"萩京子" の検索結果 249 件

  1. 「はまかぜだより」41「『素倉』と『協敬組』」

    「はまかぜだより」41「『素倉』と『協敬組』」

    「素倉」と「協敬組」前号の「浜風だより53号」において、「汽船荷客取扱処」の伊勢島商店屋上に設けられた望楼についてご紹介しました。その後、その望楼の細部を確認できる鮮明な写真を見出すことができました。あらためてご紹介します。ガラス窓を巡らした望楼の様子がよく分かります。(伊勢島商店屋上に設けられた望楼)さて今回は、その望楼の写真手前(北側)に見える大きな蔵のような建物について触れてみたいと思...

  2. 「はまかぜだより」40浜崎の伊勢島利介商店と望楼

    「はまかぜだより」40浜崎の伊勢島利介商店と望楼

    浜崎の伊勢島利介商店と望楼『山口県豪商便覧』という、明治19年(1886)に刊行された商工便覧が伝わっています。県内各地の商店や会社、製造所などを、当時先進の銅版画(エッチング)で紹介したものです。山口、防府、徳山、柳井、岩国、萩の171業者が掲載されていますが、そのうち萩については、46業者を数えることができます。掲載業者数の四分の一強を占めるということで、明治中期の萩の活況がうかがえます...

  3. 「はまかぜだより」39「萩商港」

    「はまかぜだより」39「萩商港」

    萩商港前号では、離島と浜崎とを結んでいた松本川河口の浜崎港について触れました。今号では、現在、離島航路の定期船が発着している萩商港についてご紹介します。(松本川河口を出港する定期船「たちばな」)この萩商港については、今から60年前の1962年(昭和37年)12月に起工され、1976年(昭和51年)8月に完成しています。14年間を要して整備されましたが、共用の開始は、翌年1977年(昭和52年...

  4. 「はまかぜだより」38「河口の港・浜崎港」

    「はまかぜだより」38「河口の港・浜崎港」

    河口の港・浜崎港かつて松本川の河口部分は、松本川の流れが運ぶ土砂が堆積する場所でした。そして冬になると、季節風と打ち寄せる荒波により、菊ヶ浜の方から砂州が発達していました。河口が浅く狭くなり、菊ヶ浜と鶴江が地続きになることもあったそうです。そうなると、船の航行は難しくなり、大型の船は河口にある浜崎港を利用できませんでした。これは長い間、浜崎港の抱える課題となっていました。(鶴江の台から撮影さ...

  5. 「はまかぜだより」37「踊り車と掲げられた額」

    「はまかぜだより」37「踊り車と掲げられた額」

    「踊り車」と掲げられた「額」以前このコーナーで、江戸時代終わりころに編まれた『八江萩名所図画』の中の、「住吉祭礼の図」をご紹介しました。住吉祭りの折に市中を巡行する「踊り車」が描かれたものです。この「踊り車」の巡行については、1700年代初め頃の記録に見えますので、300年の歴史を誇ることになります。(浜崎本町の通りを進む「踊り車」、大正末年から昭和初年の撮影か)1659年に住吉祭りが始まっ...

  6. 「はまかぜだより」36「映画館『萩セントラル』」

    「はまかぜだより」36「映画館『萩セントラル』」

    映画館「萩セントラル」昭和28年(1953)の正月、浜崎町の映画館「萩セントラル」において、アメリカ映画「陽のあたる場所」が上映されました。主演はモンゴメリークラフトとエリザベステイラー、アカデミー賞にノミネートされた作品ですが、上映を知らせる当時のチラシが伝わっています。(戦後、洋画上映館として人気を集めた「萩セントラル」、1950年頃の撮影)チラシの下半分には、菓子店(岡村本店)の広告が...

  7. 「はまかぜだより」35「雁島橋(がんじまばし)」

    「はまかぜだより」35「雁島橋(がんじまばし)」

    雁島橋(がんじまばし) 藩政時代、橋本川と松本川は、萩城の外側の堀であることから、橋を架けることが制限されていました。いわゆる「川内」と「川外」の出入りは、橋本橋と松本橋の2橋を除いては、10ヵ所の船渡しと陸渡り (かちわたり)が利用されました。 (現在も運航されている「鶴江の渡し」〔1960年頃、角川政治さん撮影〕)(香川津の渡し〔戦前撮影〕)明治維新の後、時期は定かではありませんが、明治...

  8. 「はまかぜだより」34「州口(すぐち)を切る」

    「はまかぜだより」34「州口(すぐち)を切る」

    州口(すぐち)を切る『萩市史 第二巻』によると、1928年(昭和3年)6月24日、梅雨末期の豪雨によって阿武川が増水し、河口に位置する鶴江地区においては、40戸が床上・床下浸水したとされます。同じく松本川河口に面する浜崎地区や市内の低地においても、相応の被害があったと考えられますが、市史はそれを伝えていません。(松本川河口・姥倉運河入口〔1960年頃、角川政治さん撮影〕、河口部分が狭くなって...

  9. 「はまかぜだより」33「ヘリコプターの不時着」

    「はまかぜだより」33「ヘリコプターの不時着」

    ヘリコプターの不時着昭和39年(1964)、第18回オリンピック競技大会が東京で開催されました。その年、「あしやからの飛行(FLIGHT FROM ASHIYA)」というアメリカ映画が公開されます。今から56年前(2020年現在)のことです。(1964年公開の映画「あしやからの飛行」〔パンフレットより〕)この映画では、福岡県の芦屋基地に駐留している米空軍の航空救助隊が、台風で遭難した日本...

  10. 「はまかぜだより」32「飛行機と菊ヶ浜」

    「はまかぜだより」32「飛行機と菊ヶ浜」

    飛行機と菊ヶ浜ライト兄弟が、ライトフライヤー号で世界初の動力飛行を行ったのは、明治36年(1903)12月17日のことです。それから13年後、大正5年(1916)9月25日、「国民飛行協会」が主催した「飛行会」において、萩の空を初めて飛行機が飛びました。飛行機の名前は「つるぎ号」、操縦士は陸軍の井上武三郎「騎兵(・・・?)」中尉でした。菊ヶ浜で撮影された大変に鮮明な機体写真と、指月山を背景に...

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