"ロラン・バルト" の検索結果 66 件

  1. 喪(続き)

    喪(続き)

    きわめて率直な言葉が胸をうつことに気付く。死も、身近な人を失うことも、ありふれた凡庸なことではあるのだけれど。バルトの日記の続き。1978年6月24日内面化した喪では、徴候はほとんどみえない。それが、絶対的な内面性の実現である。ところが、あらゆる賢明な社会は、喪を外面化することを規定し、体系化したのだった。わたしたちの社会の居心地の悪さは、喪を否定していることにある。1978年7月13日ムー...

  2. 喪

    母を亡くして一年がすぎた。一回忌も先月終えて。でも月日が経つほど思い出は濃く重く心を覆う。そんなときに不思議な偶然で私の手元にやってきた本ーロラン・バルト「喪の日記」。ロラン・バルト。Roland Barthes 1915-1980. フランスの思想家。1980年に交通事故で亡くなった、享年65歳ー早い死だ。『零度のエクリチュール』は1953年。バルトは、その生涯の殆どを母のアンリエットと暮...

  3. 415「極寒という最悪条件の中で、僕は凍結した湖に浮かぶ美しい城を見た…!」リトアニア、トゥラカイ

    415「極寒という最悪条件の中で、僕は凍結した湖に浮かぶ美しい城を見た…!」リトアニア、トゥラカイ

    1998年暮れから1999年1月上旬にかけ、舞台役者である友人のOAクンと一緒にバルト3国を旅した。まずはデンマークのコペンハーゲン空港で飛行機を乗り換え、1カ国目エストニアの首都タリンへ入る。翌々日は一旦コペンハーゲンへ戻り、再び飛行機を乗り換えて2カ国目ラトヴィアの首都リーガへ入国。そして3カ国目リトアニアへは、旅行代理店が手配したラトヴィア人大学生の運転するクルマで国境を越えて陸路入国...

  4. 431「何だかこの街にはいいイメージが残ってない。たぶん相性が悪いのかなぁ…?」ラトヴィア、リーガ

    431「何だかこの街にはいいイメージが残ってない。たぶん相性が悪いのかなぁ…?」ラトヴィア、リーガ

    1998年末から1999年始にかけ、僕は友人で舞台役者のOAクンとバルト3国を旅した。まずは12月29日、デンマークのコペンハーゲン経由で最初の訪問国エストニアの首都タリンに到着。その2日後12月31日、空路コペンハーゲンに一旦戻って飛行機を乗り換え、再び2カ国目ラトヴィアの首都リーガに入った。今回の旅は珍しく全て旅行代理店まかせ。ソヴィエト連邦の支配から独立してまだ間もなかったバルト3国。...

  5. ロマ書2章人の義

    ロマ書2章人の義

    まだ7時前なのに、空が明るい。とてもいいお天気で、朝が早く明けるようになった。今日から2月。もうすぐ立春。水曜日は教会で祈祷会のある日。10時過ぎには家を出て教会へ行く予定。きょうの聖書箇所はロマ書2章。教会へ行く前に高橋三郎氏とカール・バルト氏のロマ書2章を読む。高橋三郎氏のものは私が気になったところを納得できる形で説明していてくださる。カール・バルト氏のものは全然違う。説教を聴いているよ...

  6. 378「靄に包まれた夜の旧市街は、まるで中世の昔から抜け出たような姿だった…!」エストニア、タリン

    378「靄に包まれた夜の旧市街は、まるで中世の昔から抜け出たような姿だった…!」エストニア、タリン

    1998年12月下旬、舞台俳優の友人OAクンと一緒に成田からデンマークのコペンハーゲンに旅立った。といっても目的地はデンマークではなく、バルト3国のエストニア。それからラトヴィア、リトアニアと3カ国で2泊ずつ泊まり、再びコペンハーゲンに戻って1泊するという7泊8日の旅程。ヨーロッパはそれまで何度も旅してきたけれど、今回のようにホテルや飛行機・鉄道など全てをパック・ツアーのように旅行会社に依頼...

  7. NATOの東方拡大は露を刺激して危険だが、NATOに加盟しないのはもっと危険。

    NATOの東方拡大は露を刺激して危険だが、NATOに加盟しないのはもっと危険。

    11:53~「NATOが東方に拡大したらロシアの暴発を招くという論文は一杯ある」論文はたくさんあるのだろう。そして、確かに東方への拡大も侵攻原因ではあるのだろう。しかし、ウクライナを盗れる、とプーチンが読み切ったから今回の侵攻を始めた。つまり、戦争原因に関して、NATOの東方拡大の割合よりもNATOのウクライナへの不拡大の方がより大きな原因なのだ。エストニア首相「ウクライナがNATOに加盟し...

  8. 415「極寒という最悪条件の中で、僕は凍結した湖に浮かぶ美しい城を見た…!」リトアニア、トゥラカイ

    415「極寒という最悪条件の中で、僕は凍結した湖に浮かぶ美しい城を見た…!」リトアニア、トゥラカイ

    1998年の暮れから1999年1月上旬にかけ、舞台役者である友人OAクンと一緒にバルト3国を旅した。まずはデンマークのコペンハーゲン空港で飛行機を乗り換えて、1カ国目エストニアの首都タリンへ入る。続いて一旦コペンハーゲンへ戻り、再び飛行機を乗り換えて2カ国目のラトヴィアの首都リガへ入国。そして3カ国目のリトアニアへは、ツアーが用意したリトアニア人大学生の運転するクルマで国境を越えて陸路入国。...

  9. 431「どうしてもこの街にはいいイメージが残ってない。相性が悪いのかなぁ…?」ラトヴィア、リーガ

    431「どうしてもこの街にはいいイメージが残ってない。相性が悪いのかなぁ…?」ラトヴィア、リーガ

    1998年末から1999年始にかけて、僕は友人の舞台役者OAクンとバルト3国を旅した。12月31日は最初の訪問国エストニアの首都タリンから、一旦コペンハーゲンで飛行機を乗り換え空路再び2カ国目ラトヴィアの首都リーガに入った。僕にとって旅行代理店に旅を手配させるなんて滅多にあることじゃない。この時はまだソビエト連邦の支配から独立して間もないバルト3国の状況が分からないという理由で、念のため旅行...

  10. ロシア軍ウクライナ侵攻で思うこと

    ロシア軍ウクライナ侵攻で思うこと

    コロナ後はルネサンスか、戦争か、と以前のブログで書いたけれど、コロナ後ではないが戦闘が始まった。旧ソ連から独立した国、バル三国を旅したことを思い出した。1991年のリトアニア、ラトビア、エストニアの三国の独立は武器を使わず、集い、歌うことで得た独立運動と言われている。1989年8月23日に三国の首都までの600キロメートルを約200万人の人々が手をつなぐ「人間の鎖」ではじまった。ラトヴィアで...

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