"徳川家康" の検索結果 345 件

  1. どうする「家康」

    どうする「家康」

    大変なものを発掘してしまったぁ。確かあったよなぁっと押し入れの隅をごそごそ探る、、大きな縦長の段ボールの箱、、重たい、あっ、これだぁ。奥からひきずりだして、畳の上に置いてみる。その箱には兜をかぶる戦国武将のイラストが描かれている。「家康」である。その段ボール箱は山岡荘八の「徳川家康」全集(単行本)なのでした。たぶん親父が生前に読んだであろうもので、私は昔から気になっておりました。いつかこれを...

  2. 多くの家臣が一揆側に加わる(「どうする家康」24)

    多くの家臣が一揆側に加わる(「どうする家康」24)

    多くの家臣が一揆側に加わる(「どうする家康」24) 「どうする家康」第7回では、三河一向一揆が本格的に描かれました。「どうする家康」では、家康や家臣たちに切迫感があまりないように感じられましたが、三河一向一揆は、家康の三大危機の一つに数えられる大事件ですので、あのようなのんびりした雰囲気ではなかったように思います。家康にとって重大であったことは、自らの家臣が一向一揆側に加担して、家康に刃向か...

  3. 奥の細道「行春や」こっちもボーイズ💓かよ

    奥の細道「行春や」こっちもボーイズ💓かよ

    行春や鳥啼き魚の目は泪時代的に、徳川綱吉の頃。其角さんの句にも出てきたんだけど、ツナっちはヤバい人。「日本国紀」のコラム部分でも、キッパリ「完全なバカ殿です」私の推理では、ボーイズ💓の人。相手は柳ヨッシーさんです。一般人はボーイズ💓でも何でも自由なんだけど、権力者がそうだと、側近を「愛人」でかためる。トラブル発生。江戸城で、男同士の三角関係で殺...

  4. 久能山東照宮⇒夢テラス @ 日本平観光

    久能山東照宮⇒夢テラス @ 日本平観光

    朝ごはんのあと、ひと休みしてから日本平ロープウェイで久能山東照宮へ。良いお天気で、日本晴れって感じだったよ!久能山東照宮の一番奥。家康公のお墓です。小規模ながら、見所満載だった。博物館も観て、またロープウェイで戻って、夢テラスという360度の展望ができるところへ行って。南アルプスも見えました。チラッと。太平洋側は御前崎までみえて。地図を見ながら、楽しみました。部屋に戻って、安倍川餅をアテに、...

  5. どうする家康第7話「わしの家」~家康改名と三河一向一揆勃発~

    どうする家康第7話「わしの家」~家康改名と三河一向一揆勃発~

    駿府で人質状態となっていた妻子を奪還した松平元康(のちの徳川家康)は、翌年の永禄6年(1563年)7月6日、名を「家康」に改めました。「元」の字は言うまでもなく今川義元の偏諱を与えられたものであり、今川から独立した今となっては、元康という名乗りは不都合だったんですね。今川とのしがらみを断つための改名だったと考えられています。 では、なぜ「家康」という名乗りだったのでしょう。家康の「康」は、祖...

  6. 洗濯機がねぇ。。

    洗濯機がねぇ。。

    先日来、洗濯機の調子が悪く前回買った時に7年耐用年数。。と記述されていた丁度、7年目。。。。前回は孫たちが家に滞在中で。。。(一年は居た💦)潰れる前に先にと。。音がおかしくなった時に買い替えた何しろ、小さいものとはいえ3人の孫と娘と息子に私たち夫婦。。💦一日に3回は回していた。。もっとかももぉ。。思い出せないぐらい。。よく働いてくれたと思います...

  7. 今川氏の旗印「赤鳥(あかとり)」(「どうする家康」22)

    今川氏の旗印「赤鳥(あかとり)」(「どうする家康」22)

    今川氏の旗印「赤鳥(あかとり)」(「どうする家康」22) 「どうする家康」第6回では、三河のいずれかの川を挟んで、瀬名・子供たちと鵜殿長照の遺児二人の人質交換が行われました。史実としては、石川数正が駿府に交渉に行ったようですので、実際の人質交換は、「どうする家康」の場面とは違う形で行われたのだと思います。 今日は、その人質交換で映し出された今川氏の旗印「赤鳥」の話をしようと思います。下写真は...

  8. 鵜殿長照は熊野水軍の出身(「どうする家康」21)

    鵜殿長照は熊野水軍の出身(「どうする家康」21)

    鵜殿長照は熊野水軍の出身(「どうする家康」21) 「どうする家康」第6回は上之郷城攻めが描かれていましたが、この上之郷城の城主は鵜殿長照でした。この鵜殿氏は、「寛政重修諸家譜」によると、紀伊熊野別当湛増の子・某(なにがし)が熊野新宮鵜殿村に住んだことから、鵜殿姓を名乗ったといいます。地図で確認すると、重県南牟婁郡紀宝町に鵜殿という地区があり、JR紀勢本線に鵜殿駅があります。また、紀宝町役場が...

  9. 長久手古戦場に行ってきた

    長久手古戦場に行ってきた

    歴史と素適なおつきあい番外編2023・2・2ゆっくり時間があれば砦巡りの散策ができる。郷土資料室の資料のみになってしまった。

  10. 大高城に行ってきた

    大高城に行ってきた

    歴史と素適なおつきあい番外編2023・2・2城主は南北朝の頃は池田頼忠、永正の頃は花井備中守、水野為善。息子の忠守と言われる。織田氏支配下の頃も水野氏だったが、鳴海城主・山口教継により今川氏支配となった。信長は鳴海城と大高城を遮断するため丸根砦と鷲津砦を築いた。家康行軍路桶狭間古戦場保存会より拝借桶狭間の戦いの前に今川家臣・鵜殿長照が守備についた。そして松平元康(家康)が兵糧を届け、長照に代...

11 - 20 / 総件数:345 件