"井伊直弼" の検索結果 47 件

  1. ②その後豪徳寺へ

    ②その後豪徳寺へ

    招き猫発祥の豪徳寺この奥に…昔 近江彦根藩 藩主の井伊直孝が鷹狩りの帰り道 お寺の前を通りかかると1匹の猫が手招きをしていました。招かれるまま寺の中に入ると急に雷雨になり この猫のお陰で濡れずに済んだそうです。そして直孝はこのお寺を立派に改築し猫を祀り豪徳寺としたそうです。この寺には井伊家のお墓があります。

  2. 今川軍三人の武将

    今川軍三人の武将

    前回「戦人塚」の記事でも書きましたが、今年は今川義元の生誕500年ということもあり、戦いに敗れた今川氏にもスポットライトが当てられています。そこで今回は桶狭間の戦いに参戦し、緑区に足跡が残っている三人の今川方武将について紹介したいと思います。①松井宗信二俣城主(現在の浜松市の北部)で桶狭間の戦いでは今川方の先鋒として高根山に陣をしきました。織田軍の動静を監視するとともに織田軍の佐々、千秋先遣...

  3. 龍潭寺

    龍潭寺

    【キャンペーン】ゴールデンウィークの思い出&おでかけスポット教えて!GWももう終わりですね。今日は、名古屋からアートセラピーの先生が遊びに来てくれました。もう、先生というより、恩師、仲間、友人、おねぇさんみたいな大切な存在です。リクエストで井伊家歴代の菩提寺、龍潭寺に参りました(*^_^*)お庭も有名です♪時を忘れ、ぼっーーーっーーと何時間でも座っていれそうです♪門をくぐるとさわやかな風が出...

  4. サイン本31 @抽選Webサイン会(コミコミスタジオ)

    サイン本31 @抽選Webサイン会(コミコミスタジオ)

    井伊イチノ先生の「セフレとなんか恋に落ちない」のサイン本届きました!元ヤン恭のイラスト付き(*´ω`*)純情な元ヤンとストーカーを作ってしまうビッチな先輩のお話で、エロ多めだったけど、可愛いお話でした!気付いたら、12月が半分終わってました・・(;'∀')大掃除、お風呂しかしていない・・昨日、外でメダカの鉢をゴシゴシしてたら風邪ひいたみたい。。普段から平熱高いから、変わら...

  5. 江戸城を歩く。その3「桜田門」

    江戸城を歩く。その3「桜田門」

    「その2」の続きです。皇居正門から二重橋濠沿いに南へ歩きます。打込み接ぎの高い石垣が続きます。 濠が直角に西へ曲がったところに、渡櫓門が見えます。皇居から霞が関エリアに抜ける「桜田門」です。 桜田門といえば、なんと言っても思い出されるのは、幕末に起きた「桜田門外の変」でしょう。安政7年3月3日(1860年3月24日)、ここ江戸城桜田門外で水戸藩脱藩浪士17名と薩摩藩士1名が彦根藩の行列を襲撃...

  6. 幕末京都逍遥その119「金福寺(村山たか隠棲地)」

    幕末京都逍遥その119「金福寺(村山たか隠棲地)」

    前稿で紹介した詩仙堂から200mほど南下したところにある金福寺は、幕末の女スパイ・村山たかが晩年を過ごした隠棲地と伝えられます。 金福寺は貞観6年(864年)に慈覚大師円仁の遺志により、安恵僧都が創建したと伝えられる古いお寺です。その後、荒廃していましたが、元禄年間(1688年~1704年)に圓光寺の鉄舟によって再興されました。その後鉄舟と親しかった松尾芭蕉が、京都に旅行した際に庭園の裏側に...

  7. 幕末京都逍遥その89「若州小浜藩邸跡」

    幕末京都逍遥その89「若州小浜藩邸跡」

    二条城南門から100mほど南下したあたりに、「若州小浜藩邸跡」と刻まれた石碑があります。このあたりには、かつて若狭小浜藩の京屋敷がありました。 小浜藩主の酒井家は、江戸時代、京都所司代を3代が務めた譜代大名家でした。特に、幕末の最後の14代当主・酒井忠義は、天保14年(1843年)から嘉永3年(1850年)の8年間と、安政5年(1858年)から文久2年(1862年)の4年間の計12年間の長き...

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