"西郷稠頼" の検索結果 325 件

  1. 幕府が倒れて、、朝鮮が侵略されて

    幕府が倒れて、、朝鮮が侵略されて

    昨日は、昼過ぎにサンチはカミさんに任せて、外に出た。出ないではいられないほどのいい天気だったのだ。出てみたところで、我が家から360度、どこも特にという気持ちになれないまま、バスが来たら遠くに行ってみようと思いつつ、歩き続けた。二度もバス停に着く前に追い越されたので、もうバスはやめて駒沢公園を突っ切って八雲に向かう。思いがけず、河津桜をみつけた。こうした写真を載せると、どこか遠くの河津桜の名...

  2. 風景印・目黒八雲五郵便局

    風景印・目黒八雲五郵便局

    目黒八雲五郵便局が移転と改称のため風景印が廃止になってしまうので、使用最終日の風景印を郵頼にて。駒沢オリンピック公園がデザインに入っているので、東京オリンピックのサッカーの切手に押印を。

  3. 風景印・吉野山郵便局

    風景印・吉野山郵便局

    吉野山郵便局の風景印が変更になるので、新旧の風景印を郵頼にて。両方ともに桜がデザインに入っているので、現行の63円切手に押印を。旧風景印。新風景印。デザインが面白い。

  4. 岡崎城址に行ってきた

    岡崎城址に行ってきた

    歴史と素適なおつきあい番外編2023・2・2岡崎城城主は三河国仁木氏の守護代西郷稠頼(つぎより)。明大寺付近に最初に平岩城(旧岡崎城)があり、東岡崎駅の家康像あたりにあったという。明大寺古屋敷という説明板がある。この場所が最初に岡崎と言われる場所だった。次は3代目西郷信貞である。居館は明大寺古屋敷である。砦を龍頭山の段丘の先端に築城した。龍頭山には乙女に姿を変えた龍神伝説が伝わる。(岡崎のむ...

  5. 三河山中城に行ってきた

    三河山中城に行ってきた

    歴史と素適なおつきあい番外編2023・2・1城主は西郷信貞である。西郷氏は南北朝の頃三河守護だった仁木氏の守護代として三河に来た人で明大寺岡崎城に城をつくった。今の岡崎城の東にあった。そして今の岡崎城の位置に砦を作ったという。松平清康(3代目)と対抗するため山中城を築城、東海道と吉良道が接する交通の要衝だった。そして清康により落城、清康が亡くなると今川氏の拠点となった。桶狭間で今川義元が討た...

  6. 風景印・丸岡横地郵便局

    風景印・丸岡横地郵便局

    丸岡横地郵便局の風景印が新しくなるということで、郵頼にて新旧の風景印を。旧風景印。新風景印。一見して何が変わったか分からないんだけど、日付の並びが変わっているという…。間違い探しだね、これは(苦笑)

  7. てんぷら山の上で季節の天丼、そして西郷さん

    てんぷら山の上で季節の天丼、そして西郷さん

    山の上ホテルのてんぷら屋さん、山の上が日本橋三越のB1に出店しています。いつか行かねば、と思っていましたが月曜日の夕方に訪れました。夕方5時過ぎですが店内は満員との事で、若干、5分程度かな、待ちました。そんなにたくさんは戴けないのでかき揚げ小丼にしようかと考えていましたが、お薦めの季節の天丼にしました。ご飯は物凄く少なくして下さい、とお願いしました。早くもりっぱなふきのとうの天ぷらが。春野菜...

  8. 風景印・富士見勝瀬郵便局

    風景印・富士見勝瀬郵便局

    3月31日をもって廃止になってしまった富士見勝瀬郵便局の風景印を郵頼にて。使用最終日の押印を。説明書きも同封されてました。

  9. 鷗外山に登る

    鷗外山に登る

    今朝もいい天気、朝の冷気が心地よい。一昨日済んだばかりのような気のする大掃除をやって、うっすらと汗をかいた。きのうは、さほど迷うこともなく、マハ平を歩くことなく鷗外山に登ることにした。弱ったといってもまだ自分の足で歩けるうちに巨峰に挑んでみたい。膝が痛んで休まざるを得ないときに原田マハたちに慰謝を求めるのだ。世に知られぬ『伊沢蘭軒』を書くにあたって、鷗外は史料の乏しいのに困惑するが、つぎのよ...

  10. 雪割橋@福島県西郷町

    雪割橋@福島県西郷町

    観音沼森林公園では小雨だったのに、雪割橋では晴れていました。観音沼森林公園でもっと粘っていた方が良かったかも?などと考えながら、これから見ごろを迎えるだろう雪割橋からの景色を撮影したのでした。

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