"#各宗教のアセンデッドマスターが出現" の検索結果 1004 件
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大川隆法の死に思う(その1)
3月初め、「幸福の科学」の大川隆法総裁の死が報じられて感慨をおぼえた。公明党を通して政権にしっかり食い込んでいる創価学会、実は政権に浸透していた統一教会などとは違って、分かりやすく「幸福実現党」で政治参加を目指していた「幸福の科学」だが、この宗教との出会いは1980代半ばだったろうか、フランスに滞在していた日本人女子留学生から「日本にいるおじさんが信仰していて、送ってくれた」という本を貸して...
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王であるイエス坐像 69cm /H513
●size: 高: 69 cm (背もたれ無し52cm ), 台座: 32.1cm × 28.5cm×10.4cm, 光輪: 13.5cm 6.4kg ●材質: 木、ウッドペースト(木粉と樹脂の混合)、石膏、グラスアイ、真鍮等●価格:617000円●送料:28000円(欧州からフェデックスで直接発送ヨーロッパのアンティーク市にて入手。1920年前後。木彫刻およびウッドペースト(木粉と樹脂の混...
2023/03/13 09:00 - Glicinia 古道具店 -
アラブの国の喫煙率
昨年、チュニジアを初めて訪問した際、驚いたことの一つが喫煙率の高さである。ただ、世界の喫煙率ランキングを見るとチュニジアを含めアラブ諸国はそれほど高くない。これは数値の信憑性が低いのか、あるいはスモーカーが喫煙所ではなく公共の場で吸っているので目につきやすいからか。とはいえ、タバコ業界の方がアラブ諸国は一大市場と言っていたので、やはりそれなりに喫煙率は高いのだと思う。1回目の出張では、訪問先...
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独裁者の演説
チャプリンの「独裁者」での演説の一部の日本語訳を日本語のネットで見て、はっとしたことがある。この映画は2度は観たと思うけれど、もうずいぶん前なので台詞は覚えていない。フランスのTVでも視聴したのだけれど、字幕だったのか吹き替えだったのかも覚えていない。確実に覚えているのは床屋のチャプリンが、ブラームスのハンガリー舞曲5 番を流しながら、剃刀を研いだりするシーンで、コントラストがあまりにも面白...
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プラハの幼子 ケージドール /H606
●サイズ:高:61cm(王冠無:52.5cm), 台座: 13.8cm×12.5cm×13.5cm,王冠高:9cm, 1500g●材質:木、テラコッタ、グラスアイ、真鍮、絹、綿、金属糸等●価格:513000円●送料:9800円(欧州から東京経由で発送2~5週間かかりますプラハの幼子、少年キリスト像、1900年代初頭ぐらい。木製ですが手足顔の一部はテラコッタで作られているかも知れません。ローブ...
2023/03/09 09:00 - Glicinia 古道具店 -
ジャケットに魅かれて 。。。110
2023年3月8日(水)All-night Vigil, Op. 37, "Vespers"Sergey Rachmaninov (1873-1943)Clarion Choir, The心洗われる祈祷曲。ラフマニノフの「徹夜祷」 Op. 37(2022年5月4日撮影)日没時、蓼科夢の平より北アルプス連峰を望む。心洗われる一瞬である。
2023/03/09 02:41 - 気楽じい~の蓼科偶感タグ: ジャケットに魅かれて 宗教音楽 -
四旬節の祈りについて
今は復活祭の四旬節真っ最中なので、フランスではカトリックの司祭さんたちがいろいろなメディアで、この期間に「信仰を深める」こととか、あらためてイエスの生涯と死と復活とについて黙想するとかについて発信している。その中でふと耳に挟んで、シンプルで本当にそうだなあと思った言葉があった。 「祈り」というものは、「神」に話しかけたり訴えたり頼みごとをしたりするものではなく、神に耳を傾けることなのだ、と...
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Eddy Ngさんのオーディオ byマサコ
タグ・音楽・美術・哲学・宗教←クリックで記事一覧へタグ:グレン・グールド ←クリックで記事一覧へEddyさんがパルティータのところに書いている英文のdeepl 翻訳です。~~~~~~~そこで、いつもYoutubeで聴いているグレン・グールドの6つのパルティータの動画が謎の消滅をしたため、より高音質でLPジャケットも含めて自分でアップロードすることにしたのです。アップロードしたマスターは最小限...
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これからよろしく
とりあえず自らのやる気を出すためにブログをはじめました。できたら、ときどきのぞいてください。中国語か日本語に関すること、小さな発見を綴っていきたいと思います。よろしくお願いいたします。個人的に宗教について、反カルトについても思うままに書き綴っていきます。白石
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告解ブースと占いブース
2/22から四旬節に入っている。復活祭前のいわば「忌み」の期間、自粛期間みたいなものだけれど、イスラム教のラマダンと違って、集団的ではないし、むしろ、人に見せびらかすようなのは傲慢で偽善だ、何より大切なのは規則や形でなく、「愛」の実践というのが本来のキリスト教。で、ローマ・カトリックでは、この四旬節の期間に一度は告解をして免償も受けて、いわば「清く」なって復活祭を迎えて心機一転再スタートとい...