"今川氏真" の検索結果 44 件

  1. どうする家康第10話「側室をどうする!」~遠州忩劇と西郡局~

    どうする家康第10話「側室をどうする!」~遠州忩劇と西郡局~

    今回のサブタイトルは「側室をどうする!」ですが、ひとまず側室の話は後まわしにして、少しだけ描かれた歴史のお勉強をしましょう。 三河一向一揆によって松平家康(のちの徳川家康)が苦慮していた同じころ、遠江では今川氏真がピンチに陥っていました。本来であれば西三河での一向一揆の勃発は、氏真にとっては家康に反撃する絶好のチャンスだったはずですが、同じ時期に今川から離反する国衆が相次いでいたため、それが...

  2. 今川教子日本画展 stream

    今川教子日本画展 stream

    先日、静岡松坂屋で開催されていました『今川教子日本画展』へ行っていきました。三年ぶりの地元静岡での絵画展というタイミングでしたが、実は今川教子さんは、親戚筋にあたる方で、以前から、今川さんの画を通して、色々なご縁が繋がっていたのですが、やっとお目にかかってお話しすることができました。そこでもまた、共通の知り合いが発覚して・・・いや、静岡は本当に狭いとあらためて思いました。私は、今川さんの描く...

  3. 【雑談】地域やお店によって名前がちがう今川焼き(ローカルトーク)

    【雑談】地域やお店によって名前がちがう今川焼き(ローカルトーク)

    こんにちは。かぴぱらです。前回に続き、新しい友人や取引先の人と仲良くなるときに話題にしやすい食べものをご紹介します。ローカル話というのは、コミュニケーションツールとしてとても有効だと思います。さて、一番最初に頭に浮かんだ名称はなんでしょうか?これも地域によって名称が異なる食べものです。私個人は、回転焼きという名称がメジャーだと思っていましたが、いろいろな友人や同僚に聞いてみると、全国的には今...

  4. 今川氏の旗印「赤鳥(あかとり)」(「どうする家康」22)

    今川氏の旗印「赤鳥(あかとり)」(「どうする家康」22)

    今川氏の旗印「赤鳥(あかとり)」(「どうする家康」22) 「どうする家康」第6回では、三河のいずれかの川を挟んで、瀬名・子供たちと鵜殿長照の遺児二人の人質交換が行われました。史実としては、石川数正が駿府に交渉に行ったようですので、実際の人質交換は、「どうする家康」の場面とは違う形で行われたのだと思います。 今日は、その人質交換で映し出された今川氏の旗印「赤鳥」の話をしようと思います。下写真は...

  5. 桶狭間古戦場に行ってきた

    桶狭間古戦場に行ってきた

    歴史と素適なおつきあい番外編2023・2・2織田信長の父が亡くなり、弟信勝との内紛でごたついた織田氏を見てチャンス到来と今川氏が侵攻したことから戦いが始まった。そして奇襲によりあっけなく今川義元が討たれた。公園は今川義元が討たれた場所あたりに造ったという。信長、義元、家康の行軍が体験できる。この中に公園内でもできるジオラマがある。そこから拝借した行軍路信長行軍路今川義元行軍路徳川家康行軍路

  6. 家康、吉良義昭を攻撃し今川家から離反(「どうする家康」14)

    家康、吉良義昭を攻撃し今川家から離反(「どうする家康」14)

    家康、吉良義昭を攻撃し今川家から離反(「どうする家康」14) 今川氏真の支援を得られなかった徳川家康(当時は松平元康)は、やがて織田信長と和睦し、三河統一に向けて、西三河の国衆たちを従えていきます。その中には、名族吉良氏がいました。「どうする家康」では、矢島健一さん演じる吉良吉昭が登場しました。そこで、今日は吉良氏の説明をしつつ、徳川家康が今川家から離反したことについて書いていきます。 吉良...

  7. 今川氏真が援軍を送れなかった理由(「どうする家康」13)

    今川氏真が援軍を送れなかった理由(「どうする家康」13)

    今川氏真が援軍を送れなかった理由(「どうする家康」13) 桶狭間の戦いの後も今川方にたって織田方と戦っていた徳川家康(当時は松平元康)が盛んに今川氏真に援軍の要請をしているにもかかわらず、なかなか援軍が送ってこないため、松平家の家臣たちがイライラする場面がありました。実は、今川氏真は三河に援軍を送りたくても送れない事情がありました。今日は、なぜ氏真が援軍をおくれなかったのか、その理由・事情を...

  8. どうする家康第3話「三河平定戦」~今川離反の決意~

    どうする家康第3話「三河平定戦」~今川離反の決意~

    今回は岡崎に帰った松平元康(のちの徳川家康)が、これまで通り今川に付いて織田と戦うか、あるいは、これを機に今川を見限って織田に与するかという、まさに「どうする」の話でしたね。劇中、家臣たちが今川に付くか織田に付くかで乱闘になっていましたが、実際にも、きっと家中の意見は分かれていたでしょう。じゃあ、当の元康は、どうだったのでしょう? 桶狭間の戦い後、元康はまず西三河の平定に着手します。他方で、...

  9. 竹千代、今川家の人質となる。(「どうする家康」7)

    竹千代、今川家の人質となる。(「どうする家康」7)

    竹千代、今川家の人質となる。(「どうする家康」7)「どうする家康」第3回では描かれませんでしたが、徳川家康が今川家の人質として駿府に居住していたということは有名なことです。そこで、徳川家康の駿府での人質生活について書いてみます。前回、書いたように、織田家の人質であった松平竹千代は、安城城の戦いで捕虜となった織田信広との交換により、今川家により奪還されました。これが天文18年(1549)のこと...

  10. どうする家康第1話「どうする桶狭間」~今川家人質時代と神君大高城兵糧入れ~

    どうする家康第1話「どうする桶狭間」~今川家人質時代と神君大高城兵糧入れ~

    どうするかは誰もが知っている徳川家康の物語が始まりました。長くて濃い家康の生涯ですから、どこを描いてどこを省くかが難しいところだと思いますが、第1話にしていきなり桶狭間の戦いまで進んじゃいましたね。ちょっと意外でしたが、でも、わたしはこれで良かったと思いますよ。家康の人格形成においては今川家での人質生活が重要だったと思いますが、家康の「どうする?」人生がはじまるのは、まさに桶狭間からと言って...

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