"ごん兵衛" の検索結果 154 件

  1. 10分どん兵衛はいかに?そしてヒガシマルうどんスープの可否は?

    10分どん兵衛はいかに?そしてヒガシマルうどんスープの可否は?

    マキタスポーツ氏提唱の10分どん兵衛。5分待つところを10分にするだけである。今日も添付の「東」スープは捨ててヒガシマルうどんスープで食べる。うむ、麺が大変よろしい感じに戻って、ふやけた感じにもならず、優しさをまとう。ここに来て気付いた事は、ヒガシマルうどんスープにはうどん玉が合うし、どん兵衛の麺とはいささか相性が良くなく、どん兵衛「西」の味からは遠いなと言う事。うどん玉買ってきてチャッと茹...

  2. 落語「安兵衛狐」無鉄砲な又さんが好きだったのに…

    落語「安兵衛狐」無鉄砲な又さんが好きだったのに…

    二匹目のコンコンさん。落語「安兵衛狐」の舞台を歩くhttp://ginjo.fc2web.com/79yasubei_kitune/yasubei.htm古今亭志ん生(五代目)安兵衛狐*https://www.youtube.com/watch?v=G9fWkbxD-sIこの噺、好き。野菜なんかと一緒で、アクがない人間は物足りない。前の「今戸の狐」がヒントになりました。安=反兵衛=米=石=黒...

  3. 西の王道 ヒガシマルうどんスープでどん兵衛(東)を作ったらどうなる?

    西の王道 ヒガシマルうどんスープでどん兵衛(東)を作ったらどうなる?

    京都で生まれ京都で育った私の身体はほぼ、吉本新喜劇とエースコックのワンタンメンとヒガシマルうどんスープで出来てるゆうのは言い過ぎか、いや遠からずである。ワンタンメンは8年前越してきた時には無かったが数年前からスーパーに並ぶようになって小躍りである、滅多に食わんけど常備の安心感だ。今日はどん兵衛(東)をヒガシマルうどんスープで作るとどうかと思いついてやってみた。私にはどん兵衛は(西)が美味いの...

  4. 年越しとあけおめ。

    年越しとあけおめ。

    お湯を入れて0時ちょうどに出来上がった年越しうどんを食べて、紅白追っかけ再生で早送りで見た大晦日。年越しうどんなんて食べたの久しぶりだな。11月あたりからずっと忙しくて、あっという間に年があけてしまった。

  5. 慶沢園(その1)

    慶沢園(その1)

    9月に四天王寺に行ったばかりですが、再び天王寺へ。そのときに時間がなく見れなかった慶沢園(けいたくえん)をお目当てに訪ねました。この日はこの後、お庭を訪ねて、御堂筋を北上しました。慶沢園は天王寺公園内にある林泉回遊式日本庭園で、元は住友家第15代吉左衛門が茶臼山本邸の庭園として造園したものです。命名は伏見宮貞愛親王だそうで、大正15年(1926)に、住友家から大阪市へ寄贈されました。庭園の設...

  6. 松田屋ホテル庭園(その2)

    松田屋ホテル庭園(その2)

    庭園は大正7年頃に第9代総理大臣を務めた山縣有朋(やまがた ありとも)の支援があって、7代目・小川治兵衛により作庭されました。大滝からの流れを中心とした流水回遊式庭園で、国の名勝地に登録されています。松田屋ホテル庭園江戸中期 / 1918(大正7)年ころ名勝作庭:7代目小川治兵衛(植冶)山口市湯田温泉3-6-7撮影:2019.10.15本館の端にある客室は離れのような位置にあり、独自の露地庭...

  7. 松田屋ホテル庭園(その1)

    松田屋ホテル庭園(その1)

    江戸時代に築庭され、明治維新の志士たちも集ったという歴史ある日本庭園。その庭を囲むように書院・数寄屋風造りの本館と6階建ての新館が建っています。当初は枯山水の庭だったとか。現在の庭園は大正7年頃に第9代総理大臣を務めた山縣有朋(やまがた ありとも)の支援があって、7代目・小川治兵衛により作庭されました。庭園は大滝からの流れを中心とした流水回遊式庭園で、国の名勝地に登録されています。山縣は築庭...

  8. どん兵衛うどんは西がええわ、でも蕎麦は東やぞ。

    どん兵衛うどんは西がええわ、でも蕎麦は東やぞ。

    関西に行くと必ず買う「どん兵衛」西。うどんはやはり西、ただ蕎麦は東が美味いぞ。5分ではなく10分どん兵衛も美味いぞ。<どん兵衛 西と東を食べ比べ>https://ichiroblog.exblog.jp/238364762/竹内いちろライブ予定https://ichiroblog.exblog.jp/21489821/Real Acoustic Guitar Live 自宅ライブ予定http...

  9. 「生野の変」ゆかりの地を訪ねて。その7<黒田與一郎・中島太郎兵衛顕彰碑>

    「生野の変」ゆかりの地を訪ねて。その7<黒田與一郎・中島太郎兵衛顕彰碑>

    「その6」で紹介した三国神社で自刃した中島太郎兵衛と、その弟の黒田與一郎の顕彰碑が、兵庫県朝来市和田山町高田あります。このあたりに、かつて彼ら兄弟の生家がありました。 国道9号線を北上していると、顕彰碑の誘導看板があります。 看板の向こうに見える鳥居は、高田八幡神社のものです。 その鳥居のすぐ横の階段を上ると顕彰碑があります。 中島太郎兵衛と黒田與一郎兄弟の生家は、代々、和田山高田村の大庄屋...

  10. 「生野の変」ゆかりの地を訪ねて。その6<美玉三平・中島太郎兵衛終焉の地(美国神社)>

    「生野の変」ゆかりの地を訪ねて。その6<美玉三平・中島太郎兵衛終焉の地(美国神社)>

    「その5」のつづきです。「その1」で紹介した生野代官所跡から直線距離で南西に25kmほど離れた宍粟市山崎町木ノ谷で、生野の変の挙兵メンバーの美玉三平と中島太郎兵衛が落命しました。現在、その近くにある美国神社に、ふたりの墓があります。 美玉三平は薩摩藩出身の脱藩浪士、中島太郎兵衛は地元但馬国の豪農でした。彼らは早くから地元の農兵組織化に奔走しており、平野國臣らと計画段階から密議を交わして生野挙...

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