"照英" の検索結果 860 件

  1. 「梅屋敷/snowdrop」

    「梅屋敷/snowdrop」

    バイリンガル俳句です。俳句一句とその英訳。短いですこちらのチャンネルは翻訳者のsnowdropさんと共同運営していて、月に一度か二度、配信しています。九十の翁の小うた梅屋敷snowdropバイリンガル俳句&写真:snowdropYouTube↓(ご訪問をありがとうございます。コメント欄は閉じております。).

  2. 家康最初の側室西郡(にしのこおり)の方(「どうする家康」)

    家康最初の側室西郡(にしのこおり)の方(「どうする家康」)

    家康最初の側室西郡(にしのこおり)の方(「どうする家康」) 「どうする家康」第10回は、「どうする側室」というタイトルで最初の側室「お葉」が登場しました。「どうする家康」では、お葉と呼ばれていますが、多くは「西郡(にしのこおり)の方」と呼ばれています。「西郡(にしのこおり)の方」の本当の名前は不明で、「お葉」と言う名前は「どうする家康」でつけた名前だと思います。「西郡(にしのこおり)の方」...

  3. なんでもない日曜日

    なんでもない日曜日

    さして変わることもない日々、それも、”小さな幸せ”かなとも思いつつ・・・昨日は、キリスト教のある教派の方が布教活動で見えました。当方は、カトリック教徒のそれはそれは末端のひとりですが、聖書などは共通するので、話が合い、来られるたびに、楽しくコミュニケートしています。かつて、お世話になったF神父は、C教会からA教会に移られる際、ミサの終わりに、「私が去るのをもっとも残念がられたのは、〇〇寺をは...

  4. [本/時代小説]佐伯 泰英:「空也十番勝負(9)荒ぶるや」

    [本/時代小説]佐伯 泰英:「空也十番勝負(9)荒ぶるや」

    佐伯泰英さんの「空也十番勝負(9)荒ぶるや」(文春文庫)を読了。シリーズも今巻を含めて残り2巻となった。薩摩から始まった坂崎空也の修行の最終地は、自らが生まれた紀伊国高野山の麓、姥捨の郷と決めた。九州から萩、広島、山陽路を東に進んだ空也は、空也瀧で武芸修行をしたあと、京に立ち寄る。多くの人が行き交う四条通りを眺めていた空也は、ある老人から体の大きさを買われて祇園の催しの手伝いを依頼される。話...

  5. 鵜殿長照は熊野水軍の出身(「どうする家康」21)

    鵜殿長照は熊野水軍の出身(「どうする家康」21)

    鵜殿長照は熊野水軍の出身(「どうする家康」21) 「どうする家康」第6回は上之郷城攻めが描かれていましたが、この上之郷城の城主は鵜殿長照でした。この鵜殿氏は、「寛政重修諸家譜」によると、紀伊熊野別当湛増の子・某(なにがし)が熊野新宮鵜殿村に住んだことから、鵜殿姓を名乗ったといいます。地図で確認すると、重県南牟婁郡紀宝町に鵜殿という地区があり、JR紀勢本線に鵜殿駅があります。また、紀宝町役場が...

  6. 大高城に行ってきた

    大高城に行ってきた

    歴史と素適なおつきあい番外編2023・2・2城主は南北朝の頃は池田頼忠、永正の頃は花井備中守、水野為善。息子の忠守と言われる。織田氏支配下の頃も水野氏だったが、鳴海城主・山口教継により今川氏支配となった。信長は鳴海城と大高城を遮断するため丸根砦と鷲津砦を築いた。家康行軍路桶狭間古戦場保存会より拝借桶狭間の戦いの前に今川家臣・鵜殿長照が守備についた。そして松平元康(家康)が兵糧を届け、長照に代...

  7. 瀬名の人質交換はあったのか?(「どうする家康」20)

    瀬名の人質交換はあったのか?(「どうする家康」20)

    瀬名と子供たちの人質交換はあったのか?(「どうする家康」20) 「どうする家康」第6回では、瀬名と子供たちを鵜殿長照の子供たちとの人質交換で奪還するというお話でした。この瀬名と竹千代(後の信康)と亀姫を、上之郷城攻めで生捕りにした鵜殿長照の子供氏長と氏次との人質交換で奪還するということは、従来の通説でした。最近でも本多隆成氏は『定本徳川家康』の中で「元康はまず西郡上之郷城を攻め、永禄5年11...

  8. 5歳7カ月の女の子、英検準2級合格!

    5歳7カ月の女の子、英検準2級合格!

    こんばんは!昨日,YouTubeで5歳の女の子が英検準2級に合格したニュースが出ていました。すごすぎる今年、私が受験予定の準2級です。かなりやらないと落ちますね(-_-;)3級と準2級ではかなり難易度が上がります。3級は中学校程度、準2級は高校中級程度と言われています。一次試験は75分の筆記試験と25分のリスニングまず、75分もじっとして問題を考えられること素晴らしい。ライティングの試験では...

  9. どうする家康第7話「続・瀬名奪還作戦」~元康妻子と鵜殿兄弟の人質交換~

    どうする家康第7話「続・瀬名奪還作戦」~元康妻子と鵜殿兄弟の人質交換~

    前回に引き続き、駿府で人質状態となっている松平元康(のちの徳川家康)の妻子の奪還劇の回でしたね。前話はほとんどフィクションの回でしたか、今話は史実、通説に基づいた話でした。 永禄5年(1562年)2月4日、元康は三河上ノ郷城を攻めました。上ノ郷城は今川の重臣・鵜殿長照の居城ですが、今川を離反した元康が三河全域に勢力を伸ばし始めたため、同城は松平勢力圏内で孤立しつつありました。西三河を平定し、...

  10. 上之郷城での人質生捕りに忍者が活躍(「どうする家康」19)

    上之郷城での人質生捕りに忍者が活躍(「どうする家康」19)

    上之郷城での人質生捕りに忍者が活躍(「どうする家康」19) 「どうする家康」第6回では、徳川家康(当時は松平元康)が上之郷城を攻める戦いの中で、本多正信と服部半蔵が、甲賀忍者伴与七郎の助けをかりて城内に忍び込んで、鵜殿長照の子供二人氏長と氏次を生け捕りしました。これにより瀬名と子供たちとの人質交換ができることになりました。この話は創作だと思った人もいると思いますが、これは完全な創作ではないと...

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