"沿線火災" の検索結果 67 件

  1. 『関西人はなぜ阪急を別格だと思うのか』

    『関西人はなぜ阪急を別格だと思うのか』

    伊原薫『関西人はなぜ阪急を別格だと思うのか』読ませていただきました。小林一三の阪急の歴史から、沿線開発、阪急電車のお話、阪急が培ってきたブランド力、これからの阪急の挑戦など幅広いテーマをコンパクトに纏めておられました。そこから私も感心していた話題を二、三紹介させていただきます。まず柚木麻子さんの『3時のアッコちゃん』でも紹介されていた梅田駅の光沢を放つホーム。<たとえば床面だ。明らかに他の駅...

  2. 西村京太郎『阪急電鉄殺人事件』梅田駅三線同時発車

    西村京太郎『阪急電鉄殺人事件』梅田駅三線同時発車

    西村京太郎『阪急電鉄殺人事件』が刊行され、楽しみに読んでみましたが、阪急電鉄絡みの事件を期待した読者にとっては、率直に言って、少しガッカリの作品でした。それでも阪急に馴染のなかった著者は、阪急電鉄について勉強されたようで、冒頭から阪急の紹介が続いていましたので、少し紹介しましょう。裏表紙には、次のような説明が書かれていました。<阪急梅田駅では、神戸・宝塚・京都の三路線の列車が同時に発車する。...

  3. 西村京太郎『阪急電鉄殺人事件』梅田駅三線同時発車

    西村京太郎『阪急電鉄殺人事件』梅田駅三線同時発車

    西村京太郎『阪急電鉄殺人事件』が刊行され、楽しみに読んでみましたが、阪急電鉄絡みの事件を期待した読者にとっては、率直に言って、少しガッカリの作品でした。それでも阪急に馴染のなかった著者は、阪急電鉄について勉強されたようで、冒頭から阪急の紹介が続いていましたので、少し紹介しましょう。裏表紙には、次のような説明が書かれていました。<阪急梅田駅では、神戸・宝塚・京都の三路線の列車が同時に発車する。...

  4. 日本初のターミナルデパートと湯川秀樹

    日本初のターミナルデパートと湯川秀樹

    小林一三記念館では、鉄道業だけでなく住宅開発、宝塚歌劇、映画、演劇等事業を数多く生み出し多方面で活躍した起業家小林一三の華麗な軌跡を、当時の資料や写真、映像、ジオラマ等で紹介していました。昔の古い梅田コンコースの写真(左)と新阪急うめだ本店11階レストランの写真(右)が紹介されています。大正9年に竣工したターミナルビル「阪急ビル」には一階に日用品雑貨販売の白木屋が入り、二階は直営食堂を営業。...

  5. 遠藤周作が愛し夢にまで見た阪急沿線仁川の風景

    遠藤周作が愛し夢にまで見た阪急沿線仁川の風景

    遠藤周作が阪神間の風景で最も愛したのは仁川でした。エッセイ集『異邦人の立場から』に収められた「仁川の村のこと」からです。<ぼくは東京で生まれ、今も東京に住んでいるのだが、どうしたものか関東の風物になじめない。武蔵野のほこりっぽい、そして真黒な地面の色が性格に合わないかもしれぬ。そんな時、ぼくは阪神の陽にかがやいて白く反射する花崗岩質の地面がたまらなく懐かしくなるのである。>谷崎潤一郎や須賀敦...

  6. 苦楽園「三笑橋」の由来(竹中郁『私のびっくり箱』)

    苦楽園「三笑橋」の由来(竹中郁『私のびっくり箱』)

    竹中郁『私のびっくり箱』「苦楽園とは」からです。<国鉄の芦屋駅の前から走るバスで「苦楽園」行きというのがある。それに乗ると終点は小さい橋のたもとで、その橋は「三笑橋」という名だ。ここらは大正十年ごろに土地開発された。電鉄沿線に土地経営がはやったが、その波の一つだ。> そこでで、竹中郁は「三笑」、「苦楽」の命名のしぶさを語ります。<「三笑」という中国の故事は、詩人陶淵明を送ってでた法師がつい話...

  7. 『坊っちゃん』のうらなり先生が神戸トア・ホテルでマドンナと再会

    『坊っちゃん』のうらなり先生が神戸トア・ホテルでマドンナと再会

    小林信彦の『うらなり』ではマドンナは結局、大阪船場の木綿問屋に嫁ぎますが、夫が遊び人で随分苦労しているとか。あの騒ぎから二十年経過して、ひょんなことから姫路に住んでいるうらなりと電話で話します。<-姫路に行きましょうか。姫路城を案内してくださらない?―私の生徒に目撃されます。少しは考えてくださいよ。 私は受話器を置きたくなった。声をひそめるのも奇妙なものである。―それじゃ、神戸はどうかしら。...

  8. 阪神間モダニズムが生み出した仁川の風景(谷崎潤一郎『赤い屋根』)

    阪神間モダニズムが生み出した仁川の風景(谷崎潤一郎『赤い屋根』)

    仁川の風景をこよなく愛した作家は遠藤周作でした。小説『黄色い人』では仁川を舞台とし、エッセイ「仁川の村のこと」で次のように述べています。<少年のころ、ぼくはこの線(阪急今津線)にある仁川という場所で育った。言うまでもなく関西学院のある所だ。白く光っている仁川の川原を真中にはさんで、洋菓子のような洋館がたちならぶ小さな住宅村である。にもかかわらずこの小さな村はなぜかどこかの避暑地にも似た雰囲気...

  9. 谷崎松子さんの苦楽園・六甲ホテルの甘美な思い出

    谷崎松子さんの苦楽園・六甲ホテルの甘美な思い出

    大正初期の苦楽園は、保養地として賑わいをみせ、三笑橋を中心に東には共同浴場とその隣に長春楼、北には大観楼と松雲楼、西から南にかけては萬象館、六甲ホテルなど旅館やホテルが建ち並び、山上プールや運動場まで揃う「総合温泉リゾート地」でした。苦楽園の六甲ホテルでは毎週西洋料理の講習会が開催されて阪神沿線の夫人令嬢が集うなど、社交場としても大きな役割を果たしていたそうです。また大正6年には与謝野寛、晶...

  10. 谷崎松子が少女時代に暮らした香櫨園

    谷崎松子が少女時代に暮らした香櫨園

    『細雪』『吉野葛』『盲目物語』『春琴抄』などのモデルになった谷崎松子(旧姓森田松子)さんは、少女所時代には香櫨園の別邸で暮らしていました。谷崎松子『蘆辺の夢』からです。<父は母のために阪神間に別荘を持ちたいと知人に頼んでいたらしい。が、母の死後、香櫨園に庭もゆったりした、建物もわるくない家が見つかった。子供たちが母の体質を受けていたらとそればかり懸念して、できうるかぎり香櫨園の家に暮らさせよ...

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