"邪馬台国東遷説" の検索結果 166 件

  1. 住吉、宗像、安曇と宇佐八幡宮の起源

    住吉、宗像、安曇と宇佐八幡宮の起源

    宇佐八幡宮が宗像3女神以外に何故応神天皇と神功皇后を祀るのか。応神天皇と神功皇后が大和朝廷を征服、大和朝廷の3姉妹に婿入りしそれを、宗像、住吉、安曇がサポートし八幡宮ができた経緯を確認したい。大八島国は、応神天皇の時の倭国の領域と考える。『古事記』・『日本書紀』の時代感覚から推定するとそうなる。伊邪那岐、伊邪那美が大八島国を作ったことは事実であるが、その時の大八島国と『古事記』に最終的に記録...

  2. 五色豆と五行説

    五色豆と五行説

    今日は桃の節句年が明けてからもうそんな季節に…1月、2月はすっ飛んでいった感じがします今日は五色豆とプーアル茶京都豆政の五色豆、久しぶりですとってもきれい^^そして美味しいお砂糖の衣が厚くてカリカリ、色ごとに味が違うのも楽しいです砂糖掛けだけでも5日かかるのだとかなんとも丁寧なお仕事ですさて、説明書きを読むとこう書かれていました------------------五色の色は、王朝以来、幸福を...

  3. 邪馬台国東遷説卑弥呼と推古天皇

    邪馬台国東遷説卑弥呼と推古天皇

    卑弥呼と推古天皇には5つ共通点がある。双系相続の後継者、群臣から共立されたこと、財産の相続者であったこと、弟(甥)のサポートを受けたこと、年既に長大なるも夫がなかったことである。これは卑弥呼と推古天皇が共に双系相続社会を生きたことを示している。そして双系相続社会は、それぞれが財産を所有する有力者(貴族)の集合体で、中国的な国王という国全体を支配する人は存在しない。ただ群臣の代表は天皇家の後継...

  4. 邪馬台国東遷説大和説批判

    邪馬台国東遷説大和説批判

    邪馬台国大和説は、考古学の結果のみから、大和説を導く。例えば箸墓は、卑弥呼の時代に重なるので、これだけの規模の前方後円墳があるのは大和だけである。従って邪馬台国は大和である。しかし様々な人が指摘するように、卑弥呼の時代にそもそも政府があるの。大和が筑前を支配できるのという声には耳を貸さない。高層ビルの密集度で東京と福岡を比べるとレベルが違う。福岡は東京に支配されているというのと変わらない。...

  5. 邪馬台国東遷説空白の世紀

    邪馬台国東遷説空白の世紀

    台与が魏に朝貢した、266年から、413年倭国王が高句麗とともに、東晋に朝貢するまで中国の歴史書に倭国の記載がないことから、空白の世紀と呼ばれる。この原因は端的に言って、313年帯方郡が滅びたことによるものである。卑弥呼が自力で行けるのは、帯方郡までで、そこからは帯方郡の長官が、魏の都まで送ってくれていた。倭国は帯方郡が滅びたことを知らなかった。413年倭国王は高句麗に頼んで、平壌から東晋...

  6. 邪馬台国東遷説住吉、宗像、安曇の東遷

    邪馬台国東遷説住吉、宗像、安曇の東遷

    住吉、宗像、安曇は日本書記神代の巻で、天照大御神と同時に誕生している。そして宗像氏の先祖は金印を貰った奴国王である。住吉は筑前に神功皇后とともに祀られる場合も多い。住吉は筑前の住吉から摂津の住吉大社に東遷した。安曇氏も筑前の志賀海神社より東遷して大和朝廷の一員になった。有名な白村江の戦いで、大和朝廷の大軍を率いたのが安曇氏である。宗像氏は、東遷しなかったが、娘が天武天皇の后となっている。筑前...

  7. 邪馬台国行路記事と双系相続

    邪馬台国行路記事と双系相続

    魏志倭人伝を解釈する上で重要なのは、中国と日本の文化GAPを考慮することである。中国は律令制が完成しており、男系相続で中央集権国家である。日本が律令制を完成するのは奈良時代、400年遅れていて卑弥呼の時代は双系相続の氏族社会である。「その国、本また男子を以って王と為す。住みて七、八十年、倭国は乱れ、相攻伐して年を歴る。すなはち、一女子を共に立て王と為す。名は卑弥呼といふ。鬼道に事へ、よく衆を...

  8. 双系相続と神功皇后

    双系相続と神功皇后

    応神天皇から光仁天皇まで双系相続であったことが知られる。ただ男性天皇が亡くなった後、自然にその配偶者が天皇になったのは斉明天皇が初めてである。応神天皇が400年頃とすると斉明天皇は、642年。242年後である。飯豊皇女が最初の女性天皇となったのは、481年81年後である。神功皇后は、仲哀天皇がなくなった後、自然に天皇になり新羅征伐を行っている。また神功皇后記を見ると、神功皇后は筑紫でしか活躍...

  9. 邪馬台国東遷説神功皇后記の真実

    邪馬台国東遷説神功皇后記の真実

    神功皇后記と古代朝鮮の歴史書「三国史記」は骨格部分が一致している。三国史記で倭国にたびたび襲われるのは、新羅だけである。百濟は倭国とは友好国で贈り物をやり取りする関係。高句麗とは、ほぼ無関係である。新羅征伐も倭国の主目的は人民を略奪することで、現代的に新羅を植民地とするということとは程遠い。神功皇后記に新羅を金銀、綾の国といっているのが、新羅から金銀、綾を取ってくる海賊行為をしていることを示...

  10. 邪馬台国東遷説宗像、安曇、住吉と出雲の神々

    邪馬台国東遷説宗像、安曇、住吉と出雲の神々

    日本書記神代巻から、天照大御神と宗像・住吉・安曇の神々は、親戚のようなパートナーであった。出雲神も天照大御神と密接な関係を持つことは国譲りの神話で明らかである。宗像・住吉・安曇が奴国を、天照大御神が邪馬台国、出雲が投馬国を構成していた。奴国2万戸、邪馬台国7万戸、投馬国5万戸が卑弥呼の時代の大国である。投馬国まで水行20日は、帯方郡からの距離を指し、帯方郡から水行10日で伊都国、さらに水行1...

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