"関ジャニ∞" の検索結果 216 件

  1. 武威から西へ

    武威から西へ

    武威からは曹魏の青龍年間の随葬衣物疏が出土している.ただ詳細は不明ながら,後漢時代に遡る随葬衣物疏の出土例も報告されている.磨嘴子墓群からは後漢時代の銘旌が何点も出土しており,これに言及した歴史学・考古学・書道史の論稿も内外でたくさん出ている.黒白二色の塼をモザイク状に墓壁に嵌め込む塼質墓の初出も武威の雷台一号墓でこれも後漢時代である.このような墓はやがて嘉峪関の新城墓群にも登場する.そして...

  2. 「北伐」

    「北伐」

    渡邉義浩『三国志 研究家の知られざる狂熱』に,「諸葛亮の北伐は,直接,長安・洛陽を攻めるものではなく,涼州を拠点として長安を目指すものでした.したがって,涼州の背後にあたる西域の異民族に,諸葛亮は積極的な外交攻勢をかけました.これに対して,諸葛亮と対峙していた曹真は,西域の背後にあたる中央アジアからインドを支配する大国の大月氏国を臣下とすることにより,西域諸国が蜀漢に味方することを難しくしま...

  3. 余昊奎「三世紀前半の東アジアの国際情勢と高句麗の対外関係」

    余昊奎「三世紀前半の東アジアの国際情勢と高句麗の対外関係」

    頼んであった上記論文(井上直樹訳,『朝鮮学報』第227輯,2013年)のコピーが届いた.45頁の長編.韓国・中国・日本の成果を駆使しながら,大きなテーマに挑んでいる.読み応えがありそうだ.ただざっと見たかぎりでは,やはり242年に高句麗が曹魏の西安平県を占領したとする.しかし注に引かれた『三国史記』でも「襲破」とあるだけで,ここから「占領」を読み取るにはやはり無理ではないだろうか.注を見てい...

  4. 省境・続

    省境・続

    分省地図を見ていたら,江西省の南端は,湖南省の南端よりもはるかに南で,広東省の韶関よりも南であることがわかった.であれば,南端の全南県にも珠江の源流域が入り込んでいるのではないかと思い,グーグルマップで見たが,残念ながら,このあたりでは分水嶺が省境になっているようで,それはないもよう.北の韶関は珠江の流域だが,それよりも南に位置する全南県を流れる桃水はやがて貢水に合流して北に向かう.そう言え...

  5. 省境

    省境

    昨年noteにアップした「「後漢桂陽太守周憬功勲銘碑陰」について」をあらためて読み返していて,後漢時代の荊州の領域は五嶺を越えて嶺南にも及んでいたことを再確認した.珠江を遡れば,荊州だったのである.曲江・湞陽・含〓(氵+匡)諸県は現在の広東省にであり,曲江県は韶関市曲江区にあたる.それに対して現在の湖南省と広東省の省境は五嶺に沿っているばかり思っていたのだが,グーグルマップでよく見ると,湖南...

  6. 室山留美子・穴澤彰子「吐魯番北涼文書の作成,保存,再利用,廃棄,埋納過程に関する一考察」

    室山留美子・穴澤彰子「吐魯番北涼文書の作成,保存,再利用,廃棄,埋納過程に関する一考察」

    あらためて読み直す.丁寧に拙稿に目を通してくださったお二人の著者にはただただ感謝するばかりなのだが,拙稿の拙速を随所で戒めており,読むためにはけっこうの覚悟が必要な論稿である.少なくとも私にとっては.……関尾氏は,北涼時期以降の吐魯番出土文書についても,概ね反古紙と被葬者(近親者)の関係を結びつけて考えており,……しかし,これは慎重に判断したい.というくだりがある(37頁).「考えており」に...

  7. 早くも修正の必要

    早くも修正の必要

    甘粛省文物考古研究所編『甘粛省基本建設考古報告集』(一)と,林春他『河西魏晋十六国墓葬壁画磚体育研究』が届いた.後者は図像史料の写真を多数収録するが,いずれも転載ばかり.加えて嘉峪関の全景写真を「甘粛嘉峪関新城魏晋古墓遺址図」(55頁)として掲載する.お気楽な本作り(甘粛教育出版社,2021年).3人の著者の略歴や所属も不明.前者には,知らなかった柩銘の出土情報があった.『三国志拾遺 続』の...

  8. 『目録』84頁20

    『目録』84頁20

    嘉峪関新城五号墓出土,「牧馬」塼胡之主編『甘粛嘉峪関魏晋五号墓彩絵磚』15頁.

  9. 『目録』76頁52

    『目録』76頁52

    嘉峪関新城三号墓前室,「屯墾」図胡之主編『甘粛嘉峪関魏晋三号墓彩絵磚』16頁.

  10. 『目録』75頁39

    『目録』75頁39

    嘉峪関新城三号墓前室北壁,「塢・帳廬」図張宝璽編『嘉峪関酒泉魏晋十六国壁画』55頁.

21 - 30 / 総件数:216 件