"朝倉氏" の検索結果 859 件

  1. 安倍さんがいなくなっても、”歴史修正主義者”はうじゃうじゃいる。

    安倍さんがいなくなっても、”歴史修正主義者”はうじゃうじゃいる。

    私が”歴史修正主義者”について語ろうと思ったのは、この⇩の記事を拝見したからです。まずは”歴史修正主義”とは「歴史修正主義」は歴史的事実の全面的な否定や意図的な矮小化、逆にある特定の側面のみの誇張、政治的な意図を持った歴史の書き換えなどを指して、ネガティブな意味合いで用いられる用語である。日本において歴史修正主義という表現は概ね第二次世界大戦における日本の戦争犯罪の否定や相対化、あるいは日本...

  2. 藤原氏の嘘

    藤原氏の嘘

    富士野における仇討ちの場面(曽我物語図会)藤原氏は中臣氏ではなく、天智天皇の御落胤の血統だという話があります。香川の志度には「海女の玉取り伝説」というお話があって、ここで藤原不比等とされているのは、実は天智天皇の話だったと。海女との間に生まれた子が藤原不比等で、幼い藤原不比等を中臣鎌足に託したと、そんなお話を聞いたことがあります。徐福が書いたとされる宮下文書では、天児屋根命の末裔が物部氏、天...

  3. メダカストラップ入荷しました!

    メダカストラップ入荷しました!

    人気のメダカストラップ・網バージョン(アライ氏作)入荷しました!!花メダカオリジナルの網バージョンです。つまみ細工のメダカが網の上にちょこん。掬われちゃったのにとぼけたお顔。とーっても可愛いストラップです。東京メダフェスでもすぐに売り切れちゃいました。ひとつひとつが心を込めた手作り品のためにみ~んなちょっとずつ違う。お気に入りをどうぞ見つけてください。網の上のメダカがお待ちしてます。インスタ...

  4. 海部氏の謎3⃣ 笠水神社と水銀と「笠氏」ー伊加里姫の伝承

    海部氏の謎3⃣ 笠水神社と水銀と「笠氏」ー伊加里姫の伝承

    海部氏の謎シリーズ③『勘注系図』については、海部氏の謎1⃣ 海部氏が代々奉斎した籠神社の「闇」でも記したが、本題に入る前に『海部氏本系図』と『勘注系図』について少し触れておきたい。「勘注」とは、「調査したり、勘定したりして記録すること」『古文書用字用語大辞典』である。『海部氏本系図』と『勘注系図』については、『神道大系古典編13』神道大系編纂会(平成四年)で確認することができる。『海部氏本系...

  5. ワクチン分科会坂元委員は何者か

    ワクチン分科会坂元委員は何者か

    ワクチン分科会坂元委員は何者か https://t.co/2iyxAw9peg @YouTubeより #ワクチン後遺症 #ワクチン薬害2022年9月14日 #ワクチン分科会 厚生労働省 議事録より1990年 #ファイザー 臨床総括部長 #坂元昇 氏の問題発言👇— ヒイロ (@hiiro33) November 1, 2022

  6. 京都 廬山寺

    京都 廬山寺

    源氏物語を執筆した紫式部邸宅址に建造された廬山寺。白砂と苔の源氏の庭は枯山水とは違った趣で静寂の世界でした。桔梗の花がたくさん植えられているのですが花が終わりに近い状況だったのが残念。本堂では黙々と写経をする女性が二人。源氏の庭では一人静かに庭を眺めるお坊さんが印象的でした。

  7. 海部氏の謎2⃣ 海神を祖とする海部直の隠しきれない真実

    海部氏の謎2⃣ 海神を祖とする海部直の隠しきれない真実

    海部氏の謎シリーズ②海神を祖とする安曇族前編 (海部氏の謎1⃣ 海部氏が代々奉斎した籠神社の「闇」)では、「(丹後の)海部族は彥火明命の直系を自称したが、実は安曇族等の海人族の一派であり、國ツ神であった」でまとめた。つまりは海部族の系譜仮冒だ。古代の海人族といえば、安曇族や宗像族が代表的だ。和邇族も「皇別」を称しているが、実体は大綿津見神系の海人族。➡日下部氏についての考察②ー海人族「日下部...

  8. 「青鬼の涙」結婚できなかったワケは

    「青鬼の涙」結婚できなかったワケは

    五「青鬼の涙」です。短い作品。間部詮勝って人が主人公なんだけど。ググった形跡あり。間部さん、80歳すぎの老人。家族に黙って、初恋の人がいる故郷・サバエに行く。そこで、初恋の人そっくりの👧と会う。曾孫だった。テーマは「二人はなぜ、結婚できなかったか」書いてない。けど解った💪間部一族はキリシタンで、幕府内部から倒幕を画策したと推理してます。間部氏=...

  9. 古代から今へ

    古代から今へ

    にほんブログ村祖母と土佐の椙本神社の神輿です。11月23日は秋の大祭92才で他界した祖母ですが最期まで地元の神社に心から仕えた人です。昨晩Eテレ「100分de名著」を視聴しました。今月は民俗学者折口信夫氏の「古代研究」でした。とても考えさせられました。神道が政治に関わらないように、と戦後は厳しい統制があったとのこと、そんなときに古代からの日本の風習として、すさんだ戦後の人々の心の支えになるよ...

  10. 大朝を学ぶシリーズ➊「吉川氏と大朝」の紹介シリーズ④大河鎌倉殿と13人も間もなく承久の乱、いよいよ吉川氏と大朝の関係が近づきます。

    大朝を学ぶシリーズ➊「吉川氏と大朝」の紹介シリーズ④大河鎌倉殿と13人も間もなく承久の乱、いよいよ吉川氏と大朝の関係が近づきます。

    吉川氏が大朝に来るのは1313年ですが、遡ること92年、鎌倉を揺るがす承久の乱が起り、吉川氏は鎌倉幕府側の武士として大活躍。その恩賞として大朝の荘を幕府から安堵されます。1221年のことです。しかし、吉川氏は大朝には来ず、駿河の吉川を本拠にしたまま大朝の地頭を務めます。留守にしている大朝の荘園は周囲の勢力よって度々脅かされ、しかも鎌倉幕府の力が確実に弱まり、鎌倉殿に頼るのは危険になってきます...

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