"加藤健一" の検索結果 572 件

  1. 太宰治と石川安吾の違い「敗戦後論」(加藤典洋)

    太宰治と石川安吾の違い「敗戦後論」(加藤典洋)

    きのうは、僕がパンを買いに行って(空いてる)カフエで本を読んでいる間に、サンチはトリミングに行ってきた。サンチも、4月で14歳、足が弱っているのは僕と同じだ。じっとテレビを見ているときがあるけど、わかっているのだろうか。スキーとかマラソン、馬や犬などに反応してテレビに縋りつくようにして吠える。何かして欲しいことがあるときは、縋りつかずに、単にテレビに向かって吠えては、こっちの顔を窺う。知らん...

  2. 悪から善をつくる

    悪から善をつくる

    きのうも「敗戦後論」(加藤典洋)を読んだ。大岡昇平が、現代仮名遣いについて、それを否定する福田恒存の「私の国語教室」の主張を正しいものとし、国語審議会の連中を名前を挙げて痛烈に批判したのにもかかわらず、1961年から現代仮名づかいを使用する。そして、戦後書いた作品はすべて現代仮名遣いに改めて再録するのだ。その理由を大岡昇平は「(現代仮名遣いを)わが国が敗戦の結果背負わされた十字架として荷って...

  3. 汚れていることの自覚「敗戦後論」(加藤典洋)

    汚れていることの自覚「敗戦後論」(加藤典洋)

    夕方5時から歯科医、左下奥歯のかぶせた内部に虫歯があるかもしれない。かぶせたのは三本の歯を連ねる形になっているので、これを外して調べるのは大ごとだ。大ごとの治療をするほど僕の余命があるかどうか。とりあえず「様子見」という選択。男子複合ノルディックを見ながら晩酌。普通の道路でスキーをした僕のスキー体験にもっとも近い(ジャンプを除くと)競技だ。途中での選手間の駆け引きがおもしろい。日本の最終走者...

  4. 東海伝統工芸の今ありがとうございました

    東海伝統工芸の今ありがとうございました

    東海伝統工芸の今愛知県陶磁美術館ギャラリーにて、8日間展示されました。ご高覧ありがとうございました。

  5. NEWS小山慶一郎&加藤シゲアキ“同世代”ハライチ岩井とミニ四駆作り「なんでまっすーいないの?」

    NEWS小山慶一郎&加藤シゲアキ“同世代”ハライチ岩井とミニ四駆作り「なんでまっすーいないの?」

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  6. 東海伝統工芸の今

    東海伝統工芸の今

    2月5日から13日、愛知県陶磁美術館にて、東海伝統工芸の今が催されます。春にあった東海伝統工芸展と内容は同じですが、ご高覧いただけましたら幸いでございます。

  7. 賤ヶ岳古戦場その3<南郭~主郭>

    賤ヶ岳古戦場その3<南郭~主郭>

    「その2」のつづきです。賤ヶ岳砦の山頂、南郭に登ってきました。 曲輪の南端に、「七本鎗古戦場賤ヶ嶽」と記された木碑があります。「賤ヶ岳の七本槍」とは、羽柴秀吉軍にあって活躍した7人の若侍たちのことで、福島正則、加藤清正、加藤嘉明、平野長泰、脇坂安治、片桐且元、糟屋武則らのことですね。彼らは、のちの豊臣政権下でそれぞれ出世を遂げました。 その南西側には、琵琶湖の最北端が見渡せます。美しいロケー...

  8. 加藤憲史郎よ、成長しないでくれ。

    加藤憲史郎よ、成長しないでくれ。

    「納骨の時、傘マークやけど開いてないから雨降らないんじゃないか、ておばーちゃんが。傘開いてないと降らん、てすごいな」「ずっと前から傘マークはそうやで?開いてたら降るけど閉じてたら降っても小雨」「そんな違いあるんや?…テレビで天気予報を見ぃひんからなァ」「スクールIEのCMはあんなに見るのにな」「誰が?」「まぅよ」「いつ?」「ごはんの時よ」「へぇ…意識してないわ…その日は何か見たかったんやろな...

  9. イケオジ俳優5人、ヨウジヤマモトのランウェイを歩く (Yohji Yamamoto pour homme 2022)

    イケオジ俳優5人、ヨウジヤマモトのランウェイを歩く (Yohji Yamamoto pour homme 2022)

    2022年1月20日、『ヨウジヤマモト プールオム』のファッションショーが、東京都にある青山本店で開催され、松重豊・加藤雅也・伊原剛志・仲村トオル・三原康可が、ランウェイを歩いた。ゴロー、どこを見てる?海賊風。こなれている。少年っぽい。グレーのロンゲが似合う。この破壊力!(動画はこちら) Mads MikkelsenやAlexander SkarsgårdやJeremy IronsやKim ...

  10. 賤ヶ岳古戦場その1<賤ヶ岳リフト>

    賤ヶ岳古戦場その1<賤ヶ岳リフト>

    近畿の水がめ、琵琶湖の最北端に接した標高421mの賤ヶ岳は、かつて天下分け目となる戦の舞台となりました。天下分け目の戦いといえば関ヶ原の戦いを連想しますが、ここ賤ヶ岳付近で行われた合戦は、関ヶ原より17年前の天正11年(1583年)4月、織田信長亡きあと、その跡目争いに乗じて羽柴秀吉と柴田勝家の間に勃発した勢力争い、世にいう「賤ヶ岳の戦い」です。 東側から臨む賤ヶ岳です。中央の突起したところ...

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