

    昨日に続いて、クリムトの布、新柄である。金箔にぐるぐるうまき模様は、光琳思い出すなぁ。この頭は謎である。海苔巻き?きんたろう飴?鼓?このまま、顔面を叩けば「ポン!」と響きそうである。この布は、↓こちらで買うことができます。メール岩倉市昭和町1-23おさや糸店0587-37-0003営業時間・アクセスおさや糸店・手芸店一宮市,名古屋市 イベント情報・バーゲン情報などをお送りしています。ご希望の...

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