"皇女" の検索結果 16 件

  1. 双系相続と未婚男性天皇の悲劇

    双系相続と未婚男性天皇の悲劇

    双系相続により、飯豊皇女が480年~484年間天皇位にあったことを「日本書記」の記述から確認したい。また双系相続の場合結婚していない男性は天皇になれない。応神天皇から持統天皇まで、唯一結婚していない男性清寧天皇の悲劇を確認したい。不思議な記載が『日本書紀』にある。「秋7月に、飯豊皇女、角刺宮(つのさしみや)にして、まぐわひしたまう。人に語りて、のたまわく、ひとはし女の道をしりぬ。また安にぞ、...

  2. 初御公務の輝きのそばで

    初御公務の輝きのそばで

    先日、敬宮愛子内親王殿下が雅楽演奏会鑑賞をされました。大学で日本文化を学んでおられ、ご本人から望んでのご鑑賞だったそうです。興味をお持ちなのですね。皇女様として皇族として流石だなあと思いました。ところでお隣にはアッシャー家の🦌子さんもいてちょっと意外でした。きょう、YouTuberの美咲さんがその時の🦌子さんを占っていましたヨ。やっぱりね〜なる...

  3. 吉野では連日粉雪が舞った――吉田知子「飛鳥の風 持統女帝」⑥

    吉野では連日粉雪が舞った――吉田知子「飛鳥の風 持統女帝」⑥

    吉田知子「飛鳥の風 持統女帝」から引用を続けます。持統女帝が主役の小説なので、やはり持統女帝(鸕野讃良皇女[うののさららのひめみこ])が登場しないことには。近江への遷都が行われ、中大兄皇子がようやく正式に即位して天智天皇となり、世の中はまずまず平和となりますが、天智天皇が重い病に臥し、回復の見込みがなくなると、次の天皇の座を巡って不穏な状勢になってきます。そこで大海人皇子(天智天皇の弟で、鸕...

  4. 居場所「櫛挽道守」

    居場所「櫛挽道守」

    雨が降るというので、窓を閉めて寝たら案のじょう暑苦しくて目が覚めた。エアコンをいれるなんて、ちょっと前までには、考えられないような贅沢をして寝付くことができた。五時頃から、まだ少しまだ少しで、その間隔がだんだん延びて、さいごに目が覚めたのは8時過ぎ!アキレタメダカたあ、このこったい。たくさん洗濯して部屋干し、夕方には風呂場で乾燥するかな。東京新聞の一面、神宮外苑の野蛮な再開発計画に関する環境...

  5. 牽牛子塚古墳越塚御前古墳

    牽牛子塚古墳越塚御前古墳

    牽牛子塚古墳(高市郡明日香村越字塚御前) ●史跡(国)指定は大正12年(1923)。平成27年(2015)に越塚御門古墳も追加指定され、史跡名が「牽牛子塚古墳・越塚御門古墳」と名称変更された。また、大正3年(1914)の調査で出土した遺物は国の重要文化財に指定されており、奈良県立橿原考古学研究所附属博物館で常設展示している。別名として「あさがおつかこふん」(牽牛子はアサガオの別称)、「御前塚...

  6. 双系相続と継体天皇理想の相続の実現

    双系相続と継体天皇理想の相続の実現

    双系相続は、夫婦で相続する。継体天皇と手白髪皇女は当時の状況で最良の組み合わせである。双系相続に婿の概念はない。また一族の橘仲皇女、春日山田皇女と安閑・宣化天皇も双系相続を守るためしっかりと協力する。その結果欽明天皇と石姫、小石姫、倉稚綾姫という双系相続のほぼ理想とする相続を次世代で実現した。安閑・宣化天皇と欽明天皇の二朝並列説もあるが、この一族の団結を見るとありえないと思う。継体天皇は応神...

  7. 敬宮愛子さま㊗️“生まれてきてありがとう”

    敬宮愛子さま㊗️“生まれてきてありがとう”

    皇女敬宮さま12月1日二十歳になられました。おめでとうございます。気品のあるお美しい女性に成長されましたね。国民には“愛子さま”と親しまれてきましたが、『敬宮』としのみやという称号をお持ちです。そして令和唯一の『皇女』でもあります。皇女とは、天皇の娘のこと。眞子さん、佳子さんは皇女ではありません。“皇女敬宮”素敵な響きだと思います。しかし971庁は、これらの称号を使わないよう示唆をされている...

  8. つるべ落とし(No.436)

    つるべ落とし(No.436)

    日没が4時台になっています。沈む方向も西から西南西へと移っていきます。太陽から見放されていくような季節の移ろいです。カップと小皿に透明釉を掛けました。きれいい色づいたカエデの葉っぱが落ちていました。自分などには関係のないことですが、皇女と一般男性の結婚が意地悪と聞こえてくるような形で取り上げられているのが、多少の心痛でありました。結婚に至ったことでケリが付いたかと思えば、いまだに、結婚会見で...

  9. 丹後の物部氏ー①祭神:蘇我石川宿禰説のある「物部神社」と「矢田部神社」

    丹後の物部氏ー①祭神:蘇我石川宿禰説のある「物部神社」と「矢田部神社」

    物部神社 は、古代日本の物部氏に由来する神社。この名前を持つ神社は東日本から西日本にわたる広い範囲で分布している。その多くは、物部氏の初代の宇麻志摩遅命や祖神である饒速日命を主祭神としている。丹後鎮座の物部系の神社今回は、丹後の物部系の神社を取り上げたい。まずは、京都府与謝郡与謝野町の物部神社から物部神社【延喜式神名帳】物部神社丹後国 与謝郡鎮座 【現社名】物部神社 (京都府与謝郡与謝野町石...

  10. 丹後半島独自の伝説ー穴穂部 間人皇后伝説の真実

    丹後半島独自の伝説ー穴穂部 間人皇后伝説の真実

    間人皇后とは、橘豊日大王(用明天皇)の大后(皇后)であり、厩戸皇子(聖徳太子)らのの生母。今回は京丹後市丹波町間人(←竹野の東隣の集落)の「間人皇后 聖徳太子像」について取り上げたい。現在までに丹後の「竹野」(京都府京丹後市丹後町)をテーマに 竹野川流域を支配地とした巫女王眠る「大谷古墳」と 丹後竹野の地と竹野の首長墓「産土山古墳」で二度取り上げている。厳密に云えば、「大谷古墳」の地は、京丹...

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