"どうする家康" の検索結果 155 件

  1. 今川から徳川へ

    今川から徳川へ

    静岡駅北口『徳川家康公』の銅像が設置されています。少し離れたところに『竹千代』像があります。今回、生誕500年ということで新たに『今川義元公』の像が設置されました。↓こんな感じで並んでいます。

  2. とうとう最後のドングリ発芽。

    とうとう最後のドングリ発芽。

    鳴かぬなら鳴くまで待ったら出てきました。家康の言葉を信じて良かった。偉人の格言は信じてみるもんかね。最後のドングリもニョキニョキ発芽してくれて楽しみが一つ増えました。 みんないい感じで大きくなることだろう。日々観察しながら元気をもらって今月も頑張ろっかね。HAVE A DISTANCE!

  3. ビデオ:東金・山武社寺めぐり最福寺の春2020

    ビデオ:東金・山武社寺めぐり最福寺の春2020

    今日は東金市の最福寺を訪ねてビデオ撮影。最福寺は、徳川家康から直々に三十石の御朱印地を賜った寺として有名です。家康が鷹狩りで東金を訪れた際、当時の住職・日善上人が謁見しています。境内には、歌舞伎の「お富与三郎」で知られる「切られ与三郎」の墓もあります。ビデオ:最福寺の春20204月25日撮影大きい画面(YouTube)はこちら⇒https://youtu.be/ldwMmt-6eXQ

  4. 麒麟がくる第10話「ひとりぼっちの若君」~織田信広と竹千代の人質交換~

    麒麟がくる第10話「ひとりぼっちの若君」~織田信広と竹千代の人質交換~

    前話に続いて今回もほとんどが創作の回だったので、織田信長の庶兄・織田信広についての話を少し。信広は織田信秀の長男と伝わりますが、母が身分の低い側室であったため、家督相続権は弟の信長にありました。生年は不詳ですが、信長とは年が離れていたと推測されています。 弟の信長があまりにも英雄となったために愚鈍な兄に見られがちな信広ですが、決してそうではなかったようで、戦の際には父・信秀から軍事的にも重要...

  5. 長篠の合戦古戦場へと走った

    長篠の合戦古戦場へと走った

    長篠の合戦古戦場、場所は愛知県新城市長篠設楽ヶ原。戦ったのは、織田信長・徳川家康連合軍と武田信玄の子武田勝頼。勝ったのは、織田信長。負けた武田家はこの戦いを機に滅ぶことになる。と言うのが定説だが。 長篠の戦い天正3年(1575年)5月、信長・家康連合軍3万8000人と武田勝頼の1万5000人が連吾川を挟んで激突した。6時間に及ぶ激戦の末、武田方は名だたる武将をはじめ1万人の死者を出し、敗走...

  6. 天下布武の象徴、安土城攻城記。その4<伝徳川家康邸跡~大手道~七曲り>

    天下布武の象徴、安土城攻城記。その4<伝徳川家康邸跡~大手道~七曲り>

    「その3」の続きです。大手道にもどります。 ようやく太陽が照ってきたので、もう一度大手道石段の写真です。 前稿で紹介した「伝羽柴秀吉邸址」上の段の虎口から大手道を挟んで斜め向かい側(東側)に、現在の摠見寺仮本堂があるのですが、観光パンフレットの説明によると、ここは「伝徳川家康邸址」となっています。いやいやいやいや、それはいくらなんでも、ないっしょ!徳川家康を織田信長の家臣だったように思ってい...

  7. 国宝・彦根城を歩く。その7<大手門~山崎曲輪>

    国宝・彦根城を歩く。その7<大手門~山崎曲輪>

    「その6」のつづきです。今回は内堀の西側を南から北に向かって歩きます。 南側の内堀です。彦根城の石垣の特徴的な見どころのひとつで、土手の上部に鉢巻石垣、土手の下部に腰巻石垣が築かれています。 向こうに見えるのは大手門に渡る木橋。「その1」で紹介した南東の表御門に架かる橋から、南西の大手門までの間の内堀の内側に、この鉢巻石垣と腰巻石垣が築かれています。なぜこのような石垣を築いたかは、はっきりし...

  8. 丹波国篠山城跡を歩く。その3~大書院~

    丹波国篠山城跡を歩く。その3~大書院~

    「その2」の続きです。篠山城二ノ丸にあった建物のなかで、ひとつだけ平成12年(2000年)に復元された大書院です。 写真は南側から見た大書院。 篠山城大書院は木造住宅建築としては非常に規模が大きく、現存する同様の建物の中では、世界遺産に指定されている京都二条城の二の丸御殿遠侍に匹敵する建物だそうです。たしかに、見た感じも似てますよね(参照:大政奉還150年記念に訪れた二条城。その2~二ノ丸御...

  9. 丹波国篠山城跡を歩く。その1~内堀~

    丹波国篠山城跡を歩く。その1~内堀~

    兵庫県篠山市にある篠山城跡を訪れました。篠山城は江戸幕府開府後に徳川家康が築いた城で、当時、篠山盆地は大阪や京都から山陰、山陽への街道が通る交通の要衝地でした。 江戸幕府を開いた徳川家康は、慶長13年(1608年)に松平康重を常陸国笠間城から丹波国八上城に移し、さらに、西国諸大名に対する抑えの拠点として新城の築城を命じました。そして築かれたのが、ここ篠山城です。 築城工事は西国15カ国20大...

  10. サンタの季節

    サンタの季節

    市内中心部に所用があり帰りに「サッポロファクトリー」に寄ってみました。今年も煙突のサンタさんは健在でした。後期高齢者であろうサンタさんを見ながら、徳川家康の名言を思い出しました「人の一生は、重き荷を負うて遠き道をゆくがごとし、急ぐべからず」今年もあと半月あまり、急ぐまい、急ぐまい!にほんブログ村 にほんブログ村ブログ作成の励みになります気に入って頂けた写真文章などがお目に留まりましたらお好き...

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