"入母屋" の検索結果 8 件

  1. 藍那天津彦根神社(神戸市北区) / AINA AMATUHIKONE-SHRINE ( KITA KU,KOBE CITY )

    藍那天津彦根神社(神戸市北区) / AINA AMATUHIKONE-SHRINE ( KITA KU,KOBE CITY )

    神戸電鉄粟生線、藍那駅南側の集落は斜面に屋敷が並び、独特の風景を作っている。一方、北側は山裾に通じる緑が色濃く、そこに家屋が点在しているような感じだ。「藍那天津彦根神社」はそんな静かな杜の中に佇んでいた。旧名は八王子で当時、天津彦根命のほか、七神が祀られていたが、素戔嗚尊の八柱ではなく、宗像の三女神が祀られているのは珍しいらしい。勉強不足で自分にガッカリだ(笑)。本殿は銅葺王子造と呼ばれる仕...

  2. 吉備津神社のアジサイ(2)

    吉備津神社のアジサイ(2)

    2019/06/25と同じタイトルです。岡山は緊急事態宣言が6/20に解除され昨日の感染者はゼロでした。で、午前中に吉備津神社へ行きました。帰宅後、スケッチと動画の編集をしました。blogアップの前に同じテーマで過去にアップしているかどうかを調べあれば、タイトルナンバーを増やします。今回は2年前に行っており、スケッチポイントも動画の編集もニアニアでした。吉備津神社は岡山に行かれたら脚を伸ばさ...

  3. 長弓寺のアジサイ

    長弓寺のアジサイ

    長弓寺(生駒市上町)6月11日、生駒市の長弓寺の境内に植えられた800株のアジサイは満開だった。陽当たりの良い境内はピークで、陽の当たらない参道はこれからである。寺伝によると聖武天皇の勅願により行基の開基という。平安初期、藤原良継(よしつぐ)が堂塔を再興し、1279年(弘安2)に現在の本堂が建てられた。鎌倉時代は全盛である。「1473(文明5年)年の山名宗全の落人による寺宝の破壊や、1577...

  4. 灯台下暗し / 中山法華経寺

    灯台下暗し / 中山法華経寺

    3月3日(水)参道両脇のお店の催事「中山のおひなまつり★」を見ながら進んで行ってそのまま法華経寺の仁王門をくぐり境内に足を踏み入れました。<大祖師堂側面 / 比翼入母屋造(Wikipedia)>ここは日蓮宗の大本山で、重要文化財の建造物や国宝なども所有する由緒ある寺院とのこと。では、ゆるゆると歩いてみましょう。<大祖師堂 (重要文化財) / 正面>側面から見るとシンメトリーのすっきりとした外...

  5.  2020年11月の母娘旅④銀座・入母屋別邸でランチ

    2020年11月の母娘旅④銀座・入母屋別邸でランチ

    豪雨の後片付けも順調に進んでいますので、元の記事に戻します。一緒に行った娘も記事を楽しみに見てくれているようです。大切な想い出なので、ゆっくりでもちゃんと記したいと思っております。※銀座4丁目で合流したのは、40年以上前からサンパウロでお知り合いになり、それ以来ずっと親しくお付き合いを頂いているO夫人。私と違い、正真正銘の素敵なマダムです。「コロナが始まってから家の近所をウロウロするだけだっ...

  6. ■グルメ【入母屋(新宿エルタワー店)でランチ/嬉しいお歳暮を3軒様から頂きました^^】

    ■グルメ【入母屋(新宿エルタワー店)でランチ/嬉しいお歳暮を3軒様から頂きました^^】

    ■グルメ【入母屋(新宿エルタワー店)でランチ/嬉しいお歳暮を3軒様から頂きました^^】22日クリスマスパーティーの日・・・。昼前に娘夫婦と待ち合わせでご馳走になりましたランチです♪美味しかったです~ご馳走様でした^0^■入母屋(新宿エルタワー店)https://irimoya-shinjuku.com/■【お歳暮:義姉の息子さんから今年も頂きました♪】※嬉しい海の幸三昧を沢山有難うございまし...

  7. 269 蘇州古建築の瓦葺きでの戧角営造技法 2

    269 蘇州古建築の瓦葺きでの戧角営造技法 2

    (戧角営造技法 1の続き)(二)、水戧発戧水戧発戧は、嫩戧発戧に比べ比較的簡単である。僅かに攀脊(即ち戧座)前端に、上を覆う花辺瓦が、これを嫩瓦頭と称するが、あるだけである。嫩瓦頭は両側に蝴蝶瓦を約1寸外に伸ばさねばならない。水戧発戧の隅木からは嫩戧木を設けず、このため、木部材自体は起ち上がらず、隅棟端部を撥ね上げさせるために、嫩瓦頭の後に、戧座を高さ6-7寸積み、これを俗に「墩子を打つ」と...

  8. 268 蘇州古建築の瓦葺きでの隅棟営造技法 1

    268 蘇州古建築の瓦葺きでの隅棟営造技法 1

    中国の寺院の印象は、隅棟の大きい反り上がりではないだろうか。一体全体、あの極端に跳ね上がった軒はどんな構造なのかと感じた人も多いだろう。 日本には無い工法だが、そう古くからのものではないようだ。宋や元のころは、普通の軒端の反りだったものが明清期に大きく改変されたようである。 どんな構造でどのような工法なのか、長年の疑問を解説したものがあったので、参考までに転載翻訳してみる。なお、対応する...

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