"徳川" の検索結果 296 件

  1. 幕末京都逍遥その89「若州小浜藩邸跡」

    幕末京都逍遥その89「若州小浜藩邸跡」

    二条城南門から100mほど南下したあたりに、「若州小浜藩邸跡」と刻まれた石碑があります。このあたりには、かつて若狭小浜藩の京屋敷がありました。 小浜藩主の酒井家は、江戸時代、京都所司代を3代が務めた譜代大名家でした。特に、幕末の最後の14代当主・酒井忠義は、天保14年(1843年)から嘉永3年(1850年)の8年間と、安政5年(1858年)から文久2年(1862年)の4年間の計12年間の長き...

  2. 幕末京都逍遥その86「二条城二の丸御殿」

    幕末京都逍遥その86「二条城二の丸御殿」

    二条城にやってきました。現在に伝わる二条城は、関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康が、上洛時の宿所として慶長7年(1602年)から翌年にかけて造営されたものですが、幕末、ここ二条城の二の丸御殿において、大政奉還の宣言が行われました。 ここを訪れたのは昨年の9月で、ちょうど「大政奉還150年周年記念プロジェクト」が行われており、東大手門前には金屏風風の看板が設置されていました。 そして、こちらが大政...

  3. 幕末京都逍遥その81「京都守護職屋敷門」

    幕末京都逍遥その81「京都守護職屋敷門」

    平安神宮の西側にある観光バスの駐車場に、古い門だけがポツリとあります。この門は、幕末の京都を警備した京都守護職屋敷門が移築されたものだそうです。 京都守護職の屋敷は、現在の京都府庁と京都府警察本部のあたりにありました。明治に入って、その跡地には京都府庁の庁舎が建てられ、明治32年(1899年)にこの地に建てられた大日本武徳会の本部道場「武徳殿」の正門として、この門が移築使用されたそうです。現...

  4. 大高八幡社(家康と桶狭間の戦い)

    大高八幡社(家康と桶狭間の戦い)

    先回紹介した桶狭間古戦場まつりでは、「信長攻路」という共同イベントがあり合戦当日の再現劇が各地で行われました。ここ緑区でも桶狭間会場から少し離れた大高八幡社で、徳川家康と河村名古屋市長のトークショーというちょっと変わった関連イベントが開かれました。信長攻路なのに、なぜ家康?と思われるかもしれませんが、桶狭間の戦いでは徳川家康も今川方の家臣として参戦し、大高城へ兵糧を運び込み今川軍の入城を待つ...

  5. 散歩のニャンと風野真知雄6月4日(月)

    散歩のニャンと風野真知雄6月4日(月)

    路地にニャンが。一段高い所へ上がりました。 「新若さま同心徳川竜之介6乳児の星」著風野真知雄 おゆきの家はおにぎり屋をしている。店はここではなく、つくったものを京橋川にかかる三年橋のたもとの出店で売っている。朝、飯を炊く暇のないお店者などがけっこう買っていくらしい。 竜之助も何度か買って食べたことがある。海苔で巻いてあったり、かつおぶしがまぶしてあったり、家でつくるおにぎりとは一味違っ...

  6. 散歩のニャンと風野真知雄6月2日(土)その2

    散歩のニャンと風野真知雄6月2日(土)その2

    お、ゴージャスな毛並みのニャンが。少しアップに。 「新若さま同心徳川竜之介5薄闇の唄」著風野真知雄 外神田の筋違橋界隈というのは、よそから移転してきた代地だらけで、町名もやたらと複雑に混じり合っている。 代地はたいがいが、元あったところが火事で焼けたため火除け地として没収され、代わりに与えられた土地である。そっくり町ごと移転してきたわけである。しかも前の町名をいまも使っているので、外神...

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