"花田勝" の検索結果 431 件

  1. 賤ヶ岳の七本鎗の一人・片桐且元出生地。

    賤ヶ岳の七本鎗の一人・片桐且元出生地。

    前稿で小谷城の西麓にある脇坂安治の生誕地を紹介しましたが、小谷城の反対側の東麓には、同じく賤ヶ岳の七本鎗の一人である片桐且元の出生地があります。 外灯には「須賀谷」と書かれた旗が装飾されています。現在の住所は長浜市須賀谷町ですが、地名の由来は、且元の父・片桐孫右衛門直貞が、この谷に鷹の巣をかける岩があることから「巣ヶ谷」と改めたことに始まると伝わるそうです。イラストは、おそらくお市の方とお茶...

  2. どんど焼き2022

    どんど焼き2022

    こんにちは。あっという間に1月も終わります。27日からまん防も出てしまい、下田も閑散期真っ只中といった感じです。さて、どんど焼き。1月15日、今年は無事にどんど焼きが行われました。(昨年はコロナで中止)コロナの終息や無病息災、商売繁盛などもりもり願いを込めて。火を付ける前はこんな感じ。青い海と青い空。とても綺麗な冬の晴れ間。18:00、子供たちによる点火。しっかりと火がつき、燃え上がり、見守...

  3. この前のブログ記事の...

    この前のブログ記事の...

    この前のブログ記事の予想通りの結果となりました。詳細は下記リンクを御参照ください。何が言いたかったというと「人の予想は大抵当たらないことが多いので、その隙間の人気の馬番を狙っていく」ということです。長年予想をしている井崎脩五郎も、元ジョッキーの細江純子も、DAIGOは論外ですが当たる時はあるのでしょうけれど、人の予想の裏を常に狙うほうが確率は上がるという法則が成り立つような気がします。それで...

  4. 33年前の成人式

    33年前の成人式

    オイラの時代は1月15日でした。この頃は親のスネをかじり苦労知らずだったなぁ〜。仕立ての紫のラメ入りスーツとネクタイにやなぎやポマードべったりの頭。仕立て屋さんに探してもらったピンクのワイシャツ白から黒に塗り直したクラウンに足回りを強化しての参上。田舎のヤンキー丸出しですね。この3時間後にはベロベロでした(笑)子供ができてから日に日にち思いますが、親に感謝ですね。ロッケンロー!&#...

  5. ハラコ飯、これも親子丼

    ハラコ飯、これも親子丼

    仙台名物ハラコ飯、とはちょい違います。鮭の煮汁で炊き込みご飯が仙台、それはしないで自分で作った塩鮭を焼いて、炊きたてご飯に混ぜて+イクラです。ロシアからのイクラが最高に美味い❣️日本で知ってるのより美味いんじゃないかなー⁉️店のスタッフ曰く、瓶詰めは添加物入ってるから薦めない、とガラスのボールから量り売りを昨年試しました。美味くて驚いた。3種あり、2番目が好き、と薦めてくれた店員もいたが、少...

  6. 勝海舟

    勝海舟

    ようやく「勝海舟」全6巻読了です。やったね!装丁がバラバラなのは中古本だからです。子母澤寛原作ですが、読み応えありましたよ。勝麟太郎(海舟通常の呼び名)と言えば「咸臨丸」で、初めてアメリカへ渡った幕末の人物程度の知識しかありませんでしたが、いやいや実際はそんじょそこらにいる小者とは違い国の将来を大局観にたって見通すことが出来る英傑でありました。おまけにいつもホントか嘘かわからぬ物言いで、「本...

  7. 感慨の、初対決(2021年12月30日)

    感慨の、初対決(2021年12月30日)

  8. あけましておめでとう2022

    あけましておめでとう2022

    あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします!年末は子供を介してうつされたと思われる軽い風邪的症状(鼻水咳)で、家族全員が不調のループでいろいろ大変でした。。。クリスマス前からだったので、年末の準備やら片付けやらはたくさん諦めました。苦笑さて、健康第一を考えさせられて迎えた2022年。今年の勝五郎は恒例のお雑煮からのスタート!!毎年アップしていますが、かき菜たっぷりの勝五郎...

  9. 南禅寺に行く12月(2021年)4

    南禅寺に行く12月(2021年)4

    最勝院だいぶ散ってた(12/5撮影)もっと早ければ左側の紅葉がきれい(17/11/24)

  10. 徳川慶喜、東京に帰る(「青天を衝け」213)

    徳川慶喜、東京に帰る(「青天を衝け」213)

    徳川慶喜、東京に帰る(「青天を衝け」213) 「青天を衝け」第38回で、徳川慶喜が東京に帰ってきた場面がありました。慶喜が東京へ移住したのは、明治30年11月19日です。明治30年11月16日に静岡を発ち、19日に千駄ケ谷の徳川宗家の屋敷に一旦入ったあと,巣鴨の別邸に入っています。徳川慶喜が駿府に入り、宝台院で蟄居謹慎したのが明治元年7月23日です。明治2年9月28日に謹慎が解除され紺屋町の...

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