"沿線火災" の検索結果 67 件

  1. 関西初の探偵ページェントの会場は苦楽園「太陽閣」

    関西初の探偵ページェントの会場は苦楽園「太陽閣」

    江戸川乱歩の自伝『探偵小説四十年』に、探偵小説の隆盛を図り、大正14年10月に江戸川乱歩、横溝正史、川口松太郎、下村海南らも参加し、「探偵趣味の会」の最大の催しとして、六甲苦楽園で探偵ページェントが開催されたことが書かれています。<探偵趣味の会十月例会を兼ねて、渡瀬淳子演劇研究所員のページェントが、十月二十五日午後二時から、阪神沿線六甲苦楽園内で開催された。越木岩稲荷附近で演ぜられた春日野緑...

  2. 西宮の鰯売りのお話(岩谷時子『愛と哀しみのルフラン』より)

    西宮の鰯売りのお話(岩谷時子『愛と哀しみのルフラン』より)

    岩谷時子さんの『愛と哀しみのルフラン』で、最初に西宮に住んでいた頃の話題が出て来るのは「美味しさとは」と題したエッセイです。<今日までの暮らしのなかで、いちばん美味しいと思って食べたものは、なんだったかと考えてみた。たちまち頭に浮かんだのは「明石で漁れたいかなご」「麦わらで巻いた郷里のかまぼこ」…なんのことはない。すべて食料の乏しい戦時中、ようやく手に入れた食べ物ばかりである。> 「いかな...

  3. 映画『She's Rain』に登場する阪急神戸線の駅

    映画『She's Rain』に登場する阪急神戸線の駅

    『She's Rain』(シーズレイン)は、平中悠一の短編小説で、1985年に17歳で執筆したデビュー作です。それを原作として1993年に白羽弥仁監督、小松千春、染谷俊主演により同名のタイトルで映画化されています。映画では芦屋や夙川あたりの高級住宅街で生まれ育った高校生たちのスノビッシュで、少し現実離れした恋愛模様が描かれていますが、原作の『She's Rain』を読んだ...

  4. 志賀直哉「暗夜行路」に描かれた城崎温泉そして北但大震災のこと

    志賀直哉「暗夜行路」に描かれた城崎温泉そして北但大震災のこと

    城崎温泉は志賀直哉はじめ多くの文人が訪れ、小説や随筆に著しています。今回は「暗夜行路」で時任謙作が訪れた城崎温泉からです。<城崎で彼は三木屋というのに泊まった。俥で見て来た町の如何にも温泉場らしい情緒が彼を楽しませた。高瀬川のような浅い流れが町の真中を貫いている。その両側に細い千本格子のはまった、二階三階の湯宿が軒を並べ、眺めは寧ろ曲輪の趣に近かった。又温泉場としては珍しく清潔な感じも彼を喜...

  5. 昭和の初めの阪急沿線風景(北尾鐐之助『近畿景観』)

    昭和の初めの阪急沿線風景(北尾鐐之助『近畿景観』)

    昭和4年に創元社より刊行された北尾鐐之助『近畿景観』の「阪神風景漫歩」の章に昭和の初めの阪急沿線の様子が述べられています。<阪急電車では、六甲、御影から多くの西洋人が乗った。神戸から毎日必ず顔を合わせる品の良い老人があった。その人はいつも御影で降りた。日曜日など、若い娘にニッカーを穿かせて、リュッックサックを背負った西洋人の一家が、よく六甲で降りて山に入るのを見た。私はいつも、その人たちの逞...

  6. 昭和の初め、甲山頂上から東側の景色(『近畿景観』)

    昭和の初め、甲山頂上から東側の景色(『近畿景観』)

    現在は甲山頂上からの視界は樹々に遮られていますが、子供のころは山火事がしょっちゅうある禿山で、山頂からは素晴らしい眺望でした。北尾鐐之助の『近畿景観』には、昭和の初めの甲山の頂上からの景色が書かれています。<頂上は惜しいことに、海に面した南の方が、樹木が伸びていて展望がきかない。東北方はいつか山火事があって、それがために樹木が短くなっているので、川辺平野から、宝塚方面にかけて、無類の大景をみ...

  7. 昭和4年阪急の車窓から

    昭和4年阪急の車窓から

    北尾鐐之助「阪神風景漫歩」の最後では、当時の阪急電車の車窓から見える景色について述べています。<私は、阪神間の交通路の中で、阪急沿線ほど、美しい色彩に富んでいるところはあるまいと思う。大阪以西、西宮までの平坦地は、三月の中頃になれば、ぼつぼつ蓮華、菜の花が染め出し、四月に入ると、一望ただ、菜の花の黄金の色に埋められる。>今や沿線は住宅で埋め尽くされていますが、昭和4年は田畑が広がっていたので...

  8. 昭和の初めの阪急沿線

    昭和の初めの阪急沿線

    北尾鐐之助「阪神風景漫歩」には昭和の初めの阪神間の風景が写真を見るように描かれています。阪急沿線の様子です。<阪急電車も、阪神電車も、乃至国道電車も、その停留所の乗降客によって、土地の生活分布を知ることができる。阪急電車では、六甲、御影から多くの西洋人が乗った。神戸から毎日必ず顔を合わせる品の良い老人があった。その人はいつも御影で降りた。日曜日など、若い娘にニッカーを穿かせて、リュッックサ...

  9. 「阪神風景漫歩」新国道と武庫川大橋

    「阪神風景漫歩」新国道と武庫川大橋

    昭和4年発行の北尾鐐之助著「近畿景観」からです。最初の章「阪神風景漫歩」は<いつからか、風景漫歩の癖がついた。>で始まり、阪神国道に沿って、大阪から順に景観が描かれ、武庫川にいたります。<淀川大橋を起点として、阪神旧国道バスというものができた。新淀川の北岸を通って、東へ塚本、十三を経て木川まで、西は稗島、大和田を経て、新千船、辰巳橋まで通っているが、新国道以西は道路が狭いのと、川のため屈曲が...

  10. 昭和の初め北尾鐐之助の歩いた宝塚

    昭和の初め北尾鐐之助の歩いた宝塚

    北尾鐐之助「宝塚新繁盛記」から昭和の初めの歌劇場周辺の紹介をいたします。<明治44年に、武庫川の両岸を埋立てて、東岸には歌劇場を、西岸には今の河岸に沿う旅館、料理店などができた。それより以前の武庫川と云えば、実に広漠たる大河であった。当時歌劇場附近の河岸には、わずか二、三軒の農家が点在していたのみで、あの辺一帯に寂しい松並がつづいていた。いま電車を降りて土産物を売る店の前を通り、歌劇場に向...

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