"二・二六事件" の検索結果 9 件

  1. 令和五年 二・二六事件殉国烈士慰霊祭

    令和五年 二・二六事件殉国烈士慰霊祭

    令和五年二月二十六日。この日、東京渋谷において「二・二六事件殉国烈士慰霊祭」が挙行された。(主催:二・二六事件殉国烈士慰霊の會世話人代表鈴木康隆氏・弊会同人)多数の同志・同憂が相集い、国旗、慰霊碑に正対し君が代斉唱ののち、烈士に黙祷を捧げる。司会進行役は慰霊の會中村博之氏(写真中央)参列者全員によるご焼香ののち、慰霊の會、宮島秀樹氏による誓願詞奉読がある。誓願謹みて二・二六事件殉国烈士の御霊...

  2. その後の『新宿スイング』森山高校吹奏楽部】 【第二章/りんと誠治】 第五回

    その後の『新宿スイング』森山高校吹奏楽部】 【第二章/りんと誠治】 第五回

    第五回新宿スイング(通算十一回) で、やっとジャズバンドの演奏で歌うことができるという日に、大変なことが起きた。「二・二六事件」さ。お前、学校で習っただろ。陸軍将校のクーデターだ。俺も徳永さんも東京の治安維持に駆り出されて家にも数日戻れなかった。徳永さんや俺が所属していた保安係は地域の治安維持や防犯を担当していたからだ。それを機に日本はおかしくなっちまった。開戦まっしぐらさ。でも、まだ日本人...

  3. 二・二六事件殉国烈士慰霊祭

    二・二六事件殉国烈士慰霊祭

    令和四年二月二十六日。本年も東京渋谷において「二・二六事件殉国烈士慰霊祭」が挙行された。(主催:二・二六事件殉国烈士慰霊の會世話人代表鈴木康隆氏)オミクロン変異ウイルス感染が拡大し、東京では連日一万人を超える新規感染者が出ている中で、案内状等の告知を自粛され執り行われることになったものの多数の同志・同憂が集った。向かって左が鈴木康隆世話人代表・弊会同人この日の司会進行は中村博之氏(国旗の後方...

  4. 「新版 日本国紀」二・二六で斉藤実は死んでない

    「新版 日本国紀」二・二六で斉藤実は死んでない

    「二・二六事件」のところ引用します。〈青年将校らは高橋是清大蔵大臣や斉藤実内大臣を殺害し(岡田啓介首相は難を逃れた)、国会を占拠しました。〉鈴木💩太郎のことは、一言も出てこないのが、ウケる。ラスボスでしょ、やっぱ。高橋是清さんは、彼らにとって邪魔だろうね。よく知らないんだけど、斉藤実って人は、どうなのかなあ。人名や固有名詞は、裏を取れ。って、深沢不動様が書いていた気が...

  5. 二・二六事件殉国烈士慰霊祭

    二・二六事件殉国烈士慰霊祭

    「昭和十一年二月二十六日早暁!帝都の雪を血に染めて昭和維新断行の為決然起った尊皇義軍雄途空しく破れて散った二十二の忠霊それは昭和動乱史の悪夢の一幕であったかもしれないだがしかしその日の降りしきる雪の白さにも勝る殉忠救国至高至純の大義感は私共日本民族の亀鑑とすべきなりと信ずるのでありますここに於いて七正報国を念願しつつ代々木が原の朝露と消えた烈士の御霊に追悼の誠を捧げる事は我々の責務であり意義...

  6. あれっ、五・一五事件の犬養道子への影響?

    あれっ、五・一五事件の犬養道子への影響?

    【 犬養道子にとっての五・一五事件 】以下は、「昭和の怪物七つの謎」(保坂正康著、講談社現代新書)より。第四章犬養毅は襲撃の影を見抜いていたのか犬養毅が政友会の総裁として首相に擬せられたのは、昭和六年十二月である。このとき犬養は七十六歳であった。すでに政界を引退してもいい年齢なのに政友会総裁であったのは、政争の激しい政党をまとめるには長老級の重みが必要とさらていたからだった。元老西園寺公望か...

  7. 『永遠の都』第2巻

    『永遠の都』第2巻

    蓼科で、加賀乙彦『永遠の都』第2巻を読みました。 1936年の東京。主人公は、山口県の貧しい漁師の息子から、苦学して医者になり、いまや大病院の院長、経営者に成り上がった時田利平、61歳。その長女の夫は陸軍中尉で、勃発した2・26事件に巻き込まれます。帝大セツルメント(貧民救済活動)に参加していた次女は、突如逮捕され、特高の拷問を受け…。 秋になり、この次女の夏江のもとに葉書が届きます。セツル...

  8. 二・二六事件殉国烈士慰霊祭

    二・二六事件殉国烈士慰霊祭

    平成三十一年二月二十六日(火曜日)。平成の時代としては最後となる「二・二六事件殉国烈士慰霊祭」が挙行された。(主催:二・二六事件殉国烈士慰霊の会)昭和十一年のこの蹶起の背景には尋常ならざる地方農村の貧困があった事実は否めまい。このわが国で人が売り買いされる悲惨な現実。それでもなお極めた困窮生活を座視することが出来ずに将校らは維新を断行する。結果の是非は分かれるところだが、その志には深く同意す...

  9. 保阪正康著「昭和の怪物七つの謎」(追記)

    保阪正康著「昭和の怪物七つの謎」(追記)

    「昭和の怪物七つの謎」について読書ノートを過日書き込んだが、これは、読書ノートの追記である。「第5章」は「渡辺和子は死ぬまで誰を赦さなかったのか」。私の生まれた前年の昭和11年2月26日、「二・二六事件」が起こり、当時陸軍教育総監・渡辺錠太郎は自宅で青年将校の凶弾に倒れた。その現場にいて、一部始終を目撃したのが錠太郎の娘・和子だった。9歳の少女の体験にしては、余りにも重い。渡辺和子は戦時下に...

1 - 10 / 総件数:9 件